2017年05月22日

ロウハウニはなぜ“師”なのか


 20日、イランで大統領選挙が行なわれ、ロウハニがライシを破って再選された。
 そのこと自体には関心がないけれど、日本のマスゴミがイランの指導者を「ロウハニ師」とか「ホメイニ師」などと名前に“師”を付けるのが、どうにも違和感がある。

 今度も「ロウハニ師」と「ライシ前検事総長」の一騎打ちなどと記事に書いていた。ライシを前役職で表記するなら、「ロウハニ」は現大統領、とすべきである。なぜ、われわれ日本人にとっては宗教上の聖職者でもないのに“師”と崇め奉らねばならないのか。
 イスラム信者がほとんどいない日本で、わざわざイランの宗教指導者を“師”と尊称をつければ、事情を知らない外国人は「日本はイスラム信仰の国か」と誤解するだろう。あほくさ。

 イラン人は“師”と呼ぶのだろうが、日本人にとってはそんなことはどうでもいいから「氏」というべきである。先のフランス大統領選挙だって、「マカロン氏」「ルペン氏」と表記していたではないか。なんでイスラムの指導者には“師”となるのかが不明である。
 そんなに卑屈になる必要がどこにある?

 日本のマスゴミ記者はアタマがおかしい。害務省も、“師”で統一して呼称としている。奴らは宗教指導者を特別な、尊敬すべき存在と思いこんでいる。
 もしそういう表記が妥当だというのなら、オウム真理教の麻原は、何をやろうとも「麻原尊師」と表記しなければならないではないか。

 信仰の自由は保障されねばなるまいが、関係ない、信者でもない人間が、奉るべきを強制される謂れはない。
 新聞・テレビは、惰性でこういう表記をしているのだろうが、ホメイニやロウハウニがどれほど非道な政治をやらかそうが、変わらず“師”と、最上級の尊称をあてる。
 これでは「大統領」や「首相」より上だということになりかねない。

 むろん、ローマ法王とか、なんとか大僧正と役職名で呼ぶには構わないが、イランの指導者だけ一般名称として“師”と呼ぶのは間違っている。
 イランの場合は独特の風習があって、イスラム指導者を役職名で呼びにくいのは分かるが、だった「氏」で十分である。

 日本人からみれば、イランはいまだに政教分離ができず、女性の人権も配慮されているとは言えまいが、それはその人たちの問題であって、外野が口をだすべきではない。どうぞご勝手に、である。
 だが、その奇習をわれわれに強いられるのはゴメンこうむりたい。

 創価の池田大作を、マスゴミが「池田師」と表記したら(呼称を強制されたら)、おかしいだろ。それと同じだ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする