2011年08月25日

開高健、心の闇の正体(4/4)


《4》
 開高健は自分の鬱病を医者にもいっさいかからず、薬にも頼らずに治した…のではなく、開高流の言い方をすれば「うっちゃった」のであった。薬には頼らなかったとはいえ、アルコールには頼りっぱなしだったが。

 まして開高は無類のタバコ好きであった。若年のころからヘビースモーカーだったようだ。私はタバコはいっさい吸ったことがないのでよくはわからないが、紫煙をくゆらせている「至福の時間」というものは、内面との対話には格好のおもちゃなのではないか。激しい運動をし、外界を反映しながらではタバコは吸っていられない。勢いタバコは静止してじっくり内界の反映(心のなかでの自問自答)を促しているかのようになる。
 だから鬱というものを、ある種仮病でやっている人にとってタバコはそれにどっぷり浸らせてくれる薬にもなってしまうのではないか。

 『開高健の憂鬱』の著者・仲間秀典氏は、開高の精神病についてこう説く。
 「開高のこのような性格特性を考慮すると、彼の五十八年十一ヶ月の生涯のなかで、躁鬱の双方の病相の時期が存立したと推察すること、言い換えると躁病を一つの病相として含む双極性躁鬱病と診断することは、臨床的に十分可能である。
 
 前者はこのような躁と鬱の並存を基盤とした仮説であり、『輝ける闇』を執筆する数年前に軽躁状態に陥り、行動意欲が高揚して頻繁に海外旅行を試みたとする推論である。開高が一生のなかで鬱状態と軽躁状態を数回繰り返したとみなす山田和夫は、彼を典型的な「内因性躁鬱病」と診断している。」

 開高は躁期と鬱期で作品を書き分けていたらしいのだ。その時期がどうなっていたかは、仲間氏の著作に詳しい。

 さて、私は作家・開高健は本当はどうやって鬱状態から(薬を使わずに)脱出すべきだったかを最後に書いて本稿を終わらせたいと思う。
 開高を評した作家や評論家は共通して指摘することだが、小説を書こうとして部屋に閉じこもって原稿用紙に向かっているときは、気分が鬱になるのである。そこで彼は戦争ルポを書くためや、釣り竿片手に世界中の海や河を渡り歩いたのだが、その間は見事に鬱から抜け出ているのである。

 取材とルポを書き終えて、また本業のノンフィクションを書こうと机に向かうと、鬱に襲われる。その繰り返しだったようである。

 開高は書いている。

  *     *     *

 ……石川淳氏と会って酒を飲んだとき、バクチでもいいから手を使えと孔子が言っているぞ、と聞かされたことがあります。……これがその夜の私にはたいそうひびき、いまだに忘れられないでいます。ヒトの心のたよりなさ、あぶなっかしさ、鬼火のようなとらえようのなさをよく見抜いた名言と感じられたのです。

 孔子が太古の異国の哲学者というよりは現代の最尖鋭の精神病理学者のように感じられたほどです。現代人は頭ばかりで生きることを強いられ、……これでは発狂するしかありません。発狂か、自殺か、または、そうでなくても、それに近い状態で暮らすか……孔子のいうようにバクチでもいい。台所仕事でもいい。……手と足を思い出すことです。それを使うことです。私自身をふりかえってみて若くて感じやすくておびえてばかりだった頃、心の危機におそわれたとき、心でそれを切り抜けたか、手と足で切り抜けたか、ちょっとかぞえようがありません。

 落ち込んで落ち込んで自身が分解して何かの破片と化すか、泥になったか、そんなふうに感じられたときには、部屋の中で寝てばかりいないで、立ちなさい。立つことです。部屋から出ることです。
 (『知的経験のすすめ』)


    *      *      *

 鬱から抜け出すのに、手と足を使えとは、まあいい線はいっている。実際、開高はそれで自分をある程度治したのだろうし、部屋から出てもまた部屋に戻ってくるから、同じことの繰り返しだったとしても、当たらずとも遠からずの正解には近かった。

 孔子が鬱の治し方を言ったかどうかは定かではないし、石川淳氏も半端なことを呟いたものであった。
 開高が自宅の部屋にたれ込めて小説を書こうとすると鬱に襲われるというのは、一つには結婚した相手が悪すぎたせいもあろうし、だから開高が何人も愛人をこしらえて逃げたせいもあるが、それはこの際、どうでもいい。

 精神病の原因を考える際に、大事なことはあくまで認識とはいかなるものか、という学問としても捉え方である。
 認識は対象の反映であるというのが、認識形成の原理である。だから開高が鬱になるのは、まずは外界の反映に依るのだ。
 開高が海外へ出かければ反映が強烈に変わるから、認識が大きく変化するのである。だから毎日嫌な奥方と顔を突き合わせていなければならない自宅にいれば、反映したくない事物事象を24時間反映してしまうから、(簡単に言えば)憂鬱になってくる。海外へ出れば、もしかして愛人ともおおっぴらに逢えるし、同伴もできようし、異国の風物に接してウキウキした感情のままに反映するので、憂鬱は解消されるのだ。

 それと孔子が言ったとかいう「手や足を使え」というのも、これは末端の感覚器官を磨くからである。自宅にいて、ゴロゴロ寝転んで、酒とタバコの日々を送っていれば、手も足も使わなくなって、感覚器官は極端に鈍くなり、だから外界の反映も悪くなり(反映しなくなり)、自分の内界の声にばかり耳を傾けるようになる。

 ただし「バクチでもいいから」はお粗末な譬えである。何もしないよりいいかもしれないが、本当は意図的意識的にこれまでやったことがないような手と足の動きをすることなのである。
 開高が趣味とした釣りは、やらないよりいいレベルである。河の中を移動するのは多少運動にはなるが、河の中でじっとしていなければならないから、あまり運動にはならない。

 海での釣りは船に乗るだけで動かないからダメだ。とはいえ、作家として机の前に座り続けてまったく運動しない生活をしている職業の御仁にはそこそこの運動にはなったのだ。
 だから開高は海外に出ると鬱が軽快した。

 ここでも開高は、惜しむらくは、いささかも論理的にはならなかった。ただ己の経験と感覚に頼っただけである。
 開高は「台所仕事でもいい。……手と足を思い出すことです。それを使うことです。」と言いながら、実際は台所仕事はやらなかったようだ。嘘はつくなよ、である。

 自分で料理でも作れば、もうちょっと鬱で苦しまなくて済んだのに。あろうことか稀代のグルメになって、他人が凝りに凝った料理にいい気なって舌鼓を打ったために、鬱も治せなかったし、短命で終わってしまったのだ。

 それから開高は晩年、背中の痛み「バック・ペイン」に悩まされて、水泳を始めたようだが、水泳で体調は整えられても、体の歪みは治せまい。部屋にたれこめてじっと座っているよりは遥かに良いけれど。
 内臓の疾患が彼の言う「バック・ペイン」になっていた可能性もあったのだろう。
 晩年は鍼灸にも通って治そうとしたとエッセイに書いていたが、鍼灸師に治せる技量がなかったか、いくら治そうにも彼自身が宿痾たる「憂鬱」を抱えていたのでは、どうにもならなかったのか…。
 
 最新刊の「綜合看護」に南郷先生が「“夢”講義(51)」で説いておられるが、ラジオ体操のほうが「整体」には良かったのではないかと思う。

 みなさんもラジオ体操は毎日1回はやって「整体」したほうがよいのです。岡目八目さんにうかがいましたが、夜ラジオ体操をやってから寝ると良いそうです。





posted by 心に青雲 at 06:54| Comment(1) | 評論 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
久しぶりに拝見しました。あらゆる話題に精通していて、とても面白いです。
どこからこんなに沢山の知識を得るのか本当に驚きです。悩みの相談もしたい位です。相談したら乗ってもらえますか?
Posted by きこ at 2011年09月08日 01:02
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