2013年11月30日

西武セゾングループ崩壊の捕捉


 昨日、堤清二のことを書いたが、大事なことを忘れていたので、簡単に捕捉しておきたい。
 それは、堤清二は日米欧三極委員会のメンバーだったことだ。

 本ブログをご覧の方なら日米欧三極委員会のことは解説するまでもあるまい。
 Wikipedia にはあたりさわりない説明があるようだが、要するに世界を裏で動かそうとしている連中である。
 民間、ということになっているが、大企業のトップ、政治家、弁護士、大学教授、朝日新聞論説委員などが名を連ねる。
 現在も日本人は五十数名のメンバーがいる。 

 『天皇の金塊』を著した高橋五郎氏は、「欧米、とくにアメリカの影響を強く受けた、いわゆる“日本嫌い欧米好きの日本人”たち」である。
 彼らメンバーの「先輩・後輩、そして弟子や生徒、家族らがタテ・ヨコのコネクションを駆使して、悪事を働く」と高橋氏は説いている。

 マスゴミは堤清二の死後、類例のないマルチ文化人だったなどと諂っているが、決して彼がこうした闇の世界支配者たちの一員だったことは明らかにしない。

 われわれには知りようもないが、清二が短期間で事業を拡大できたのも、また逆に一気に転落したのも、日米欧三極委員会が背後で動かしたのかもしれない。マネーの匂いのするところに権力者やその取り巻きが集まる。単純化していえば、それだけのことであろう。

 ただ、堤清二のあの顔の陰気さは、こうした裏の世界に身をおいていたからだとわかるのである。

 もうひとつ。
 宮崎正弘氏がメルマガで、堤清二を称讃している。
 堤は三島由紀夫と親交が深く、あの「楯の会」の制服を提供したのが堤清二だったそうだ。また、三島の追悼行事には積極的に理解を示し援助を惜しまなかったと。宮崎氏は熱心な三島由紀夫信者である。
 
 「詩人、作家としての辻井喬は、著名な文学賞を総なめにした、文字表現の才人だった。しかし実業家としての堤清二は、妾腹の子という精神的トロウマがたたって義兄との対抗心を燃やして無謀な経営を率先し、つぎつぎと失敗を重ねた。つまり実業家としては失敗だった。」

 なんたるおべんちゃら。私は三島なんかを褒める人を軽蔑する。
 それはそれとして、三島由紀夫のミニクーデターを堤清二が支援していたのなら、それは日米欧三極委員会が裏で操っていた可能性があった…のだろうか。
 なにもわからないことながら…。






posted by 心に青雲 at 07:17| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
三極委員会・・・三島事件・・・わかるような気がします。

あのエログロな映像は、日本人に「右翼を嫌わせる」効果が100%でした。

ちょうど街宣車が君が代を流すのと同じ効果です。ものすごく納得がいきますね。

そういえば、同じく三極委員会の大来三郎を中心に地方新聞社数社が組んで大学紛争のあと1970年ごろに「大学」を考えるシンポジウムを企画していましたが、あれなんかも隠れた意図は日本破壊だったのでしょうね。

三極委員会を、取り上げてくださったことは、とても意義のあることだと思います。

それにしても、その人の人生は、確かに「人相」に出ますねえ。

どんなに功績の大なる人だと紹介されても、顔つきと「食事のマナー」で、がくっと来る人があります。
こういうところに、人としての品性がでちゃいます。恐いですね。
Posted by 神戸だいすき at 2013年12月01日 06:18
神戸だいすき様

コメントいつもありがとうございます。
>その人の人生は、確かに「人相」に出ますねえ<
     ↓
はい。だからヒロヒトのご面相はひどくなったでしょう?
今は皇太子と雅子の顔が見られたものではなくなりました。
顔つきを見ればバレバレなのです。
Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2013年12月01日 11:59
日米欧三極委員会はデイビッド・ロックフェラーの主催でロックフェラーの番頭のズビグニュー・ブレジンスキーが積極的に動いていた。

ブレジンスキーは ひ弱な花日本 という本を書いた。その後、日米貿易摩擦で日本はコテンパンにやられた。
Posted by 犬伏正好 at 2013年12月01日 18:54
なるほど、一般人の知らない日本の裏歴史があるんですね。

はあ、秋篠宮ご夫妻の方が、はるかに重みがあります・・・
Posted by 神戸だいすき at 2013年12月02日 04:48
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