2013年12月16日

『母べえ』に見るステレオタイプの人間像


 映画『母べえ(かあべえ)』(山田洋次監督 2008年)を観た。
 原作は野上照代の自らの少女時代を描いた「父へのレクイエム」だそうだ。野上は終戦直後に「人民新聞」社に勤め、やがて映画界に入り、黒澤明に参加し、伊丹十三と同棲したこともあった。要するに真っ赤な共産主義者だったことが、この映画を通してもよくわかる。

 それを好んで映画化したのだから、山田洋次も赤く染まっている。赤でも構わないが、まちがった歴史観はやめてほしいものだ。
 物語の概略はこうだ。
 
 世界情勢が緊張を帯びてきた昭和15年。帝国大に奉職するドイツ文学者の父が、反戦を唱えたとして逮捕され、やがて父は過酷な獄中の環境に耐え切れず、亡くなってしまう。戦中の動乱に翻弄されながらも、母・佳代(吉永小百合)と2人の娘(志田未来、佐藤未来)は、父の教え子や親類、近所の人たちに支えられながら、つつましく生きる様子を描いている。

 吉永小百合の下手な演技には参る。子役だった「キューポラのある街」から、何も進歩がない。かわいければ女優が務まるという認識のままらしい。どんなときにも、「これで私は人気がでたのよ」の表情のままに演じている。演技をつける監督も下手なんだろうけれど。

 所詮、山田洋次は娯楽作品しか撮り得ないヘボな監督だと思う。『男はつらいよ』だけ背負っていればいいものを。ところがこういうシリアスな作品を撮るから、こき降ろさざるを得なくなる。とてもじゃないが藝術の域に達していない。
 
 何がいけないかと言って、人間がステレオタイプにしか描けない。原作がそうなのだろうけれど…。『男はつらいよ』に見るとおりである。登場人物があれは見事にステレオタイプで、だから庶民が安心して毎度大笑いできた。
 娯楽ならそれはそれで結構である。

 しかし戦時中の世相なり、思想弾圧なり、庶民の暮しなりを描こうというシリアスな作品にしたいのであれば、ステレオタイプの、片や善人、片や悪玉、で終始させて良いはずがない。
 主人公の家族は全員が正義で良心があって、反戦の父を支え、支持する民主主義者であり、父を監獄に入れて責める特高や検事は揃って悪人の軍国主義者との設定である。あほくさ。

 これでは終戦直後のGHQの垂れ流した「真相はかうだ」のラジオ番組と変わらない。
 私は何も、当時の軍部、特高、行政が正しく聖戦を戦っていたなどと言う気はないが、戦時中の体制側が全部悪で、まちがっていて、正しい人民を抑圧したとのみ捉えるステレオタイプの見解には賛成しない。
 そんなものはただのプロパガンダであって、マスゴミの意図するものと同じである。

 本ブログでは私見ながら再三、藝術の定義を述べてきた。
 「藝術とは、鑑賞者が要求するものに応えることと、鑑賞者が要求していなくとも本来要求しなければならないものに応えること」
 これである。鑑賞者が要求しているものにただ応えるレベルならば、文学でいえば大衆小説であろう。音楽ならば一般大衆が「わかる」歌謡曲やジャズがそうなのである。

 本当の芸術は、「鑑賞者が要求していなくとも本来要求しなければならないものに応える」ことなのだ。
 「本来要求しなければならないもの」とは、あらまほしき人生のありかた、生きざまとはこうなのだと、それまで鑑賞者が思ってもいなかったほどのレベルの世界や論理、感情を提示し得ることである。
 
 だからこの『母べえ』で言うなら、たとえば特高刑事の心の内面も撮らねばいけない。ただの悪人にしてはいけないのだ。そうすることで、特高刑事の苦悩も歓びも知ることになり、人間の奥深さを見なければいけないと「本来要求しなければならない」人間観察のようなものを提供することになるのである。
 ところが山田洋次は、特高刑事をステレオタイプの悪漢にしか描かない。

 体制側を悪に仕立てれば、意図したとおりに主人公たち家族に同情が集まり、善は栄え、悪は滅ぶの勧善懲悪が成立するだろうが、そんなものは大衆娯楽でしかない。底の浅いものである。

 山田洋次を筆頭に、日本の映画監督にはもはや芸術家はいないのだろう。
 たとえばドイツ映画に『善き人のためのソナタ』があった。これは東ドイツのシュタージ(秘密警察)のエージェントを主人公にしたドラマで、当時の東ドイツが置かれていた監視社会の実態を克明に描いていた。

 単純に監視される芸術家たちが善で、監視し逮捕する秘密警察の側が悪という図式にはなっていない。恐ろしい監視社会、密告社会ではあるが、そこでいわゆる悪の側に加担しなければならない人間の心をちゃんと捉えようとしている。
 
 魯迅は「絶望の虚妄なることは、まさに希望の虚妄なるに相同じい」と書いた。そのくらいの見識がなければ、とうてい藝術作品はものすることはできない。





posted by 心に青雲 at 07:05| 東京 ☀| Comment(8) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
山田洋次も、幸福の黄色いハンカチなら、よかったです。

わたしも、その映画の予告編をみただけで、その同じ感想をもって、むかむかしていました。

こき下ろしてくださって、ありがとうございますっ
Posted by 神戸だいすき at 2013年12月16日 20:36
こういうステレオタイプの権力が悪い反戦平和が正しいという映画は洗脳だと思います。

人間は善も悪も併せ持っていて善玉悪玉に単純にわけられません。

GHQが反戦後の日本に施したブレインウォシング(洗脳)ソシアルエンジニアリング(社会工学的改造)ウォーギルトインフォメーションプログラム(戦争責任は日本にあり日本が一方的に悪い)かいまだに効いていると思います。

そのせいでマスコミや映画界、教育界など左翼の巣窟になっています。

スターウォーズというハリウッドのSF映画があります。善玉のほうのトップだと思われていた銀河評議会議長のパルパティーンが実は悪の親玉だったというどんでん返しがありました。アメリカの子供などはこういう映画をみて育つから政治感覚が鋭くなるのではないでしょうか。スターウォーズは日本でもヒットしましたが。

私はつい最近まで倉敷市に住んでいて倉敷市民オンブズマンに参加していました。この倉敷市民オンブズマンの副会長の原田憲太郎というのが岡山の地方テレビニュースで倉敷市や倉敷市議会議員の不正支出を暴いて正義の見方のようでした。
 この倉敷市民オンブズマンの副会長原田憲太郎は倉敷市玉島道口の同和利権の原田建設の会長をしていて倉敷市民オンブズマンで倉敷市や倉敷市議会議員を脅して自分の同和利権の原田建設にお金を出させるという構図でした。何も知らない私はそれに利用されました。

原田憲太郎は岡山県の民主党の大口献金者で江田三郎、江田五月二代に渡って支持しており江田五月ともツーカーだそうです。
 また北朝鮮の金剛山歌劇団にも献金しています。倉敷市民会館で金剛山歌劇団の公演があった。

また広大な山荘を持って北朝鮮の主体思想の勉強会も開いています。北朝鮮の鉱物資源の利権を狙っているらしい。

それらの資金源はわれわれ倉敷市民が払った税金。腹が立ちます。
Posted by 犬伏正好 at 2013年12月16日 20:57
神戸だいすき様

「幸せの黄色いハンカチ」は、山田洋次には成功した作品でしたが。
原作の、『ニューヨーク・ポスト』紙に掲載されたピート・ハミルのコラム『Going Home』が良かったんでしょうし、俳優も、高倉健、倍賞千恵子、渥美清など人気の人たちが好演したから受けたんです。
Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2013年12月17日 07:39
犬伏正好様へ
横からごめんなさい。

正義づらしたやからには、特に気を付けなければなりませんね。
それと、市民オンブズマンとか、NPOとかいう連中は、うさんくさいですね。

サヨクだけで済めばいいけど、もっと違う群れのような気がします。

最近、おたがいさま、いろんなことの裏側が見えてきた気がしませんか?
Posted by 神戸だいすき at 2013年12月17日 10:46
犬伏様

コメントいつもありがとうございます。
倉敷市の例を教えていただきましたが、全国で同じようなことが行なわれているのでしょうね。納得です。
Posted by 犬伏正好 様へ(ブログ筆者です) at 2013年12月17日 13:00
 先日TV『北のカナリア』で、吉永小百合の演技を観ました。あまりの下手さにあきれました。職業を替えたほうがいい。
 人に影響を与える仕事は無理。公務員でもして、事務をしてれば似合ってる。私、この方の芝居見ることなかったから、そういう評価をする親族の言うことに無関心でしたが、実際に見て、大いに納得。私が思ったのは、原作者に大変失礼じゃないかということ。

 これでは作品の価値が潰れる。作家を含めて制作関係者も、よくこの女優を使えるなぁって感心します。これを観た後で、作品読もうと思わないですよ。感動の輪も広がらないし。自分を、多大な出演料を貰って宣伝しているだけじゃないですか。そんなの‥どうでしょう、一般にはずるいといいませんか。

 ネットで検索して、こちらのサイトが鋭い指摘をされていたので、同感の意を込めて投稿しました。 他のテーマも読ませていただきます。有難うございました。
Posted by 学ぶこと多い人生でした at 2014年01月23日 13:08
「学ぶことの多い人生」様

コメントありがとうございます。
吉永小百合は日活の青春映画に出ていたころは、演技は下手でただかわいいいだけでしたが、早稲田に入ったりして勉強する気がある子なのかと思ったら、女優としての勉強を怠けました。有馬稲子のように、一流の演出家のいる劇団にでも入ってしごかれるべきでした。女優を引退するつもりならいいですが、学士様になるなんてバカです。

本人ももっと演技力をつけるために、意に添わない映画にも出るとか、浮気の2つ3つもして、人生をもっと知るべきでした。周囲がそうさせなかったことも悪いでしょうが、本人が舞台を選び過ぎたのでしょう。

おおせのとおり、事務員にでもなっているのはお似合いでしたね。
Posted by 「学ぶことの多い人生」さんへ(ブログ筆者です) at 2014年01月23日 13:11
吉永小百合の映画のエキストラしました。
ギャラはタダだけど、弁当が食べられるだけでもたすかりました。
でも二日連続撮影で疲れました。
撮影は一瞬でも待ち時間が長いです。
Posted by 犬伏正好 at 2014年03月31日 17:31
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