2017年02月10日

韓国人は盗人である


 韓国がまたしてもバカをやらかした。対馬の寺から盗みだされた仏像を、裁判所が日本に返還しなくていいという判決を下し、あろうことかあるまいことか…韓国の素性も怪しい寺がそれは昔倭冦によって当寺から盗すまれた仏像だからうちに返せという主張を認めた。

 日本中が呆れ返った。
 倭冦には日本人だけではなく、支那人や朝鮮人も多くいた。だからあり得る話としては、朝鮮人海賊が朝鮮の寺から盗んで、どこかに売り飛ばしたのかもしれない。寺自身が食うに困って仏像を売り払ってしまい、回りまわって別の寺に買われたという事態もあり得る。

 今となっては、誰にもわからない。わからないことをいいことに、韓国の裁判所は、日本にだけは返すなの感情で動いた。
 倭冦が盗んだという確証があるわけでもないのに、とにかく日本には嫌がらせをすればいいという主判断だけで動く。
 この朝鮮人の感情の根底には、儒教思想が抜きがたくあるようだが…。

 それにしても言うに事欠いて、倭冦を持ち出してくるとは驚いた。
 それを言うなら、まず江戸時代の「通信史」どもが、対馬と江戸を往復する間に、民間の宿の備品や農家の鶏まで根こそぎ盗んでいったことの謝罪をしてからにしろ。
 ところで、この「倭」について、その由来を一度紹介したことがあった。

 日本人は古代、自分たち集団を何と呼んでいたかというと、「わ」つまり集団の単位(サークル)としての「環(わ)」と称した。支那人に、お前たちは何だ?と尋ねられて、「わ」と答えたのだが、性悪な中華思想を抱く支那人どもは、「倭」という悪字をあてた。
 支那人がそういう悪字を使っていると知って、われらの先祖は中華思想に反発して、「わ」は漢字に当てはめれば「和」なのだと改めて主張する。
 そして国名としては、列島に分立していた小国家である環(わ)をまとめた大きな「わ」という意味で、大きな和、「大和」となった。

 聖徳太子の一七条憲法の第一条は、ご存じのとおり「和を以て貴しとなす」である。これが日本人の根本原理と言われる。さらに、日本人がなぜこうまで「わ(和)」にこだわるかと言えば、それは霊の存在を認め、その祟りを恐れたからである。だから「わ(和)」という精神を生み出した。日本人は物事の解決を何より「話し合い」で決める。これは和を大切にするからである。

 この説は、作家・井沢元彦氏が『逆説の日本史 古代黎明編』(小学館刊 1993年)である。日本にだけなぜ御霊信仰が強烈にあったのかを大筋でこのように説いていた。
 井沢元彦氏はこの、「わ」と怨霊が、実は裏表の概念であるという捉え方が、ご自分の日本史に対する基本的な見方である、と述べている。

 この論理に従えば、呉善花氏の初期の著書にあった次の挿話は、実に明快に解ける。
  (引用開始)
 何年か前の夏、学生仲間数人が連れ立っての九州旅行の途中で、一人が海に溺れて亡くなった事件があった。私たちは旅行を中断し、急遽かけつけたご両親を迎えた。ご両親は私たちの待機する所へ来るや、「息子の死のために旅行を中断させることになって、ほんとうに申し訳ありません」と、何度も何度も頭を下げるのである。

 若かった私は、悲しみをすぐに見せようとしない親をまじかに見て、死んでいった友がいかにも哀れで、心の底に強い反発を感じていた。いまでも思う、そんなときに、お詫びを言う余裕はどこからくるのだろうかと。(『続スカートの風』一九九一年 三交社刊)
(引用終わり)


 息子を亡くした母親が、自ら悲しむよりも真先に、友人たちに詫びたのは、まさに「和」を重視したからにほかならない。韓国や支那には、こういう「和」の意識はなく、儒教の思想(一君万民のヒエラルキー)が根本にある。儒教は得体の知れない怨霊よりも、「孝」「義」「礼」「信」を尊い概念としている。

 むろん「和」という徳目はない。儒教の国(?)から来た呉善花女史が、だから来日当初は、日本人にしみ込んだ「和」の心が理解できなくて、「心の底に強い反発を感じ」てしまうのも無理からぬことであったと言わねばなるまい。

 仏教はこの日本人の「和」の心、怨霊に恐怖する心にうまく取り入ったのである。寄生木のようなものであった。
 だから、今度の仏像盗難事件に関しては、むろん悪党は韓国人だが、とりたてて対馬の寺を応援するほどの気分にはなれない。
 寺というものは、死に関してのビジネスである。

 やれ、墓を作れだの、法事を欠かすなだの、布施をはずめだのと脅して来る。
 戒名についても、いったん死者には戒名をつけるもの、そうしないと御霊となって祟るかも…、和が乱れるかも…と思わされた日本人は、この奇習を受入れざるを得なかった。

 実際、戒名代は高いと思いつつも、布施として払う理由には、現世の人の間の軋轢を避けたい、しきたりに従って波風をおこさないという心理があってのことではないか。
 もし戒名を付けなければ、もしランクが家柄にあっていなければ、親族や周囲の人間から変な目で見られる。これぞ和を乱すことになる。
 もし戒名を付けなければ、もしランクが家柄にあっていなければ、親族や周囲の人間から変な目で見られる。これぞ和を乱すことになる。

 だからやめられない。
 大東亜戦争末期、連合艦隊すでになく、広島・長崎に原爆を落とされ、満州・樺太にはソ連軍が不法に侵略し来たってもなお、日本陸軍は戦争をやめようとしなかった。
 それは、支那戦線や南方戦線で戦死した英霊に申し訳がない、あるいはまだ一戦も交えずに南の島でシラミをつぶしている将兵に申し訳ない、だから今ここでやめられない、そういう理由が陸軍上層部では大勢をしめたといわれる。

 まだある。金融機関の不良債券は、主としてバブル期に銀行がウラの筋に不正融資し、キックバックをとっていたとすると、債券がこげついても、不正発覚を恐れて金融機関はウラ筋の言いなりに融資を続けるしかない。
 企業の上層部が、スキャンダルを総会屋に握られてゆすられる実態もまた同断である。たかりを拒否できずに、腐れ縁をやめられない。

 やめられない、とまらない♪
 アラ、えっさっさあ♪

 死人に戒名をつける習慣、しきたりは、何百年、何代にもわたって続いている。いまさら、その連綿と続いてきた「和」をこわすことはできない。戒名を続けていさえすれば、先祖との「和」は保たれる。

 墓石や墓誌などは二百から三百年も経過すれば、庶民の場合はわけがわからなくなるものだが、寺には過去帳があって、先祖代々お世話になってきた証が認めてある。

 過去帳も疑いだせばキリはないのだが、自分の代ですっぱり寺と縁を切る気にはなれない。だからずるずる続く。続けば、やがてそれは仏教の既得権益となり、汗水流して労働しなくても、無税の現金収入として、坊主の生活を楽々と支えてくれる。ついには腐敗が始まる。

 坊主は生臭になり、国民は骨の髄まで「事なかれ主義」に侵される。
 ちなみに私は、きれいさっぱり私の代で寺とは縁を切った。墓も親が用意したものはあったが、それを残すと子や孫に維持費を負担させるので気の毒だから、棄てた。私が死んだから海に散骨してもらう予定である。
 葬儀もしないし、戒名もいらないのである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする