2011年08月27日

円高は誰のために起こされているか(2/3)


《2》
 そもそも、日本経済は輸出産業に牽引されているし、それが国家の利益になるとインテリも大衆も思い込んでいるが、そんな考え方はもう古いし、第一弁証法的ではない。
 経済を動かざるものと勘違いしている。

 現在は、輸出産業と輸入産業の売上高はほとんど同額になっている。
 2009年の財務省の統計では、輸出総額は54兆1706億円、輸入総額は51兆4994億円である。
 輸入ばかりでは赤字になってしまうという心配があるのだろうが、世界の経済構造、産業構造はいつまでもそうではあるまい。

 世界中が持ちつ持たれつになって互いに発展すればいいではないか? 日本だけが貿易黒字になっていれば安心で、日本の相手国は必然的に赤字になればいいのか?
 
 日本のような経済大国が、資源はあるが貧乏な後進国から先ず輸入することで、相手国も豊かになって日本のものを買ってくれるようになるではないか。
 相手国は、日本が輸入してくれなくなったら自分の国のものが売れなくなって困る。だから日本から優れた製品を買えば、その原料になるものを自分の国から買ってくれる。
 必然的に貿易の総量が多くなる。これでいいではないか。

 そういう互恵関係になっている。
 こう捉えるのが、素朴ながら弁証法的な捉え方であるし、まともな商人(あきんど)のやり方である。

 貿易の総量が増大することが経済の発展の礎であるという考え方を、中国は(共産主義を捨てて?)とったから、大躍進を果たした。ただやつらはカネも技術を借りて、踏み倒す手口でここまでのし上がったが、それはユダヤ金融資本が認めたからでもあった。
 アメリカをそうしたように、中国を肥えたブタにしていずれ、がっぽり資産を奪い取る計画だからであろう。 
 
 話を戻せば、なぜ円高は大変だとか、日本は輸出で成り立っている国だとかいう説を、政治家も官僚も経済学者も、またメディアも金科玉条のごとく唱えるかと言えば、ここでも主として旧通産省(現在の経済産業省)の権益に関わるからだと、日下公人氏が説いている。

     *      *     *

 貿易黒字を増やせば良いというのは、通産省(現・経済産業省)の思い込みである。通産省は戦争直後は貿易庁と言ったくらいで、貿易を自分が管理していると思っているが、なぜ「貿易はバランスで良い」と言わないのか。

 それは、貿易で輸出を増やすほうに、通産省の権益があるからである。通産省は輸出振興にたくさんの税金を使っているので、大学生の頃、私はこんな輸出振興は国民にとっては損だと主張していた。
 だから、今、円高になって輸出が少なくなって黒字がなくなることを喜んでいる。

 円高対策として、企業はどんどん海外進出をしているが、発送を変えて、生産品目を変える道もある。同じモノをいままでどおりつくろうというのは、会社の中に年寄りが多いからである。

 たとえば、トヨタが、同じ自動車をつくるのでも、これからは軽自動車をつくればいい。(中略)今はようやく、2011年秋からダイハツから供給を受けて、トヨタは軽自動車を売ることになった。
 つまり、企業にフレキビリティがない。それはフレキシビリティのない社員が多いからである。

 これが年功序列の悪いところで、アメリカであれば「もう君の仕事はないよ」とクビにしてしまう。仕事がないというのはクビ切りの一番の理由で、「この部門は閉鎖です」となる。しかし日本では、クビにしてはかわいそうだから、「何か新製品を考えろ」と別の部署に移動される。

 昔の人はそこで一所懸命に考えて新しい仕事を作った。しかし、このごろの人は「無理です。私にできる仕事を言いつけてください」と言う。「それではおまえ何ができるんだ?」と聞くと、「教えてください」になる。 手取り足取り教えてくださいと言う。
  (中略)

 イギリス人のように、日本人も「構造転換はなるべくしたくない」国民になってしまったのだろうか。イギリス経済は沈没しているが、日本経済もそれを見習うのか。
 そうならないためには、発想を変え自分を変えればいいのである。
 (『2011年〜 日本と世界はこうなる』WAC刊)

     *      *     *

 日下氏は、日本経済が沈没しないためには「発想を変え自分を変えればいい」と説くが、私はこれはもうほとんど不可能であろうと思う。
 イギリス人がそうであったように、変われないのである。一度隆盛を誇った国家は、必ず衰退してゆくからである。それが歴史の必然である。
 
 誰もが、日本はこれではダメだと思いつつ変わろうとはしない。
 問題はユダヤ金融資本の言いなりに「羊毛刈り」にあっていることとか、官僚支配国家だからだとか、在日に支配されているとかが日本のクビを締めているということなのに、新聞の言いなりになり記事を鵜呑みにして、本当のことをわかろうとしない。

 円高は困ると騒ぐのは、官僚が経済評論家やメディアを使って大衆を洗脳しているのであり、それは国家の大計のためではなく、アメリカの利益のためであるし、また自分たちの権益を守るためであると言ったとて、「まさか」の一言で見向きもしないのだ。
 やっぱり世界経済の先行き不透明だからでしょ? となんとなく納得してハイおしまい。







posted by 心に青雲 at 06:34| Comment(2) | 評論 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
他界した父は小さい電器店を商っていました。
私がまだ若い頃、父は松下幸之助の「共存共栄」という言葉をよく話してくれました。

企業は社会の公器である。したがって、企業は社会とともに発展していくのでなければならない。企業自体として、絶えずその業容を伸展させていくことが大切なのはいうまでもないが、それは、ひとりその企業だけが栄えるというのでなく、その活動によって、社会もまた栄えていくということでなくてはならない。また実際に、自分の会社だけが栄えるということは、一時的にはありえても、そういうものは長続きはしない。やはり、ともどもに栄えるというか、いわゆる共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない。それが自然の理であり、社会の理法なのである。自然も、人間社会も共存共栄が本来の姿なのである。
 いずれにしても、共存共栄ということは、相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、少なくとも、こちらの利益とともに相手の利益をも同じように考えることである。それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって、結局、双方の利益になるわけである。
(実践経営哲学)

地域社会〜日本国内〜世界と広げて考えれば、商売だけでなく、生活の中にも生かせる考えだと思います。
Posted by makomakomako at 2011年08月27日 11:23
日下公人氏> 同じモノをいままでどおりつくろうというのは、会社の中に年寄りが多いからである。(省略) 昔の人はそこで一所懸命に考えて新しい仕事を作った。しかし、このごろの人は「無理です。私にできる仕事を言いつけてください」と言う。「それではおまえ何ができるんだ?」と聞くと、「教えてください」になる。 手取り足取り教えてくださいと言う。

私の勤めている会社でも、おおむね上記のように「同じモノをいままでどおり つく」っているのが、現状です。しかしその要因は上記とは異なります。新しい技術・商品を創って新たな道を切り開こうという人たちは、ことごとく左遷あるいは塩漬けにされました。それは、利益がでるかどうかわからない物を開発するよりも、確実に経営者や株主の利益になる物を今まで通り作っていけばよい、という経営判断からです。経営者が代わるとこうも変わるのですね。

> 日下氏は、日本経済が沈没しないためには「発想を変え自分を変えればいい」と説くが、私はこれはもうほとんど不可能であろうと思う。
 イギリス人がそうであったように、変われないのである。

ブログ筆者様がおっしゃるように、私の勤める会社も下り坂になっていくと思います。いえ、もう既に下っています。世の中にある技術のパクリ、社内での既存技術のパクリだけやっていたのでは、パクリの技能で世界一の"支那"には勝てません。私はというと、そのような現実の中で、もがいております。
Posted by motchany2k at 2011年08月27日 23:43
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