2017年02月22日

島原の子守歌の魂(1/4)


《1》
 道場で講義をした際に、道場生に『島原の子守歌』を知っているか? と聞くと、誰も知らないという。そこで歌を聞けば思い出すかと、私が歌ってみせたが、一度も聞いたことがないと首をふる。『五木の子守唄』は? と聞くと、これはさすがに知っていた。
 日本人なら『五木の子守唄』と同様に、『島原の子守歌』くらいは知っていなければならない歌なのではないか?

 なぜならば、そこに官許歴史が隠す“本当の日本人の歴史”が隠されているからである。いずれも“子守唄”といいながら、子守りのときに歌ったというより、あまりに悲惨な自身の境涯を嘆くつぶやきに近い。
 『五木の子守唄』は、さまざまな歌詞があって、作詞者は不明である。無名の貧民によって歌い継がれるうちに、改変が進んだものと思われる。それに対して『島原の子守歌』は、作詞・作曲者ははっきりしていて、宮崎康平氏である(1959年作)。宮崎氏については後述する。

 島原の子守り歌は、「おどみゃ島原の おどみゃ島原の なしの木育ちよ…」という歌詞。
 これ以下の歌詞は、「からゆきさんの小部屋」というサイトかをご覧ください。
http://www.karayukisan.jp/no7/index.html
 ここで芹洋子さんの歌声で聴くことができる。悲しい歌を心のこもった優しさで歌い、心にしみる。歌詞は方言なので、意味がとりにくいが、同サイトや、「島原の子守り歌」のサイト
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/8142/lullaby.htmで解説されている。

「からゆきさんの小部屋」からの引用と書いたとおり、『島原の子守り歌』は、からゆきさんを歌ったものである。この「からゆき」についても、私の弟子に尋ねたが、誰も知らず、驚いた。
 からゆきとは、江戸時代末期から昭和20年までのあいだに外国に娼婦として売られていった女性たちである。端的に言えば国に捨てられたのだ。 からゆきは天草や島原が最も多かったそうだ。

 アフリカ西岸に「黄金海岸」という奴隷を運び出した土地に付けられた名前があるが、島原から口ノ津あたりの海岸を「白銀海岸(シルバーサイド)」と呼んだのは、こうした誘拐されたりだまされたりした女たちが密航していった場所だからである。
 歌詞のなかの文言に「鬼(おん)の池の久助どんの連れんこらるばい」とは、鬼池の久助という女衒が人さらいにきて、連れていくぞ、という意味である。

 また3番の歌詞にある「青煙突のバッタンフール」とは、英国貨物船のことで、青煙突がトレードマークだった。この船は北九州で産出する石炭を東南アジアに輸出するために往来していたが、からゆきの密航を乗せた。乗せられた女たちは、真っ暗な船底に押し込められ、飯もろくに与えられず、石炭の中に糞尿垂れながしにさせられ、道中屈強な船員たちに強姦され続けて行ったのだった。

 からゆきが、教科書には載っていなくても、われら同胞がかくも悲惨な目にあっていたことは、常識になっていなければなるまい。

 例えば、からゆきさんについては、森崎和江、山崎朋子、山田盟子、工藤美代子、谷川健一といった人たちの研究書があるし、文学作品としては、円地文子『南の肌』、秋元松代『村岡伊平治伝』、宮本研『からゆきさん』など多数ある。これらの一つ二つくらいは読んでいなければ、われわれが生きているこの日本社会というものがわかるわけがなかろう。

 言っておくけれど、からゆきは決して昔の話ではない。今は逆にフィリピン、韓国、ロシア、支那などなど世界中から「ジャパゆきさん」として身を売る女性が日本へやってきている。チリから来たアニータなる悪辣なジャパゆきさんに、青森住宅供給公社のバカ男が14億も貢いでしまった事件があったが…。

 それに、現代日本の女性にしても、OLだとか派遣社員とかも、基本構造は同じであって、昔のからゆきよりも相対的にカネは入るようになっただけのことである。劇作家・秋元松代氏が書いた『村岡伊平治伝』の村岡伊平治は、からゆき女性の生き血を吸って巨利を得た女衒の親玉である。

 われわれの先祖は天皇族とその配下の権力者によって、部落民とされて、千数百年に渡って虐げられてきたのだ。男は戦争に狩り出されて殺された。女は十代半ばから娼婦とされて世界中にバラまかれ、国にも家族にも捨てられて死んでいった。民衆は税金でしぼりとられるだけ収奪されてきた。だから「産めよ増やせよ」だったのだ。それが日本の本当の歴史である。

 慶応義塾をつくった福沢諭吉が、女性を海外に売り飛ばすことを推奨した。同じく明治の元勲・伊藤博文も女衒・村岡伊平治がゴロツキを集めて女性を誘拐したりだましたりして、海外に連れていき売春させる仕掛け(犯罪)を賞賛し、女郎屋をもっと増やせと言っているのである。こういう福沢や伊藤をわれわれは紙幣(1万円札)の顔にしていた(いる)のだから、日本の恥である。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする