2017年04月30日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第10回)


〈粉みじんの花びら〉

 空襲のすんだばかりの人けない砂浜を、少年がひとり、あおざめて歩いていた。ひざがふるえているのは足元の南洋松の落葉がチクチクするせいではなかった。
 少年は今しがた、二人の友だちを爆撃でなくしてきたのである。
 少年は友だち二人をひきつれて、農家からヤギを失敬しようとたくらんだのであった。空襲警報が鳴って、まさに人々がどこかへ避難したすきをねらって、盗み出そうという大胆不敵。

 かれらはちょうど、あざやかな赤い花を枝一面に咲かせて、南洋桜と親しまれた火炎樹の下をとおりかかっていた。火炎樹もろとも、少年二人は爆破された。
 地面に大きな穴があき、手足をもがれた友だちの体のまわりに、こなごなにちぎれた真っ赤な花びらが、降ってきた。

 少年は海水に首までつかった。それは、友だちの死体を見て、恐怖で思わず足の間を濡らしてしまったから、それを家の人にごまかすためだった。
 全身をぬらしたまま、少年は家に帰る途中、実業学校の前をとおりかかると、軍人がテニスをはじめるところだった。
「さあ、続きだ続きだ。こっちのサーブからだぞ」

 太った軍人がそう叫んでいる。それがプルメリア守備軍総司令官の海軍中将であることを、少年はたしかめもせず、唇をふるわせながらとおりすぎた。
 だれも、次の朝にはアメリカの大艦隊がプルメリア島をとりまいて、上陸作戦を開始することを知らなかった。


〈米艦隊、あらわる〉

 その早朝、山の洞くつに避難していた人々は、あわただしく叫ぶ男の声で目をさました。沖にアメリカ艦隊が浮かんでいるのが発見されたのである。
 大人も子どもも、洞くつから出て、まだ暗い海を見つめた。実に…、実におびただしい敵の軍艦が島をとりまいていた。軍艦の間からすこしだけ海がのぞいている。そんなふうだった。

 人々は声をのんで立ちつくしていた。いつもの当たり前の朝のように、小鳥がさえずりはじめていた。人々はしばらくして、どうなるのだろう、どうしたらいいのだろうと、あてもない心配をはじめたが、結局、わが日本軍をたよりに思うほかなかった。また、日本本土から遅まきながらでも、援軍がさしむけられるのを信じるしか。

「あれだけの大軍をさしむけなければプルメリアは攻めきれないと敵は思っているのだから。日本軍の力もあなどれないかもしれない」
という人もあれば。
「前線の士気は高いというぞ。精神力ではぜったいに負けないからな」
と意気ごむ人もいた。
 山の中の洞くつは、手を加えて平らなところにタタミをしいたり、ふすまで仕切ったりしてある所もあった。出入口は樹木などでかくしてある。直撃弾があたらないかぎりは、こわれないはずだった。

 海岸線の町から、まだ残っていた人々があわてふためいて山へのぼってきた。けれども、洞くつによっては、もう満員になっていて、あとから避難してきた人が入れない場合もあった。
 そこで、前からいた人と、あとからきた人とが、言い争い、ときに殴りあうのであった。洞くつの奥から赤ん坊を背負った女の人が出てきて、あとからきた人に木ぎれを投げつける。かと思うと、一度しりぞいた人たちがもどってきて、入り口のカモフラージュをこわしていく。

 艦砲射撃がはじまった。海岸に集中して砲弾が落ちた。そのうちに山のほうへも砲弾が届くようになった。ジャングルの樹木は倒され、ところどころで木が燃えあがり、地面がえぐられていった。
 日本兵は海岸線へ移動していった。そのため空っぽになった陣地濠に逃げこむ家族がいたが、そこへも砲弾が降ってくるようになったので、あわてて別の安全な場所を求めて逃げるのだった。

 遠くからでも、軍艦の群れの中で、青白い光がパッパッとひっきりなしに閃くのがみえた。砲弾を発射するときの閃光なのだ。
 艦砲射撃は二日間つづいた。三日目の朝、アメリカ軍は上陸用舟艇に兵隊を満載して上陸してきた。


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2017年04月29日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第9回)


〈ともに太平洋の防波堤たらん〉

 爆撃で家をなくした人々のなかには、米軍の上陸近しとみて、家族ぐるみ山の洞くつへ移る人もいた。上陸はまだ先のことと予測した人たちは、まだ町にいた。たとえば、プルメリア映画館には、空襲で家を失ったハシカルの町の日本人が着のみ着のまま集まって、雨露をしのいでいた。
 映画館の二百ほどの椅子はとりはらわれ、大人も子どももゴザなどをしいて、寝たり起きたりしていた。大人はほとんど、昼間は軍に動員されていたが、男は夜おそくまで働かされていた。夜は灯火管制で明かりがつけられない。お腹がすいても、食べるものがすくないので、誰もあまり動かない。赤ん坊がむずかって泣くと、母親はもそもそと起きて、外に連れていく。活発に動いているのは蝿ばかりである。

 女学校の生徒は、ひとかたまりになって起きるともっぱらおしゃべりをする。誰それはどこに避難したとか、どんな服を持っていったとか、逃げるならどこが安全かとか、兵隊は何をしているとか……。
 なかには、在郷軍人のような強気の人がいて、頭に日の丸のはちまきをして、なんのかんのと人を叱って歩く者がいた。どうしてそんな元気があるのか、陰で何を食べているのだろうと悪口を言われるくらいであった。
 その強気の人が映画館にきて、大声をあげた。
「みんな、手をとめてこちらを注目! すわったままでよろしい」
 赤ん坊がギャーと泣きだした。おっぱいをふくませていた母親があわてて乳房をしまったからだ。母親は在郷軍人ににらまれて、はじかれたように外に出ていった。

 在郷軍人は、プルメリアの青年が日本軍に志願して銃をとったと、伝えにきたのだ。
「われわれ日本人も負けてはいられないぞ。ともに太平洋の防波堤たらん」とかなんとか、どなって去った。
 在郷軍人が行ってしまうと、口の悪い少女たちはひざをくずして、またひそひそと話をはじめる。
「わたし、あのおじさん大きらいよ。あの人、軍人や兵隊がたくさんプルメリア島に上陸したんで、石鹸や歯ブラシなどの日用品をずいぶん売ってもうけたのよ」
「横柄よね。何しろ兵隊は海に日用品を沈められちゃったからね。それにつけこんで」
「あの人、軍に協力しろと言うわけね」
「プルメリア人が兵隊に志願したって?」
「在郷軍人が無理やり入れたのよ」
「すすんで入隊したと言ってたじゃない」

「何かでつったのよ。おおかた軍隊なら飯が腹いっぱい食える、とでも言って」
「でも、カナカ族とチャモロ族は、いっしょの部隊でやっていけるのかしら」
「うまく考えるわよ。カナカは最前線、チャモロは第二線とか」
「そんなことないわよ。みんな一緒よ。タコツボ掘らされて戦車がきたら地雷をだいてとびこむ。それしかないじゃないの。銃なんてとろうにも、日本軍にいくらもないじゃない。隣の荒物屋は、軍にシャベルなんかを売ってもうけたわ。うまくやってるわ」
 少女たちはゆるゆると手を動かしている。シラミだらけの頭をかいたり、蝿や油虫を追ったり、あかだらけの背中や脇腹をぼりぼり、ぼりぼり……。

「空襲がはじまってから、日本人はよくプルメリア人をなぐるって、チャモロの男の子がいっていたわよ」
「しょうがないじゃない。あの人たちとろいんだもの。日本人じゃないから、しょうがないけど」
「そうじゃなくてよ。アメリカに仕返しできないものだから、プルメリア人の人にヤツあたりしているような気がするの。さっき来た在郷軍人なんかしょっちゅうやってるわ」
「そんなこと言ったって。いっしょに戦わないといけない、という気持ちが薄いのよ」

「でもプルメリア人をいじめることで、日本人の誇りや心のささえを保とうとしているみたい」
「あんた、ばかにプルメリア人の肩をもつじゃないの。好きな人、いるんでしょ」
「そんなことはないけど・・・」
 窓の外には、陽はさしているのだが、スコール(雨)がふってきた。


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2017年04月28日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第8回)


〈乗り合いバスがなくなって〉

 乗り合いバスは、いつもハシカルの町と島の南にある製糖工場を結んで走っていた。工場につとめる人たちが主に利用したのである。
 そのバスは、もう走ることができなくなった。ガソリンがないからである。戦争がはじまってから、バス会社はガソリンをだいじに使ってきたが、日本軍守備隊が、大挙上陸してから、軍にとられたのだった。
 日本内地では、バスは木炭をたいて走っていると、うわさでは聞いていたが、プルメリアでは、バスを木炭で走るように改造する材料も技師もいなかった。

 バスが動かなくなって、しばらくは運転手も、エンジンの手入れをするとか、車体をみがくとかしていた。だが陸軍から、やれバッテリーを軍用車用にくれだの、オイルをくれだの、といってきて取られたので、やる気をなくした。ついにはバスごと、将校用の兵舎にするからといって持っていかれた。

 運転手は、プルメリアではたったひとり居残ったバスを運転できる人だった。だからいつもいい気分で仕事をしていた。みんなが頼りにしてくれるし、ときには釣った魚や野菜を運転台に置いていく客もあった。
 そういう人が何もすることがないとなると、あわれだった。町の人たちが飛行場の建設とか軍用物資の運搬にかりだされても、運転手はふてくされて出ていかなかった。酒ばかりくらって、一日中ぐずぐずしている。バス会社の人がたずねてきても、ふきげんにふさぎこんだまま。奥さんが話しかけても、返事をしない。奥さんの顔をみれば、酒を買ってこいと、どなるのであった。

「戦争がわるいんだ。くそ、戦争さえなかったら」
 あたりをはばかりながら、そうつぶやくばかりだった。
 ヤシの木かげにゴザをしいて、酒をついじゃ飲み、眠くなるとコジキさながらに、寝ころがって大いびきの日々となった。空襲警報が鳴って、奥さんにたたきおこされると、防空壕によろよろととびこむ。
 その運転手が機銃掃射で撃ちころされたときは、そうとう胃がまいっていたらしく、防空壕にじっとしていられなくて、地面に吐こうと身を乗りだしたためだった。


〈歯がないために〉

 とぎ屋というのは、包丁やハサミを切れるようにとぐ商売である。プルメリアには、おじいさんのとぎ屋が一人いた。
 このおじいさんには歯がなかった。一本もなしである。頭もきれいにハゲているので、
「わしは、口の中もハゲているんだ」
「歯もぜんぶといでしまって、もう残っていないよ」

 こういうと、小さな子どもたちはみんな信じたものである。歯をみがかなかった罰でこうなったのに、子どもたちは歯をみがいたために歯がなくなったと思い込んで、もうぜったい歯をみがかないと言いはって、母親たちを手こずらせることになるのだった。
 さて。歯がなければ、モノはきちんと噛めない。しかし、食べなければならない。で、どうしたかー。
 じいさんは、歯の代わりにペンチを使った。入れ歯は貧しくて買えなかったのだ。肉や魚や野菜を、ちょっとかんでやらないと、胃がかわいそうだというものは、ペンチでグチャグチャとつぶしてから、ポイと口にほおりこんで、すぐのみこむ。
 ごはんは面倒なので、ごくごくやわらかくたき、すすりこむのである。

 はたから見ると、不便このうえないと思えるが、当人は、
「なんの、入れ歯をはめる面倒より、ベンチのほうが楽だよ」
と平気だった。
 だが、空襲にあって、防空壕に避難している間に、爆弾で家がふきとばされ、家財道具もろとも、たいせつなペンチまでなくしてしまった。
 あわてて代わりのペンチやヤットコを探したのだが、もはやプルメリアにはどこにもなかった。いや、あるにはあっても、日本軍が「借りる」といって持っていった。
 じいさんは、しょうがないから、板の上に食べ物をおいて、石でたたきつぶしてから食べることにした。それをサジですくって口にいれた。

 こんなふうに空襲のせいで困った人はほかにもおおぜいいた。メガネをなくした人、耳の補聴器をなくした人、松葉つえをこわした人。でも、戦争中なので、代わりのものを手にいれたいと思っても、どうにもならなかった。
 ペンチをなくしたじいさんは、やがて腹をこわして死んだ。プルメリアはおりしも水不足であった。だから歯の代わりの石や板を洗う水がない。じいさんは、きたない食べ物をきたない手ですくって食べたし、栄養がじゅうぶんとれなかったので、お腹をこわした。病院に行ったが、薬もすでになかった。


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2017年04月27日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第7回)


〈日本機、去る〉

 プルメリアの朝はとても早い。
 灯火管制のために、月のない夜は街中でも、墨を流したような闇だった。その闇の中を不寝番の兵隊だけが起きている。そして満天の星空がわずかに白みはじめたかというときに、早くもニワトリがトキをつげる。あちらこちらで。
 風はまだ昼間のようには蒸されておらず、熱くない。むしろ冷えて、形さえはっきりしているような新鮮な心地よさである。牛が乳しぼりのさいそくに、モーモー鳴きだす。小鳥たちの中では寝坊のスズメも、軒先でさえずりはじめる。
 島じゅうに蒸れかえっている軍隊の匂いは、まだ立ちあがってこない。陽がのぼると、やがて蠅が人間や牛や糞や食べ物にびっしりとまとわりつき、軍隊の皮革や汗や汚物からたちのぼる強い匂いが、ものの形をくずしていくだろう。
 朝のきざしよりも、夜の影が濃いそんな時間に、ときならぬ飛行機の爆音がひびきはじめた。人々はおきだして、不安そうに空をあおいだ。米軍機がやってくるには早い。空襲警報も出ていない。爆音もちがう。ガーガーと、音だけで米軍機より性能のわるそうだとわかる日本の戦闘機が、上空を旋回していた。翼に日の丸がみえる。
「来たんだ」
「そうだ、とうとう来たんだ」
「援軍なのね」
「もう大丈夫だ。遅かったじゃないか、ちくしょう」
「来た、来た、来てくれたのよ」
 十やがて二十と戦闘機は増えていった。ピョンピョンはねまわる子がいる。ランプに灯を入れて振り回して、たしなめられる人がいる。音の出ないように手をうってははしゃいでいる人がいる。腰にさげた手ぬぐいで、涙をぬぐっている人がいる。
 しかし、およそ二十機の「大編隊」は、ふいに機首を西にむけると、朝焼けの空をあとに水平線をめざしてとんでいった。
「どういうことかしら?」
「敵に攻撃をかけに行ったのか」
「内地から着いたばかりじゃなかったのか?」
「日本軍のやることはいつだって、こうだ。おれたちにゃわけがわからない」
 それっきり「大編隊」はもどってこなかった。明るくなると、あいかわらずアメリカの戦闘機や軽爆撃機が、暑い日ざしの中を疲れもみせずにとびまわった。迎えうつはずの日本機は、ただの一度もとびたたなかった。
 2〜3日たって、島の人たちはどうやら真相を知ることができた。それは、陸軍の将校が、海軍航空隊をののしる言葉を、あちこちでしゃべったからだった。
 もはや、プルメリア島には飛べる日本の戦闘機は一機もいないとのこと。あの朝の編隊は、米軍上陸にそなえての逃亡であったこと。それを陸軍の将校は憎んで、言いふらしたのである。もしもアメリカ軍のスパイが聞いたら、これだけ情報が筒抜けでは、かえってびっくりしたにちがいない。しかし、「逃亡」と言ったのは、陸軍の将校であって海軍航空隊は、プルメリア島守備隊より上の南方方面軍の指示による作戦のための「転進」だったと言いはった。そして、プルメリア島のなかで、海軍と陸軍はますます仲がわるくなった。
 軍用機には無線電信が積んである。ダイヤルをうまくあわせれば、アメリカ軍が日本軍向けにながしている放送を聞くことができる。
 アメリカ軍の放送は、こういうことを言う。
「〇月〇日、米軍は〇●島を攻撃する。島の日本軍の兵力はこれこれである。われわれはその20倍の戦力で攻撃する。君たちにはぜったいに勝ち目はない。戦うだけむだである。降伏をすすめる」
 この放送をこっそり聞くことができるのは、飛行機に乗れる将兵だけであった。敵の放送を聞くことは禁じられていたが、空の上ならみつからなかった。泥まみれの陸軍の兵隊にはわからないことだった。
 ……ニューギニアでもそうだった。クェゼリン島でもそうだった。ペリリュー島でもそうだった。マキン・クラワでもそうだった。ことごとく米軍は放送で予告し、そのとおりに攻めてきて、あげくに日本軍は全滅してきていた。例外はなかった。それは航空隊の飛行兵なら知っていることだった。
 で、今度はプルメリアの番だと放送は告げたのである。
 だから、海軍航空隊は、プルメリアの守備隊から抜けていったのである。プルメリアの住民はむろんそんな予告放送のことなど知らない。知っている人だけが逃げた。


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2017年04月26日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第6回)



〈ハガキ〉

 郵便屋さんは、手紙や小包の配達だけでなく、島のポストにたまった手紙を集めるのも仕事だった。しかし、戦争が日本の劣勢になり、内地と郵便の連絡もできなくなった今となっては、やれる仕事がなくなった。
 あの最後のあけぼの丸が撃沈されてからは、だれも内地に手紙を出そうとしないし、内地からも手紙はとどかない。
 といって、ぶらぶらしていてもしょうがないので、郵便屋さんは空襲の合間をみつけては、自転車で島内をまわって、いくつもないポストをのぞいてあるいた。
 ポストといっても、商店の軒先を借りて赤くぬった箱を置いてあるだけ。
 島のいちばん南にあるポストに行ったときのこと。めずらしくポストの中にハガキが一枚はいっていた。
 そこには子供の字でこんなことが書いてあった。

 モウ、半年モ「少年倶楽部」ガ来マセン。ボクハ、イツモ楽シミニシテイマス。「少年倶楽部」ハ、オモシロイデス。デモ、イツニナッタラ「少年倶楽部」ヲ、オクッテモラエマスカ。ソレトモ、モウ「少年倶楽部」は出ナクナッタノデスカ。オシエテクダサイ。

 本当は郵便屋さんは、ひとの手紙を読んではいけないのだが、つい目にはいってしまった。郵便屋さんは仕事ができたので、すこしうれしくなり、ハガキを読んだので悲しくもなった。たった一枚のハガキを郵便袋に入れて、また自転車にまたがった。
 「少年倶楽部」はそのころ、人気のあった子供たちの雑誌だった。それが戦争のためにプルメリアにはとどかなくなっていた。
 郵便屋さんは、この子供が書いたハガキが内地の「少年倶楽部」に届かないことはわかっていた。とうぶん、郵便局の棚の上に置かれたままになるしかないからである。
 ただ一枚のハガキに、なにかとても人の心にとって大切なものにふれた気がして、そのことが郵便屋さんの心をすこしばかり温かくしたのである。


〈キノコ拾い〉
 
 アメリカの戦闘機グラマンは、クマバチとあだ名をつけられていた。そのクマバチがプルメリアにも飛んできて、上空をブンブンとびまわるようになった。
 地上の人をみつければ、兵隊であれ女・子供であれ、みさかいなく、また弾丸を惜しげもなくダダダダダ、ダダダダダーと機銃掃射してくる。
 迎えうつ日本軍は、いちおう機関銃があって、なんとか飛んでいるクマバチを撃ちおとそうとするのだが、もともと弾の数が少ないものだから、よくよくねらってポツポツといった感じで撃つのである。しかも、その機関銃はしょっちゅう故障する。
 クマバチが帰っていくと、兵隊はふきんにころがっているカラの薬莢を拾って数えて、今日は何発撃ったと日誌に書きこむ。毎日、その数字はふえるのだが、クマバチはいっこうに撃ちおとせない。
 撃ちおとされる心配があまりないとなれば、クマバチのほうは好きなように飛びまわる。翼をキラキラさせつつ、ヤシのこずえをかすめるように飛んでくる。だから風防ガラスのむこうにアメリカ人の兵士の顔がまざまざと見えたとか、笑っていたとか、歯が鬼みたいだったとか…、プルメリアの人たちは逃げまどいつつも、クマバチをチラッと見た感想を語りあった。
 戦闘機から撃ちだされるのは機関銃弾だが、どうじに弾をいれていた薬莢も用ずみになって、バラバラと地面に落ちてくる。銃弾は地面の固いものにあたると、とがった先っぽがつぶれて、金属のキノコのようになる。
 こんなものは拾ってみても、なんの役にもたたない。でも、男の子たちにとっては、たとえそれが敵のものであっても、集めるのが好きである。どのあたりでクマバチが機銃掃射をしたのか、見当をつけておいて、敵がいなくなると拾いにいく。
 港の付近は、軍事施設が多く、兵隊も多いので、敵の弾がたくさん落ちていることになる。もちろん立ち入り禁止にはなっているが、男の子たちにしてみれば、そこが一番キノコを拾いやすい場所なのだ。日本兵も、子供たちが敵ではないし、気をつけろよと声をかけるが追い払うことはない。
 よくあることだが……、ここにもガキ大将がいて、ちょうど港のあたりをめぐって二つのグループが反目しあっていた。
 空襲がおわると、さっそく子供たちがやってきて、機銃弾やカラ薬莢を拾いはじめる。

 そこへ遅れてきた(と、はた目には見える)子供たちが、俺たちが先だとかなんとか文句を言って、ケンカになり、棒きれを持って追いかけたり、石を投げ合ったりの騒ぎになってしまう。やがて付近の日本兵に怒鳴られるか、次の空襲のサイレンが鳴れば、子供たちはクモの子を散らすように逃げていく。そのくり返しである。
 プルメリア人の子供たちは、そんな争いのなかには用心して入っていかない。とはいうものの、やはり弾はほしいので、日本人のいないすきにキノコを拾いにいく。
 プルメリア人の子が、焼夷弾からはじけとんだ尾びれを運良く拾った。それを持って帰ろうとしたところへ、今度は運悪く日本人の子供たちに出会ってしまった。そしてお定まりの通せんぼ。
「なんだお前ら。バカヤロ。誰の許しをもらって持って行くんだ」
「許しなんてないよ。落ちていたから拾ってなにが悪い」
「なんだとバカヤロ。それじゃドロボウと一緒だぞ。そんな言い方は」
「ドロボウじゃないよ。アメリカ軍が落としていったものじゃないか」
「バカヤロ。お前らチャモロ族が戦争してるのじゃない。日本人が戦っているんだ。お前らバカヤロは関係ないんだ。さっさと置いてかえれ」
「だってぼくらが拾ったんだ。誰のものでもないだろ」
「なまいき言うな。バカヤロ。びんた食いたいのかよ、このやろ」
 ガキ大将は早くも手がでて、焼夷弾の尾びれを持った子の胸をつきとばした。尾びれが地面にころがったところを、すかさず日本人の子がとりあげてしまった。
「なにすんだよう!」
 チャモロ族の子が一歩前にでたとたんに、ガキ大将のゲンコツがその子の口に命中した。数人のチャモロ族の子供たちは、逃げていきながら叫んだ。
「日本人のバカヤロ! お前たちなんか、みんな、みんな……、みんな」
 あとの言葉は出てこなかった。仕返しが、つまり大人が出てきての仕返しがおそろしくて、子供たちの口からあとの言葉は出てこなかった。




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2017年04月25日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第5回)


〈イヌにたのむ〉
 
 島の中央にあるプルメリア神社には、戦争がはじまってからというもの、たくさんの人が毎朝早くからお参りするようになっていた。 
 プルメリア原住民のチャモロ族とカナカ族は、スペインやドイツの時代がながかったのでキリスト教信者になっていた。キリスト教を信じないと殺すぞとおどされてしかたなくそうなったのだが、今ではそんな昔のことは忘れられ、原住民はまじめにキリスト教を信仰するようになっていた。
 日本人は葬式は仏教でやるが、ふだんは神棚をかざったり神社に出向いたりする。日本人はプルメリア人に神様をおがめとおどしはしなかったが、原住民が神社にいくのはよろこんだ。
 それで、日本人につきあって神社でおがむ人もいた。
 それはさておいて、この神社の神主はちょっとした奇人であった。行事のときは神主らしい服を着るが、ふだんはサルマタひとつの素裸ですごしていた。うしろから見ると、日に焼けて真っ黒で、チャモロ族ともカナカ族とも区別がつかない。
 立派な八字ひげをたくわえていて、街中でもそのかっこうでいばって歩く。それが神主の「主義」とかで、警察でもこの人のことはあきらめて、裸でも注意しなかった。
 その神主が、素裸で警察にやってきた。ちょうど警察の裏手では、イヌやネコがもちこまれ、急造のオリにぎっしりつめこまれて、おおさわぎをしていた。
 神主はずかずかと警察署長の部屋にはいっていき、大声で、
「署長、処分するイヌを一匹ゆずってくれ!」
 と、どなった。この人は裸で暮らすことと、大声で話すこと、やたらに笑うことが健康に良いと信じていた。署長もひげを指でひねりながら顔をあげ、ニヤニヤ笑って、
「どうするんだ、食うのかね?」
「ちがう、埋めるのだ」
「埋める? それは感心だ、供養してくれるのか」
「ちがう」
 神主はまた警察じゅうに聞こえるような大声でさけんだ。署長はなれているからいいけれど、はたからみると、まるでケンカ腰。
「生きたまま埋めるのだ、首だけだして」
「なに! 何をかわいそうな。この非常時だからやむをえず、飼い主から取り上げているんだ。生き埋めなんぞ、バカなことを」
「そうではない。国運にかかわることだ。おぬしには分からんでいい。一匹だけゆずってくれればいい」
「イヌを埋めることが、どうして国運にかかわるのか、理由を聞こう」
 署長もあまりどなられるのと、お前にはわからんと言われてムッとした。けれど、それから三〇分ばかりの神主の大演説というか、わめき散らす話にうんざりして、とうとうイヌを一匹くれてやることにしたのであった。
 神主はきげんを直して、カラカラと笑うと、巡査に一匹のイヌをひっぱらせながら、ゆうゆうと引き上げていった。
 神主は境内に穴を掘り、イヌを首だけだして埋めてしまった。イヌにおはらいをし、のりとをあげ、ちゃわんに酒を少しつぎ、塩をまいては何度もイヌに頭をさげた。
 巡査が見ている前で、えんえん三〇分もそうやって祈りをした。
 それがおわって、ふたたび素裸になった神主に、巡査はたずねた。
「なんのために、こんなことをするのですか?」
 すると神主は三白眼になり、押し殺したような声で説明をはじめた。生き埋めになったイヌに、念力でアメリカ軍を追い払ってくれるようにたのんだのだ。追い払ってくれれば穴から出してたすけてやる。だからぜひとも願いをきいてくれ。そうイヌの魂にうったえたのだ、という。
「へえー、本当にそんな力がイヌにあるんですか」
 巡査が感心して、あいづちをうった。だが、神主はそれが不満でまたどなった。
「力があるのですか、とはなんだ。うたがうのか、たわけめ。お前のような信念のないものがいるから…、信念のないものがいるからわが日本軍が……」
 しばらく真っ赤になって絶句したあと、
「きさまは国賊だ!」
 叫んで、両手をわなわなふるわせた。
 巡査はおそれをなして、チャッと敬礼して、回れ右をすると、あたふたとかけていった。
 その日の夕方には、イヌは暑さと、ひどいめにあったためにぐったりと伸びてしまい、ハエだのアリだのにたかられたまま、夜になって死んでしまった。



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2017年04月24日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第4回)


〈ドイツ人の、畑〉

 夕方。焼きはらわれたサトウキビ畑を前にして農夫の兄弟が二人、肩をおとしてしゃがみこんでいた。B24爆撃機の落とした焼夷弾で、彼らの畑がほぼ全滅になったのである。畑にふみこむと、地下足袋を通して地面の熱が伝わってくるほどだった。
「どうもなあ」弟の農夫がつぶやいた。「早くに連合艦隊に敵さんを追い払ってもらわないことには、手も足もでないのかな」
「本当に何しているんだろう、連合艦隊は。おびきよせて叩くという話だが、わしらの身にもなってほしいよ」兄の農夫はそういってツバをはいた。

「海は四方を敵に囲まれて、輸送船の出入りもおぼつかない。空は敵の飛行機がわがもの顔だ。これじゃサトウキビ畑どころか、食べ物にもこまるぞ」
「くそ、ドイツ野郎のツケをおれたちが払わされるぞ、こりゃ」
「ドイツ野郎がどうした?」
「ああ、プルメリアは日本が来る前はドイツが支配していただろ。そのドイツ人はな、プルメリアでヤシやイモやサトウキビの栽培をしていたんだが……」

「そうだな。ここの畑も道路もドイツ時代のものだな」
「お前も知ってのとおり、プルメリアは南洋の土人ははたらかない。カネなんかなくたって、バナナやパンの木がいくらでもあるのだから、それをもいで生活していればいいんだ。ドイツ人はな、だからプルメリア人がはたらかないのだと思って、バナナの木やパンの木を切り倒したのだ。はたらかないと食べていけないようにしたのだ。おかげでプルメリア人をはたらかせて、ドイツ人がほしい農作物なんかをつくれるようになったんだ。

 …さて、こういう戦時になると、なくてはならないのは食料だ。もともとプルメリアにはバナナもパンの木もたくさんあったのに、今では野生の木なんかありゃしない。もしもアメリカ軍に兵糧攻めにあっても野生の食物を食べてかなりもちこたえられたかもしれないのに、ドイツ人が根こそぎやっちゃったものだから、お手上げなんだよ、おれたちは」
「ドイツは日本の同盟国なのに……」

「何をいまさら。それにドイツは日本と同盟する前は支那をそそのかして戦争にまきこんだ張本人だった」
「あ〜あ、自然のままにしておいてくれたら……か」
「まさかこうなるとはだれも思っていなかったってことさ」
「アメリカを追い払った暁には、山にバナナやパンの木をしこたま植えよう」
「そんなことをやっても、もうからない。サトウキビから工業用アルコールをとるほうが国策でもある。それに、プルメリア人たちがはたらかなくなる」
「まったくだ」
 二人はそういって、ため息をついた。



〈しょうがないわよ、おくさん〉

「回覧板ですよ」
 表で声がしたので、洋品屋さんのおくさんは店先に出ていった。となりの床屋のおかみさんが、ねむそうな顔をして立っていた。夜も空襲の不安があるので、よくねむれなかったのかもしれない。
「あら、すみません」
「いいえ。……でもおくさん。この回覧板では、おたくで飼っているネコちゃん、始末するように言ってきたのよ、警察から」
「えっ、なんですか」

 洋品屋のおくさんはあわてて回覧板に目をとおした。
 もしもアメリカ軍がプルメリアに上陸してきたら、イヌやネコは足手まといになるから、いまのうちに殺すように、という通達であった。日本人がかくれているところへ、家族をさがしてイヌやネコが鳴いてきたりしたら、すぐにアメリカ軍にわかってしまうからだと。
「そんなこと、できないわ」
 洋品屋のおくさんはあおざめて、もう泣きそうだった。

「お気のどくですけど、この非常時ですもの。ご自分でしまつできなければ警察が処分してくれるそうよ」
「そんなひどいこと。ういちのタマは私が沖縄にいるときからかわいがって、家族同様にずっと……」
「しょうがないわよ、おくさん。あきらめるしか。だってそうでしょ、ね」
 床屋のおかみさんは、そう言いながらあとずさりして行ってしまった。
 洋品屋のおくさんは、その晩、タマを抱いて寝てやった。幸い、アメリカ軍の戦闘機は、夜はやってこなかった。 
 つぎの朝、おくさんはタマのすきな煮干しをすこし食べさせてから、泣きはらした顔で警察へタマをだいていった。



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2017年04月23日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第3回)


〈鳴き声〉

 プルメリアの中心の町ハシカルに、島でいちばん年寄りのチャモロ族のおじいさんがいた。「たぶんいちばん年寄りだろう」と島の人たちは言う。なぜ「たぶん」かというと、おじいさんは自分がいつ生まれて、いま何歳なのかを知らないからだ。
「おじいさんは、今年、いくつ?」と聞くと、
「知りません。わたしは五十から上の数を習わなかったからね」
 そんな答えが返ってくる。とぼけたおじいさんである。

 そのおじいさんが、いちばん年寄りだというたしかな証拠は、ある。
 おじいさんがプルメリアがスペインに支配されていたころのことをよく知っているからだ。
 プルメリアは、スペイン、ドイツ、日本と支配者が替わってきた。
 スペインがやってきたのが四百年前。それから三五〇年ほど支配がつづいた。かわりにやって来たドイツ人は五五年前からおそよ二〇年間プルメリアを支配した。第一次世界大戦後、ドイツに替わって今度は日本がプルメリアを支配するようになってから三〇年になる。

 だからおじいさんはきっと七〇歳くらいにはなっているはずである。 
 それだから、おじいさんはチャモロ語のほかに、スペイン語も、ドイツ語も、そして日本語も話すことができる。
 おじいさんは昔のことをよく知っているので、チャモロ族の子供にも、日本人の子供にも、よく昔話をしてくれる。
 ハシカルの町の中ほどにあるプルメリア映画館の前のベンチではよくおじいさんの姿をみかけた。おじいさんの得意の話は、スペインのころはこうだった、ドイツのころはああだった、そして今は……というようなことである。

 たとえば。
 「日本人はなにしろまじめだ。いちばん仕事をする。おかげでプルメリアはそこらじゅうがサトウキビ畑になった。工場も大きくなった。ちいさいが鉄道もできた。仕事、仕事、といって、われわれがのんびりしているのを許さない。ちょっとでも休むと、「なまけるな!」といってビンタをはる。昔は、こんなに働かなかったよ。スペイン人とドイツ人は教会へ行けの、神様をおがめのとうるさかったが、日本人といえばビンタだな」
 そういっておじいさんは、黒い顔をくしゃくしゃにしてよく笑う。

 また、おじいさんは子供が好きなので、スペインやドイツや日本の昔話をよく知っている。日本のものなら「もも太郎」とか「かちかち山」とか「花さかじじい」である。
「それにしてもな……」
 あるとき、「花さかじじい」の話を子供たちにせがまれてしてやったあとで、おじいさんはこう言った。
「ここ掘れワンワンだからな、日本人は。犬の鳴き声はワンワンだ。だがスペイン人はちがうぞ。犬はグァウと鳴くのだそうだ。ドイツ人は犬はブラフと鳴くのだと言う。

 ついでに言うと、ニワトリの鳴き声は、スペインのころはキキリキーで、ドイルのころはキーケリキー、日本になるとコケコッコーだよ。プルメリアでは……そのたびに鳴き声が変えられたのだよ。
 おじいさんはフーッとため息をついた。
「犬もネコもニワトリも、わしらは昔から同じように鳴いていると思う。犬はスペイン語で鳴いたり、日本語でほえたりはできない。なのにスペイン人は犬はグァウでなければならぬと言う。日本人は犬の鳴き声はワンワンだから、そういえとプルメリア人に教える」

 そのあとでおじいさんはチャモロ語で何かつぶやいた。でもチャモロ語を知らない日本人の子供にとっては、何を言われたのかわからなかった。
 おじいさんは、じつはこういったのだ。
「もしも、この戦争に日本が負けて、アメリカがプルメリアにやってくると、こんどは犬やニワトリは何と鳴くのだろう」


〈ヤシガニとり〉

 プルメリアでヤシガニ取りの名人と言えば、ジャンである。彼は山に入ってヤシガニをとらえ、町の魚屋に売って暮らしをたてていた。
 ヤシガニの大きさは子供の野球のグローブほどで、海にはいなくてジャングルの木の根かたや岩の間などにひそんでいる。見つけるのはむずかしい。穴にいるとわかっても、手をつっこめば強いハサミではさまれてしまう。

 そういうヤシガニをどうやってつかまえるかと言うと、砂をまくのである。
 ヤシガニは陸にすんでいるが、水にはうえている。だから雨がふるといそいそと巣穴から出てきて草の葉からつたってくる雨水を触覚で受けて、ごくごくと飲む習性がある。この習性を利用して、つかまえるのだ。
 ジャンは、海岸から砂をふくろにつめて山に入る。ヤシガニのいそうな所に来ると、おもむろに砂をパッと撒くのである。力士が土俵で塩をまくようなぐあいに。

 その砂のパラパラの音をいかに雨らしくまくかが、名人のひみつの技なのだ。
 そうすると、砂は木の葉や地面にあたってパラパラとまるで雨つぶのような音をたてる。穴でうとうと昼寝をしていたヤシガニは、「おっ、雨だ。水が飲めるぞ」とばかりに穴からはい出てくる。そこをジャンは待ちかまえていて、むんずと捕まえるのだ。

 さて、戦争がはじまったために、プルメリアでは兵隊でなければやたら山に入ってはいけないことになった。
 山じゅうが日本軍の要塞や司令所などになったからである。それでもジャンはかまわずに山の中にこっそり入っては、ヤシガニを取ってきていた。
 おかげで町のすし屋や食品店には、ちゃんとヤシガニがそろっていた。本当なら出回るはずのないヤシガニがあるのだから、これを警察が目をつけないわけがない。

 しかし警察がいくら山の中でジャンを捕まえようとしても、ジャンはうまいこと逃げおおせる。警察がいくら地団駄踏んで悔しがっても、プルメリアで一番山にくわしいジャンにはかなわない。
 それでもいよいよ戦争のようすがきびしくなって、アメリカ軍の攻撃が近づくにつれて、山の警備もげんじゅうになった。いたるところに日本兵がいて、あやしい人間をみると、かまわず発砲してくる。こうなると、いかなジャンでもうかうかしていられない。
 ジャンはいつもヤシガニをおろしている市場に行って、市場の親方に会った。

「どうしたジャン、うかぬ顔して?」
 親方は60歳くらいの日本人で、頭はきれいにはげていて、ポッコリお腹のためダボシャツの前をいつもはだけている男だった。
「いやあ、ああ、うん、だけどねえ……」
 ジャンは口ごもり、はっきりしない。
「今朝はどうした? ヤシガニを一匹も持ってこないな」
 親方はニヤニヤしながら言った。
「そうなんだ。おちおちヤシガニをとっていられないぜ。命がけだ。夕べなんか、山の中で兵隊に撃たれて、弾が耳元をかすめたよ」

「うむ」と親方はキセルに火をつけて一服吸った。「さすがのジャンも軍隊相手ではかなうまい」
「わらいごとじゃない。地雷もそこらじゅうに埋めてあるそうだし、うかつに山には行けなくなった」
「まあ、地雷はプルメリアでは埋める前に太平洋の海底にしずめてきたほうが多いようだがな。お前がヤシガニをとってくてくれないと、わしの商売もこまるからな。いつ敵の飛行機がくるかわからないから、もう船を沖に出して魚をとることもできない。今じゃ岸から釣るばかりだ。魚市場もさばく魚が少なくてどうしようもない。山からとってくるヤシガニは頼りにしているんだ」
「戦争が終わるまで、とても山の中には行けやしない」

「あほ、そんな悠長なことを言っておれるか」
「鉄砲でうたれるのはゴメンだぜ」
「当たり前だ。おれに任せておけ。山に入れるようにしてやる」
「どうするんだ?」
「日本ではな、昔からおかみを手なずける方法があるんだよ」
「……」

 親方はジャンを連れて、島の守備隊司令部にかけあいにいった。そしてみごとにジャンが山に入ってヤシガニ漁をして良い許しをとりつけたのである。
 もちろん親方はふだんから司令部の軍人にお酒を持っていったり、とれたての魚や貝をさしあげたりして、とりいっていた。それに、とれたヤシガニのうち三匹は司令部におさめることで話がまとまったのだ。
 こうしてジャンは砂ぶくろを持ってゆうゆうと山に入り、高射砲の鼻先であっても構わずヤシガニを捕まえることができた。山に入って気付いたのは、けっきょく地雷なんてどこにも埋まっていないことであった。あれは実は日本軍がわざと流したデマだったのだ、とジャンは知ったのである。

 日本軍はもうこのころには鉄製の地雷はほとんどなくて、陶器でつくった地雷が主だった。これは鉄製の地雷の半分ほどの威力しかなかった。
 アメリカ軍の戦闘機がプルメリアに姿をあらわすようになった。連日、偵察をおこない、日本軍陣地へ銃撃をくわえた。ジャンは山にはいるとき、米軍機におそわれると、近くに日本軍陣地があればなるべくそこにとびこんで身をかくすようにした。それが一番安全だとジャンは思ったからだ。

 しかし、ある日とびこんだ速射砲陣地では、そこの中隊長は司令部の上官をよく思っていない人だった。司令部は自分たちに比べて、だらしない毎日をおくっていると腹をたてていた。だから、ジャンがヤシガニの入ったふくろをかかえて陣地のすみに小さくなっているのを見て、中隊長は思わずカッとなった。米軍機が上空をとびまわっているのに、中隊長は日本刀をふりあげて叫んだ。

「出てゆけ! きさまがいると敵にこの陣地がわかってしまう」
 中隊長にけとばされてジャンは外へころがり出た。不運なことにそのときジャンは米軍機に発見されて、急降下してきた戦闘機に機銃掃射をあびた。
 それがプルメリア人が戦争で死んだ最初のことだった。



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2017年04月22日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第2回)


〈水〉

 少年は五日ほど前からハシカで寝ていた。
 ベッドのそばに窓があり、起き上がればサンゴ礁の明るい海が見わたせる。プルメリア島をとりまくリーフの外側は太平洋で、そのはるか向こうには祖国日本があるのだった。
 風が……窓のそばのビンロウ樹の葉を、パタパタ、パタパタと鳴らしつづけている。そのかすかな音に聴きいりながら、ベッドに寝ころんでいると、いつのまにか眠くなってしまうのだった。
 ハシカの熱がようやく引いて、少年がひさしぶりに窓の外をながめてみると、病気になる前とは様子がかわっていた。

 家と海岸のちょうどまん中あたりに、人が集まって何かこしらえているのであった。
 カーキ色の軍服を着ている将校もいれば、ふんどし一つの裸で材木を運んでいる兵隊もいる。
「まだ寝ていなさい」
 声がして、母親がうすい毛布をかけた。
「おかあさん。あそこで兵隊さんは何をしているの?」
 少年は毛布をうるさそうに足下へけとばしながら、たずねた。
「だめですよ。まだ熱がひいたわけではないのだから、がまんしなさい」
 それでも少年がしつこく母親にたずねると、陣地ではないかと母親は言った。
「わあ、高射砲かな、機関銃かな」

「ちがうのよ。……だれにも言ってはダメよ。あれはアメリカ軍をだますための、木でつくったおとりの砲台なんですって」
「ふーん、じゃあ、アメリカ軍をだましてそちらに目を向けさせておいて、別のところから本物の機関銃でうつのかな」
「そうでしょう。本物があれば、ね」
「え?どういうこと? だって、兵隊さんはずいぶん島に上陸したし、大砲だってたくさん内地から運んだのではないの?」
「ずいぶん輸送船がしずめられたらしいから……どうだかね」
 母親の話はどうにもたよりなかった。

「おかあさん。アメリカはこの島に攻めてくる?」
「この島には海軍の飛行場が二つもあるからね。ほうっておくまいよ」
「ぼく、少年兵になってたたかうんだ」
「ハシカになって、おかあさん、おかあさんと甘えているような弱虫ではむりよ」
「……おかあさん、水おくれ、のどがかわいた」

 母親はこまった顔をして手を少年のひたいにあてた。少年はまだ熱があるので、よく水をほしがる。しかし島にはあまり水がなかった。戦争になってからはどの家にも水は少ししか配られない。
 もともとプルメリア島では井戸をほっても水が豊富に出ない。雨水をためて使うこともあるほどだった。
 そこへ戦争がおこって兵隊が増えた。さらに近いうちにアメリカ軍が攻めてくるかもしれなくなったので、迎え討つべく島には何万という兵隊が上陸してきたのである。少し正確にいうと、プルメリアにはもとから住んでいる原住民が四千人いる。日本人が移ってきて、サトウキビをつくったり、工場をたてたり、商店をひらいたりするようになっていった。そんな日本人は二万人もいた。そして戦争のために四万人もの兵隊が送りこまれてきたのである。

 これでは水が足りなくなるのも当たり前であった。井戸はどんどん掘られたが間に合わなかった。
 もしも日本本土からきた輸送船が沈められずにプルメリアに着いていたら、今の倍の人間が島にひしめくこととなり、とうてい必要な水は得られなかったにちがいなく、皮肉なことだが、輸送船が沈められて兵隊がおおぜい死んだことが島の人たちには幸いしたのだ。

 プルメリア島には、ヤシの木がたくさんはえていて、飲み水のかわりにヤシの実のジュースを飲むことができる。ヤシの実を両手でもってふれば、中のジュースがたっぷたっぷと音をたてる。ジュースはわずかに甘い。しかし、その量はコップ三杯か五杯くらいである。そのヤシの実も日本兵にとられて、みるみる減っていった。 
 島民や兵隊にはきびしい節水令が出される一方で、井戸や水源の持ち主は軍さえ頭を下げにくるので、親切な人がいる半面、なかにはたかぶり、人を見下すようになった人もいた。だからますます水は貴重になった。

 母は台所から湯ざましの水の入った一升びんをもってきて少年に飲ませた。
「今はこれだけ、しんぼうしてね」
「もっとほしい」
 少年が湯のみに手をのばしかけたところへ、だれか人がやってきた。母親は一升びんを持ったまま、玄関に行ってしまった。少年は父親が帰ってきたのかと思った。父はサトウキビからアルコールをつくる工場の技士なのだが、今はそれどころではなく、軍の命令で一日中弾薬を運ぶのを手伝ったり、道を直したりしていた。
 だが、父親が帰ってきたのではなかった。母親は陸軍の将校を一人つれてきた。プルメリアのひげをはやした役場の人もいっしょだった。

「あっ、あれが蓄音機だ」
 役人はつかつかとタンスの上の蓄音機に歩みよって言った。
「これで閣下もよろこばれるでしょう。どうです少尉。ついでにレコードも借りましょう」
 聞かれた将校は、すこし遠慮がちに少年の母親に頭をさげた。
 母親が答える前にもう役人が「おい」と部屋の外に声をかけると、よれよれの軍服を着た兵隊が二人はいってきた。

 役人は「これ」とだけ言ってあごをしゃくった。蓄音機とレコードの入った木箱を兵隊にかつがせた。さらに母親にこわい顔でこう言った。
「このたび、プルメリアに着任された中将閣下は、音楽を聴くのがご趣味だそうでな。ところが日本から運ばせた蓄音機もレコードも、途中で輸送船がボカチンにあって海の底に沈んでしまった。そこで、わしがこちらの家で蓄音機をもっていることを、少尉におしえたのだ」
「きみのレコードもあるのだろうが」と少尉は少年をみながら言った「しばらく借りる。アメリカとの戦に勝ってから、返しにくるからね」 

 少年はだまっていた。
 役人は、母親の手から水のはいった一升びんをみつけると、
「奥さん、少尉殿に水をさしあげんかい。気のきかんことだ」
 母親はいそいで湯飲みに水をついで、少尉にわたした。
 少尉は礼をいって水を飲みほした。レコードをかついだ兵隊たちは、視線をはずしてどこか遠くを見ているふうにした。
 役人は母親の手から一升びんをひったくると、自分でふたをして、
「あんたも知ってのとおり、軍では一升びんだって貴重な物資だ。プルメリアを守ってくださる軍人さんには、不自由な思いをさせてはいかん」

 そういって、びんを少尉にわたしてしまった。
「おかあさん、ぼくにも水をちょうだい」
 少年がそういうと、母親はあわてて叱りつけた。
「お前はだまっていなさい」
 するとひげの役人は声をはりあげて少年に指をつきだした。
「そこのお前! ひるまから家でなにをごろごろしておるのか。島じゅうの人が軍に協力して、汗みずくになってご奉公しているというのに。子供でもやることはあるはずだぞ。なんたることだ」

「この子はハシカにかかっているので」
 母親があやまるように言った。
「ハシカ? ハシカなどは……精神力で直すッ!」
 役人はそう言ってまたどなった。
 少尉は「失礼しました」と言って敬礼し、部下の兵隊を促して部屋から出ていった。かれらを送ってから、母親はもどってきて、肩を落として少年に言った。
「やたらに水のことをいうのじゃないよ。家にかくしてある水もみんな持っていかれたらどうするの。蓄音機がなくても死にはしないけれど、水はいちばん大切なんだからね」

「うん、でもぼく、のどがかわいたよ」
「しんぼうするしかないよ、お昼になったら少しあげるから、そのときまでね」
 「おかあさん、ぼく、死にそうにのどがかわくよ。水おくれったら、ねえったら」
「さあて、どこかでびんでも探してこなければ」
 母親はそういって出ていった。

 窓辺で、ビンロウ樹の葉が、パタパタと鳴っている。風はかたときもやまない。裏庭のブタ小屋のにおいがときどきするのは、風向きがちょっとかわるせいなのだろう。少年はビンロウ樹の葉の鳴る音を聞きながら、また、うとうとしている。



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2017年04月21日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第1回)


はじめに

 この小説は、筆者の若かりしころの作品である。一九九〇年に公表した作品なので、筆者はまだ四〇代になりたてのころだった。
 小説とはいいながら、小学校高学年から中学生くらいを念頭に置いた作品である。

 『あのころはそれがプルメリアだった』は、大東亜戦争のころの、南洋のある架空の島(プルメリア)を舞台にしている。プルメリアは美しい白い花をつける南洋の樹木であるが、架空の島の名として借りた。そこは日本が統治していた島だが、戦争末期に戦場になった。その島で人々はいかに暮らし、いかに考えたかを語っている。事がことだけに愉快な話はほとんどない。
 また、「あのころ」のことについて語っているが、これはただ何十年も前の話として終わるものではないと、作者は思っている。
 全部で20話で構成されているが、ブログでは少しずつアップしていく。


〈沈没〉

 ついさきほど出航した輸送船は、アメリカ潜水艦の攻撃を受けて沈没してしまった。
 これが、プルメリア島から日本内地に民間人を帰らせるための、最後のこころみだった。それから三週間ほどして、アメリカ軍が島に上陸作戦を始めたからだ。
 最後の輸送船は、あけぼの丸といった。あけぼの丸は、日本内地からほかの十隻の船とともに兵隊や兵器をぎっしり積んで出航したのであった。けれども、そのうちの七隻がプルメリアに来る途中でアメリカの潜水艦にしずめられ、さらにプルメリアの港に停泊中に別の島へ転送されることになり、あけぼの丸だけが内地に帰ることになったのだった。

 あけぼの丸が出航していって、船の上で手をふる人の姿がわからなくなるほど遠ざかると、島にのこされた人々は、三々五々に桟橋付近から散りはじめた。
 桟橋付近には、あけぼの丸から陸揚げされたばかりの機雷や弾薬などは山積みになっていた。
 それを裸に近いかっこうの兵隊や朝鮮人労務者が汗を流しながら軍用トラックや水牛につないだ荷車へ運び出している。 

 朝鮮人労務者は主に海軍の飛行場をつくるために朝鮮半島からやってきていた。外地でもあり軍の仕事であるので、給料は悪くなかった。
 あけぼの丸が水平線から消えていこうとしているのに、なお浜辺のあちこちに女の人たちがたむろしておしゃべりをしていた。 
 女たちはよれよれの木綿のシャツに汚れた感じのモンペ、足には何もはいていない。顔は日に焼けて黒く、しわは深く、肩は重そうだ。目は熱帯の太陽のまぶしすぎるのを嫌っていた。
 丸裸の子供たちが、母親のまわりですもうをとったり、豆つぶほどの砂ガニを追いかけたりしていた。
 そのうち、ふいに子供たちが立ち上がり、沖のほうを指さして叫びはじめた。

「かあさん、あっちのほう、すごいけむりが出ているよ!」
「けむりだ! けむりだよ!」
 女たちもすぐに気付いてさわぎ始めた。桟橋のあたりではたらいていた兵隊たちもおもわず足をとめて、水平線にひとすじ立ち上った真っ黒なけむりに目をみはった。
 だれかが一声叫んでかけだすと、それにつられて女達はバラバラと砂をけって走りだした。高い所へのぼれば船が見えるかもしれないと思ったのだ。

 でも息せき切って山道をのぼろうとした人たちは、山道のとちゅうの軍の関門所で止められてしまった。山の中には軍の施設がたくさんあるので、そうかんたんには高いところへはのぼっていけなくなっていた。
 女たちはふりかえって海のかなたを見やった。ちいさな船がすさまじい黒いけむりをあげていた。
 関門所の兵隊が女たちに手をふってどなった。

「きさまたち、そんなところでなにをしとる。向こうへ行け。何をもさーっとつったっているんだ。ばかもんが。輸送船の一隻や二隻沈んだのがめずらしのか」
 兵隊のふきげんな声に追い立てられて、しかたなく、みんなぞろぞろ山道をおりていった。

 輸送船に乗れた人々は、これから間もなく戦場になるはずのプルメリア島から、逃げだすことができた幸運をかみしめていたにちがいないのに、今は沈みゆく船のなかや、投げ出されて浮かぶ海の上でどれほどの苦しみや恐怖のなかにいるのか。だれもわかることはできない。悲鳴ひとつ聞こえてこない。
 ただ天をつくけむりがもくもくとあがっているのが見える。

 サンゴ礁の海はあくまで澄んで青く、波しずかであった。
 やがて、あけぼの丸は見えなくなり、船があった付近の上空に、ぽっかりとけむりが残って、船をのみこんだ海面を見おろしているかのようだった。



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2017年04月17日

本当に米朝戦争になるのか?


 北朝鮮の核開発については、私は容認派である。もちろん感情的には不愉快極まるけれど。
 米露英仏、それに支那だけが核兵器を独占してよろしくて、ほかの国は許されないなんて不当な話はない。
 北朝鮮が核兵器を持つなら、日本も持てば良い、それが私の考え方だ。

 まして、大陸間弾道弾のような長距離を飛ばすことのできるミサイルを、北朝鮮が持つのは許さないなんてことは、本来的には米国や支那のほうが横暴である。
 ただ、わが国にとっては、北朝鮮が敵性国家であるだけに、対応措置をとらねばならないということだ。アメリカや支那の尻馬に乗って「北の核開発は容認できない」とか、毎度「厳重抗議」などと言うのは、間違っている。

 だけど、日本は馬鹿げ切った憲法9条があって、武力を持てないし行使できないので、北朝鮮に「持つな」とお願いするしかできないから、おかしなことになる。

 4月15日が「Xday」ではないかと、マスゴミは騒いだ。北朝鮮が核実験をするかICBMの発射実験を行ない、アメリカが怒って金正恩の「斬首作戦」を強行するのではないかというのだった。
 私はむしろ、トランプ大統領がカール・ビンソン空母打撃群を朝鮮近海に呼び寄せた段階で、これは金正恩を直接攻撃するつもりはないと思った。

 まして、極東に配備されている空母打撃群のロナルド・レーガンは今は横須賀で敵点検中である。それが終わるまでは少なくともアメリカは北に攻撃を仕掛けることはないはずだった。次は4月25日の北朝鮮軍の創設何十周年が危ないとマスゴミは言うが、たぶんそれもあるまい。
 アメリカが北を攻撃するとすれば、空母ロナルド・レーガンが点検を済ませて復帰してからであろう。

 また本当にやる気なら、作戦は隠密に準備していくだろう。だから空母を朝鮮半島に展開するとか、グアムにステルス爆撃機を用意させるとか、国務長官らがあらゆる選択肢がテーブルに乗っているなどと発言したことは、ブラフだろうと。
 Xdayが予測できるのなら、韓国にいるアメリカ人へのひそかに脱出させるだろうに、それもしなかった。

 米中首脳会談で、トランプは習近平に北朝鮮を押さえてくれたら、米中貿易交渉で譲歩してやってもいいとまで言った。つまり、アメリカは北朝鮮の核開発力やそのレベルを実は正確にわかっていて、脅威ではないことを知っている。だから、北の存在は肝心の貿易交渉や為替操作問題を有利に進めるための仕掛けでしかないのだ。

 もちろんトランプにとっては、北朝鮮が今にも暴発するぞという状況は、対日経済交渉を有利に進めるためには、必要な状態である。

 歴代アメリカ政権は、北朝鮮はけしからんと言いながら、イラク、イラン、その他中東諸国を武力攻撃したようには武力行使をしたことは一度もない。それは北を生かしておくほうが、あるいは「ならずもの国家」としておくほうが、アメリカの軍産複合体にとっては有利で便利だからである。
 支那に対してもさまざまなカードにはなるし、日本や韓国を脅すのにも有効だから、金王朝を存続させてきたのだ。

 それが長年、ネオコン(主に共和党主流派)とそのバックにいる国際金融資本の意志であった。ネオコンとは一線を画そうとしているトランプが大統領になった。果たしてネオコンを押さえた外交ができるかどうかが一番気になることだが、日本のマスゴミはほとんど触れないまま、さあ戦争になるかも、と騒ぐ。

 私が見るかぎりでは、保守系の論客で北の危機に関して、ネオコンや国際金融資本に言及しているのは、馬淵睦夫氏(元ウクライナ大使)だけである。ほかの論客は表面的なことばかり言っている。
 米朝たがいに「相手の動きを牽制する狙いがある」とマスゴミはそればっかり。それを表面的解説というのだ。

 
 馬渕氏はまた、イスラエルの動きにも言及していた。つまり、イスラエルにとっては、中東諸国のアラブ諸国、イランやシリアなどが核武装することは阻止しないとまずい。ところがそういうアラブ諸国と交流があって、核やミサイルの開発で協力関係にあるのが北朝鮮であるから、イスラエルとしては北朝鮮は叩きたい国なのである。

 トランプ政権に娘婿のクシュナーを入れたのはイスラエルの差し金だろう。クシュナーはユダヤ人だから、イスラエルのために働く。イスラエルはトランプに北朝鮮の攻撃を後押しするに違いない。したがって、アメリカはこれまで北朝鮮を影で庇護してきたが、イスラエルにとって死活的問題のイランやシリアの核武装を阻止するためには、政策を転換して北朝鮮を屈服させる必要ができてきたのではないかと思う。

 私にはアメリカは大騒ぎするほど、北朝鮮を脅威とは思っていないだろうし、別に金王朝を転覆させなければならない差し迫った必要がありそうではない。
 だからアメリカにとっては、もしかしたらイスラエルとか、支那とかロシアとかとの関係のなかで、北を叩いたほうが良い理由があれば攻撃を行なうだろうというのであって、直接にアメリカ自身が脅威と感じているからではないように思える。


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2017年04月15日

コーヒーと私


 久しぶりに投稿しますが、まだ本格的な復帰とはいきません。
 たくさんの方から、コメントで激励をいただき、大変嬉しく励みになっております。
 しばらくしたら、本ブログで昔書いた拙い小説を分載しようかと思っております。

    *     *

 私は現在はコーヒー党である。毎日、必ず1杯のコーヒーを自分で淹れて飲むのが愉しみになっている。
 普通の人はまあ、コーヒーが好き、紅茶がおいしい、ということで好むのだろうが、私にとっては特別の思い入れがある飲みものなのだ。
 30歳代までは紅茶党だったが、あるときを境にコーヒー好きに変わった。

 それは私が空手を始めて4年が経って、黒帯を締めることが適い、さらに無謀にも指導局に入局することを希望して、思いがけず南ク師範から許可していただいたときからだった。
 指導局の会議や学究の方たちとの合同のゼミに参加すると、早朝の目覚めの1杯や休憩時に、コーヒーを飲むのであった。

 全員のコーヒーを淹れて配るのが下っ端の仕事だった。それまで紅茶に親しみ、コーヒーは淹れたことがなかったので、始めは戸惑った。おおぜいの分をコーヒーメーカーで創るぶんにはすぐに慣れたが、少人数や南ク師範のためにドリップ式で私が淹れるのは常に緊張した。

 わが空手組織では、南ク師範が創案した独自のコーヒーの淹れ方があるので、それに習熟しなければならない。その淹れ方も、形ばかりならすぐに真似ることはできても、肝心なのは心を込めて淹れる、これがむずかしい。
 そのため、自宅でコーヒーを淹れる練習をする羽目になった。いかにしたらおいしく淹れることができるかを毎日心を砕いて練習するうちに、自分でもコーヒーが好きになった。

 こうしてコーヒーを淹れることで、心をこめることや、人の気持ちをわかろうとすることができるようになる訓練につながるのであった。
 昔は花嫁修業として、娘たちは茶道、華道をならわされたものだった。子供のころは私もそんな習い事をしてなんで花嫁修業になるのとバカにしていたけれど、自分が人のためにコーヒーを淹れる経験をしたおかげで、なるほど茶道、華道もやりかた次第で、人の気持ちがわかるようになる大事な花嫁修業だったのかと理解できるようになった。

 他人の気持ちがわかるようになるには、自分の思いだけでは難しい。そこを、花の活け方やお茶のたて方を媒介にして実践することでいわば壁を乗り越えるのである。
 こうした実践そのものが、まさに弁証法の修得過程につながるのである。

 これらを意識して意図的にやってみなければ、ただ本を読んだだけでは弁証法はものになっていかない。
 たかがコーヒーを淹れて飲むことでも疎かにせず、目的意識的に直接には他人の心がわかるように、間接的には弁証法が身に付く修行なのであった。
 

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