2017年01月20日

開高健の悲惨なグルメ


 本稿は2007年12月にアップしたものの再録である。
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 昔は、作家・開高健が気に入ってよく読んだ。空手をやるようになって、好みが変わってしまい、関心が薄れたが、それでも彼が書いたものはほとんど読んだと思う。
 開高健は1989年12月に58歳の若さで亡くなった。テレビの速報で亡くなったことを知り、「ああ、やはり」との感慨を抱いたのを今でも思い出す。死因は食道癌であったが、私は彼がいずれ癌で死ぬだろうと予測していた。昔はファンだった作家なので惜しいとは思ったが、まあ自業自得だろうと冷めていた。

 先日、図書館で『開高健が喰った!』(菊谷匡祐著 実業之日本社)を見つけ、ちょっと懐かしくなって、借りて読んでみた。これは開高ときわめて親しかった著者が、生前に開高と食べ歩いたなじみの飲食店を思い出とともに紹介している内容である。主に東京のあちらこちらで、気にいった店の気に入った料理をたらふく喰った話で、そのときに開高がやたらに料理に関する蘊蓄を傾けるのだが、それを楽しく紹介している。

 開高健はグルメで大食漢であったことは有名である。しかしこの本は高級料亭やレストランは省いてあって、どちらかというと値段は安くてうまい店で、開高が贔屓にしたところだけを扱っている。
 この本で紹介されている開高の、食べること食べること、鯨飲馬食そのものである。

 例えばある中華料理店に著者・菊谷氏と行って「ビール2本、餃子4人前に柔らかい焼きそば3人前、それとニラレバ炒め3人前、とりあえずそれだけ持って来て頂戴」と注文する。とりあえず、で、これだ。出てくる料理の三分の二は開高がかきこむように喰ってしまう。さんざんビールを飲みほし、最後に「さて、シメはタンメンで行こか…」となるんだそうだ。

 『開高健が喰った!』全編がこの調子で、ひたすら喰いまくる話である。改めて開高の健啖ぶりを読んで、「これだからお前さんは癌で早死にせざるを得なかったんだよ」と言うしかなかった。
 この作家はいったいいつ自宅で飯を喰うのか? と思うほどに、外食ばかり。作家仲間、編集者、友人らと飲み歩き、喰い歩きしていて、たらふくうまいものを喰い尽くしていく。

 彼の初期作品に『パニック』という小説があって、ある地方で60年に一度だかの笹の実が実り、それを食べたネズミが大繁殖をするという話なのだが、膨大な数のネズミがあるとあらゆるものを喰い尽くしていく様が描かれていた。開高の健啖ぶりはそのネズミの大集団のようであった。

 彼がまだ活躍しているころに、よく食に関するエッセイを読んだが、たしかに文章のうまさは抜群で、ありとあらゆるテクニックでその美味の中身を描く。近年テレビでグルメ・レポートなんかが流行しているが、タレントたちはおしなべて「うまい、おいしい」しか言えないが、開高となると絢爛たる修辞で読者を圧倒する。だが、これじゃ癌になるわと他人ごとながら心配していた。

 今も、テレビのグルメ・レポーターをやっている彦麻呂とか石塚とかを見ていると、仕事だから仕方がないだろうが、長生きせんだろうなと気の毒になる。
 テレビ局も本当に酷なことをする。担当者も社費で飲み食いできるから、あちらこちらの有名店を探して、タレントや女子アナに喰わせつつ、自分らも喰っていることだろう。ただで飲み食いできるから、やみつきになるんだろうが、彼ら自身も病気になるし、テレビで見た視聴者もそれっとばかりに試食に行くから、みんなやがては癌になる。

 人間誰しもうまいものには魅かれる。うまいものと、まずいものをどちらを喰いたいかと言われれば、誰でもうまいものが良いに決まっている。それがこうじて、徹底してうまいものでなければダメとなっていくところに、人間の浅はかさがある。
 素材そのものが新鮮で、おいしいならそれで満足すべきなのだが、どうしても“料理”したものが高級でうまいと思うから、高級店ほど手をかえ品をかえてこれでもかと“料理”をしてしまう。

 あるいは牛肉のように、素材そのものからして霜降肉などと言って、とんでもないゲテモノをこしらえてしまう。そういうものを、テレビのグルメ番組で大仰に絶賛し、次から次に紹介している。
 一億総グルメで、行き着く果ては“総癌”だろう。もしかして病院や製薬会社と結託して、ああいうグルメ番組をやっているんじゃなかろうか、と疑いたくなる。

 そもそも“料理”することがいけない。料理がいけないというなら、人間、喰うものがなくなるじゃないかと反発されるかもしれないが、そういうことではない。食事はいいのである。食事しなければ生きていけない。その食事とは、できるだけ素材そのものを生かした、やたら凝った“料理”にしないことである。

 例えばサンマならば、刺身が一番良く、あとは塩焼きくらいがいい。ところがサンマを揚げたり、煮込んだり、揚げたものをさらに南蛮漬けにしたり、ごてごてとほかの素材を調理したものをぶっかけたりして、これでもかと別の味を演出してしまうことがまずいのである。これを称して“料理”という。

 サンマであれ、ニンジンであれ、生なら地球がいわば生きている、自然であり、磁性体が壊されていない。しかし調理すればするほど、あるいは添加物などを加えるほどに、地球から遠ざかり、磁性体性を失ってしまう。これが癌のもとになる。開高健はその証明を自らの身体で行ったようなものだ。外食すればほとんどが“料理”したものである。つまり加工したものだ。

 例えば彼が東京・有楽町のレバンテという飲み屋で、カキの塩辛が大好物でビールを飲んではカキの塩辛で舌鼓をうっていたそうだが、こういうものが“料理”なのである。カキ自体がほとんど養殖もので、ここで早くもつまずいているが(養殖すれば磁性体が失われる)、それを塩辛にしていわばエキスを濃縮した食べ物(らしい)となれば、これは癌のもと…というとやや言い過ぎかもしれないが、危険ではある。

 あるいは北京ダックのおいしい店を紹介してあって、これが絶品だと褒めているけれど、あれはとんでもない料理である。北京ダックの育て方が人工的だからだ。フォアグラなんかも悪いはずだ。人間が手を加えておいしくするほどに、食べ物は癌の原因になっていく。

 だからみなさん。お勤め先で昼食を外で召し上がることが多いかもしれませんが、外食こそが危険なのですぞ。こう書くと飯屋から猛反発されるだろうが、困った人たちだ。例えばまあ刺身定食ならいいがアジフライ定食となると疑問符がつく。野菜炒めなんかならなんとか合格、サラダ山盛りも合格にしてもいいが、トンカツだのすき焼きだの、ラーメンだのとなるとみんな加工ばかりになって、危ない。それにコンビニで売っているものも当然危ない。ましてコンビニの弁当などは恐ろしい中国野菜や中国鶏肉なんかが使ってあるのだ。およしになったほうがいいですよ。

 外食のいけないところは、なんと言っても飯が白米であることだ。玄米や麦ご飯を出す店ならまあ悪くはない。
 おいしければいいという人には言うことはないけれど。おいしいだけだと、開高健のように早死にしますよ、と言いたいのだ。人との付き合いもあって、料理をまったく口にしないわけにはいくまいが、たまのことになさるべきであって、仕事で外食しなければならない人は、ぜひ栄養も十分考えた手作りの弁当を持っていかれることだ。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする