2011年10月24日

ドブネズミは汚い!


 テレビのCMで、女優の宮アあおいが、ぼけーっとした表情でギターを弾きながら歌っている。
「♪ ドブネズミみたいに 美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから …」
 と、こういう歌詞である。女のくせにベッドであぐらをかいて(股を広げて)仏頂面でギターをつまびいている。壁によりかかり、片足をギターを支えるためか壁に足裏をつけているバージョンもあるが、これも無作法で、人を不快にする。
  http://www.youtube.com/watch?v=uLdEnRzdpRc

 これは、この歌はもとはTHE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」(作詞・作曲 甲本ヒロト)である。
http://www.youtube.com/watch?v=5UECiIco6oI&feature=related
 
 お嬢さんぽい宮アあおいが、なんとひどい歌を歌っているのかと驚かされた。ドブネズミを「美しい」とは! 
ほとんどテレビはみないが、たまに見たときに、何度かこのCMを見させられたから、普段はよほど大量に流されているCMらしい。

 いったい何のCMなのかわからなかった。なにがいいたいのかも不明というCMである。
 しかしYouTubeで探してみると、これはアパレルやアクセサリーの製造販売を手がけるearth music & ecologyというブランドの広告であることがわかった。
 会社名は、クロスカンパニーで岡山市に本社がある。

 このテレビのCMにはおそらく何億円、何十億円が投入されているのだろう。そんなに儲かっている服屋なのか? 私は名前も何もしらなかったが…。
 このCMはほとんど、宮崎あおいとこの曲の宣伝にしかなっていない。まあ男性をターゲットにしていないと言えばどうでもいいのだろうが、ただ何の説明もなくearth music & ecologyと言われたって、わけがわからない。

 ターゲットの若い女性は、あのCMを見てどういう気持ちになり、そして服を買いに行こうと思うのだろうか? 私には理解のほかである。

 THE BLUE HEARTSというロックバンドのことも知らなかったが、そういえば昔「リンダ、リンダ、リンダ、リンダ」と絶叫している歌を聴いたことはある。その歌詞の前に「ドブネズミみたいになりたい」などという文句があるとは、今になって知った。
 これは1987年にヒットしたそうだ。
 今、彼らが歌い狂っているさまを動画で見ると、とても正気の沙汰とは思えない。ロックはこういうものだと言われるかもしれないが、ああいうものは、ユダヤ・イルミナティがタビストック研究所をつくり、そこで流行させるよう仕組んだ音楽である。

 ローリングストーンズ、ビートルズ、ボブ・ディランなどがそうであったし、現在の「ガガ」なんかもそうであろう。
 退廃の極み、既成文化のぶち壊しである。若者のアタマを腐らせるための音楽であった。

 THE BLUE HEARTSなどのロックバンドは日本において、そうした役割を担わされたのであろう。だからイルミナティに気に入られて、彼らの手でいっときスターダムにのし上げられた。
 ドブネズミは汚いものである。伝染病の媒介者だ。それを美しいなどと言うのは、日本文化のぶちこわしである。顔を背けたくなるのが当たり前であるのに、日本の現状に不満なだけで何もやろうとしないアホな若者に受けるのである。壊せばいいという…。というか、歌に酔って壊した気分になりさえすればいいのだろう。

 earth music & ecologyのCMの目的も、80年代後半に流行した汚いロックをもう一度若者に聴かせることが目的なのではないか。つまり、あれではろくに自社の広告になっていないのに、何十億円もかけるのはおかしいからだ。
 昔は、堤清二がつくったパルコ(PARCO)というファッションビルが、空っぽの感性というのか、中身のない個性をCMで流していた。パルコを知らない人には、何のCMかわけがわからなかった。
 
 earth music & ecologyはその同じ手法でCMを作っているのであろう。
 一見清純なイメージの宮アあおいに、誰もがぎょっとするドブネズミになりたい、なんていう歌を歌わせることで、インパクトだけを狙っている。文化の破壊なんか知ったこっちゃない、視聴者にただインパクトさえ与えられればいい、とするものだ。

 宮アあおいは、アヒルが登場するアフラックという保険会社のCMに長く関わっている。アフラックはユダヤ資本である。日本人から保険料名目でカネを捲き上げて、アメリカに持って行く会社だ。
 つまり宮アはユダヤに気に入られたのであろう。だから「ドブネズミが美しい」などという日本人の顔に雑巾をなでつけるようなCMを流すことに同意しているのだ。嫌な女優だ。

 親会社のクロスカンパニーは、英語表記ではCROSSCOMPANY Co.,Ltd.である。周知のようにCROSSは十字、十字架を意味する。
 ということは、この会社の経営者はキリスト教を信仰しているのではないかと推測できる。キリスト教とは、今ではほとんどユダヤ人に支配されている宗教である。だからユダヤ勢力になんらかの関わりがあるのではないか。
 
 今年になって同社の別ブランド「E hyphen world gallery」では、キャラクターに上野樹里を起用し、さかんにCMに登場させている。
 ヨーロッパの街で、子どもにおいかけられた上野樹里が、横町に入ると妙な犬みたいはお面をかぶって今度は子ども達を追いかけるというつまらないCMや、手品師に空中に浮かばせられるCMを見たことがある。
http://www.youtube.com/watch?v=9TbTc0BlmwA

 これらも取りようによっては気持ちの悪い、そして意味のわからないCMである。何を言いたいCMなのかわからないのに、やたらに放映される。まあたぶん、女優たちの着ている腹やアクセサリーが、広告したいブランドのものなのであろうが…。あおいちゃんや樹里ちゃんが着ているような服を着たいと思わせる趣向か。
 宮アあおいや上野樹里という人気トップの若手女優を使えるのだから、よほど資金が潤沢なのであろう。

 テレビを見るのが好きな人、習慣と化している人にとっては、こうしたCMはだだ漏れ状態で入ってくる像である。何の広告かわからないが、有名な美人女優が出てきて目を引いてくれる。ついでに妙な映像や音楽を聴かされる。
 おそらくほとんどのテレビ好きな人間は、何の反発もせずに、だだ漏れの音と映像を認識に注入されていく。

 なにせCMの制作は、そういう方面で優秀な技量をもった制作者が腕によりをかけて必死に作っているのだ。ほんの何十秒かの間に、最高の印象効果を与えるために。
 テレビを見ていれば、無意識的に刷り込まれていくような仕掛けになっている。恐ろしいことだ。

 毎日こうやってだだ漏れ的に見させられていくと、ドブネズミが美しいという“価値”もありじゃないかと容認し、わけのわからないCMもそれも個性じゃないかと容認していくようになる。
 こうなると、連綿と続いてきた日本の伝統文化、風習も、どうでもよくなる。なんでもありで、いいじゃないかと。

 ユダヤ・イルミナティが世界政府をつくって、日本も有象無象の国、民族とごちゃ混ぜに統括されるときが来たら、日本人がユダヤ文化になじまないなどといって反抗しないように、今から「ドブネズミは美しい」という像を抵抗なく受けいれさせるよう仕掛けているのだろう。






posted by 心に青雲 at 07:04| Comment(12) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
始めまして。以前のブログから読ませていただいている者です。

ところで「リンダリンダ」は、ドブネズミを美しいと礼賛するような曲でしょうか。

ドブネズミみたいに嫌われながら生きているものにも強さ(美しさ)はあるのだ、という曲ではないかと感じます。

長くなるので今日の記事に書いてみました。

尚、ガガに関しては全く同意です。
Posted by 那由 at 2011年10月25日 16:55
私は、ドブネズミから美しさも強さも感じ取れません。
今回のブログ記事を拝読していて、「旧・心に青雲」の記事を思い出しました。旧ブログが閉鎖される前、私はテキストファイルにコピペしておいたので、それを以下に引用いたします。

[断言忌避症状の若者たち | 2007年05月04日]
> 音楽でいうと、ロックやジャズは、演奏家はやたらに身体を動かして演奏している。聴衆も一緒に身体を振っていることが多い。身体をとにかく動かさないと、聴ける音楽にならないからである。そうしないと演奏家は認識を出せないし、聴衆も味わった気持ちにならない。(省略)
 ロックやジャズのような汚い音楽を、身体をゆすってでないと演奏できず、聴く事もできない、とはいったいどういうことか。それは端的には、それでなければ満足できない脳細胞に量質転化しているのだ。

> ロックやジャズの踊り方には厳しい決まりはない。適当に、自分勝手な個性で身体をスピードをつけて動かせばいいのだ。ロックやジャズの音楽またはその踊りは、要するに「決まり」に従うという"実体たる対象に身体を合わせる必要がない"のであって、(省略)
日本舞踊やバレエ(あるいは空手の型)だと、それをやらされる脳細胞は未知との遭遇になり、嫌だ、やりたくないと抵抗することになるが、ロックやジャズなら初めから個性でいいんだよ、となっているから、(省略)
 ロックやジャズなら演奏も踊りも、結局のところ、外界を反映してそれに合わせる身体運動を強要されないわけで、感情薄く育った人間にとっては非常に満足のいく娯楽なのである。好き勝手を許してくれる音楽であり踊りなのだ。

> これは先ほどから述べているように、像を形成するにあたって、対象をしっかり実体として五感器官を通して捉え、反映させて創るべきをしなかったためであろう。例えば 50(12+x) = 200xを解くなんてことは、まったく実体を五感器官を通じて反映するものにはなっていない。こんなことを受験勉強でさんざんやり、遊びといえばコンピュータゲームにテレビの映像。どこにも実体の反映がなく育ってしまっているのが、現今の若者たちなのだ。脳細胞が、運動しない脳細胞、五感器官をふる動員したくない脳細胞、きちんとしたくない脳細胞へと量質転化してしまう。

ちょっと横道にそれますが、上記の"運動しない脳細胞"、"五感器官をふる動員したくない脳細胞"は、私自身にも当てはまるな、と反省しております。早速、毎日30分間、身体を動かし始めました。
Posted by motchany2k at 2011年10月25日 23:11
認識は問いかけ的反映なのです。
問いかけ方が歪んでいると、自分では例えばドブネズミすらが美しいと思えるのです。

ドブネズミをきれいなものと思うのは勝手ですが、それは認識がまともな社会性をもったものとして育っていないということです。

あなたはそれではドブネズミがキッチンの中や、寝室の中に入ってきて住み着くのも了承して、美しい、きれいだ、それなりに頑張っているんだと愛せるのですね?

そしてまた、ドブネズミみたいに不潔な(風呂にも入らず、着替えもしない)プー太郎やホームレスを愛せるし、抱き合って寝ることもできるというわけですか?
一つでも良いところがあれば、いいのだと?
Posted by 那由様へ(ブログ筆者です) at 2011年10月26日 07:58
コメントおよび、旧「心に青雲」の記事紹介、ありがとうございました。

私の意図はロックグループの悪口を言うためではなかったのですが…。
ドブネズミは美しいと思えるその思考回路がどうしてできるのかであり、まさに教育の賜物だからであり、それゆえそうした教育を推進した背後の「権力」に思い至であろうと言いたいだけです。
Posted by motchany2k 様へ(ブログ筆者です) at 2011年10月26日 13:17
この歌に出てくるどぶねずみとは、日本のサラリーマンを表していると思います。サラリーマンの着ているスーツの色がどぶねずみ色でありますから…
どぶねずみ色のスーツを着たサラリーマンは、東京なら大手前、大阪なら御堂筋のオフィス街で働く一流企業界
の社員であり、どぶねずみのように美しくなりたいとは、どぶねずみ色のスーツを着た一流企業の社員のバリバリ働く仕事ぶりが輝いてみえて美しい!
そのような思いが込められているのでしょう!
自分も あのような人になりたいという願望もともにこめられていると思います。どぶねずみみたいに美しくなりたいと願う人物はオフィス街にある宅配ピザ屋のアルバイトしている若者で、ピザを宅配している時にみた風景が、この歌になった思います。
Posted by ヨコケンブルースリ at 2011年10月26日 20:18
ご存じでしょうが、「サラリーマンの着ているスーツの色がどぶねずみ色」とは、「暮らしの手帳」編集長だった花森安治氏が唱えた説ですね。「ドブネズミ色の若者たち」というエッセイです(1967年)。

彼がサラリーマンの服や、その従順で無個性な生き方を批判してのです。今も当時も、まったく正しい意見でしょう。
彼がドブネズミに譬えた先駆者なのです。だからドブネズミとは何かは、花森さんの見解を踏襲しなければならず、反論するというか、貴兄のように違う意見を述べるなら、一こと断りを書かねばなりません。

それくらい、「サラリーマンの着ているスーツの色がどぶねずみ色」は、人口に膾炙したエッセイだったのです。
貴兄のような意見を言ってはいけないとは申しませんが、みんな日本人はサラリーマンはドブネズミだと馬鹿にされたという意味で捉えているのです。

ご参考までに、
http://www.y-salon.com/salonhome_028.htm
http://tokyo-clip.cocolog-nifty.com/tclip/2006/05/post_e5af.html

Posted by ヨコケンブルースリ様へ(筆者です) at 2011年10月27日 09:21
「襤褸は着てても心は錦」と言う言葉がありますがその比喩表現のために「ドブネズミ」が使われたのだと解釈しているのですが真意が伝わらず真に残念です。

>問いかけ方が歪んでいると、自分では例えばドブネズミすらが美しいと思えるのです。

ではキタキツネは美しいと思われますか?

Posted by 那由 at 2011年10月27日 10:45
「襤褸は着てても心は錦」という捉え方もあるでしょうが、あのCMの宮アあおいや、本歌の連中はそういう胸をはった堂々とした主張をしているようには見えないのでは?

なんであんな暗くふてくされた態度で歌っているのでしょう? そこから考えても、あの歌には「襤褸は着てても心は錦」という、心の美しさを主張しているふうには私には見えません。

キタキツネは…何をおっしゃりたいのかわかりません??? たぶんかわいいと思えるキタ狐にも寄生虫がいるとか、病気を持っているとかおっしゃりたいのでは?

それはあるでしょうが、キタキツネの場合は写真に撮られたりして人気があるじゃないですか。そういう共有している像としては汚い動物ではないでしょう。

「リンダリンダ」は決して「襤褸は着てても心は錦」を歌っているとは思いません、私は。
ただ思想性もなく、汚くたっていいじゃないかとか、汚いと思わないのも勝手だとか、そういう低次元の連中の世迷い言と思います。


Posted by 那由様へ(ブログ筆者です) at 2011年10月27日 21:51
そのバンド、その曲がある意味に捉われすぎて、曲の真意を知ろうとしないのは如何なものかと。
知ろうとするしないは貴方の自由ですが、批評を行うのならば、知るべきだと思いますよ。
Posted by たけもと at 2015年08月31日 01:55
たけもと殿

貴殿こそ、ああいうキチガイ音楽を聴いてないのでしょう。
私はすくなくとも知ったうえで書いています。
勝手に決めつけてはいけません。
Posted by たけもと殿へ(ブログ筆者です) at 2015年08月31日 12:43
リンダとは美しいという意味。美しさの本質とは何か。
リンダリンダリンダの一節「ドブネズミみたいに美しくなりたい、写真には写らない美しさがあるから」は、甲本ヒロトから見た美しさの本質であり象徴なのだと思っています。
絢爛豪華なものが美しいのか、静寂閑雅なものが美しいのか、はたまた傾国の美男美女が美しいのか、否。
劣悪なる環境で汗水流し働いている肉体労働者の跳ねるような筋肉、スラム街で親も頼るものもなくボロを着て必死で生きる少年のしたたかさ、何百年もの間、何世代にも渡って蔑まれ貶められていきた人々の末裔が持つ諦観と反骨心、それらが28年前、少年だった僕がリンダリンダリンダをはじめて聞いた時に感じた風景です。

「この手を見て下され、ジル様と同じ病じゃ。
あと半年もすれば石と同じになっちまう。
じゃが、わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。働き者の綺麗な手だと言うてくれましたわい」

美しいというものに対する定義が違うのでしょう。
Posted by 織人 at 2016年03月17日 22:31
織人様

美は写真に映るものなんですか? 美とは認識なんですよ。
いちいち反論するのも面倒だから、一言だけ、あの歌は曲自体が汚れています。それがお分かりにならないとは、呆れます。
Posted by 織人様へ(ブログ筆者です) at 2016年03月18日 12:47
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