2017年04月27日

小説『あのころはそれがプルメリアだった』(第7回)


〈日本機、去る〉

 プルメリアの朝はとても早い。
 灯火管制のために、月のない夜は街中でも、墨を流したような闇だった。その闇の中を不寝番の兵隊だけが起きている。そして満天の星空がわずかに白みはじめたかというときに、早くもニワトリがトキをつげる。あちらこちらで。
 風はまだ昼間のようには蒸されておらず、熱くない。むしろ冷えて、形さえはっきりしているような新鮮な心地よさである。牛が乳しぼりのさいそくに、モーモー鳴きだす。小鳥たちの中では寝坊のスズメも、軒先でさえずりはじめる。
 島じゅうに蒸れかえっている軍隊の匂いは、まだ立ちあがってこない。陽がのぼると、やがて蠅が人間や牛や糞や食べ物にびっしりとまとわりつき、軍隊の皮革や汗や汚物からたちのぼる強い匂いが、ものの形をくずしていくだろう。
 朝のきざしよりも、夜の影が濃いそんな時間に、ときならぬ飛行機の爆音がひびきはじめた。人々はおきだして、不安そうに空をあおいだ。米軍機がやってくるには早い。空襲警報も出ていない。爆音もちがう。ガーガーと、音だけで米軍機より性能のわるそうだとわかる日本の戦闘機が、上空を旋回していた。翼に日の丸がみえる。
「来たんだ」
「そうだ、とうとう来たんだ」
「援軍なのね」
「もう大丈夫だ。遅かったじゃないか、ちくしょう」
「来た、来た、来てくれたのよ」
 十やがて二十と戦闘機は増えていった。ピョンピョンはねまわる子がいる。ランプに灯を入れて振り回して、たしなめられる人がいる。音の出ないように手をうってははしゃいでいる人がいる。腰にさげた手ぬぐいで、涙をぬぐっている人がいる。
 しかし、およそ二十機の「大編隊」は、ふいに機首を西にむけると、朝焼けの空をあとに水平線をめざしてとんでいった。
「どういうことかしら?」
「敵に攻撃をかけに行ったのか」
「内地から着いたばかりじゃなかったのか?」
「日本軍のやることはいつだって、こうだ。おれたちにゃわけがわからない」
 それっきり「大編隊」はもどってこなかった。明るくなると、あいかわらずアメリカの戦闘機や軽爆撃機が、暑い日ざしの中を疲れもみせずにとびまわった。迎えうつはずの日本機は、ただの一度もとびたたなかった。
 2〜3日たって、島の人たちはどうやら真相を知ることができた。それは、陸軍の将校が、海軍航空隊をののしる言葉を、あちこちでしゃべったからだった。
 もはや、プルメリア島には飛べる日本の戦闘機は一機もいないとのこと。あの朝の編隊は、米軍上陸にそなえての逃亡であったこと。それを陸軍の将校は憎んで、言いふらしたのである。もしもアメリカ軍のスパイが聞いたら、これだけ情報が筒抜けでは、かえってびっくりしたにちがいない。しかし、「逃亡」と言ったのは、陸軍の将校であって海軍航空隊は、プルメリア島守備隊より上の南方方面軍の指示による作戦のための「転進」だったと言いはった。そして、プルメリア島のなかで、海軍と陸軍はますます仲がわるくなった。
 軍用機には無線電信が積んである。ダイヤルをうまくあわせれば、アメリカ軍が日本軍向けにながしている放送を聞くことができる。
 アメリカ軍の放送は、こういうことを言う。
「〇月〇日、米軍は〇●島を攻撃する。島の日本軍の兵力はこれこれである。われわれはその20倍の戦力で攻撃する。君たちにはぜったいに勝ち目はない。戦うだけむだである。降伏をすすめる」
 この放送をこっそり聞くことができるのは、飛行機に乗れる将兵だけであった。敵の放送を聞くことは禁じられていたが、空の上ならみつからなかった。泥まみれの陸軍の兵隊にはわからないことだった。
 ……ニューギニアでもそうだった。クェゼリン島でもそうだった。ペリリュー島でもそうだった。マキン・クラワでもそうだった。ことごとく米軍は放送で予告し、そのとおりに攻めてきて、あげくに日本軍は全滅してきていた。例外はなかった。それは航空隊の飛行兵なら知っていることだった。
 で、今度はプルメリアの番だと放送は告げたのである。
 だから、海軍航空隊は、プルメリアの守備隊から抜けていったのである。プルメリアの住民はむろんそんな予告放送のことなど知らない。知っている人だけが逃げた。


posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする