2013年12月18日

三島由紀夫や あわれ(2/3)


《2》
 丸山健二氏が作家として登録されたころ、ある編集者に文壇関係者が集まるので知られる新宿の飲み屋横町に連れていかれたそうである。『生者へ』にあるエピソードである。

    *         *

 同業者との交際はまっぴらだった。まっぴらだと思う体験をした。どういう世界かということを私に一度見せておきたかったのであろう、編集者が嫌がる私を連れて新宿のゴールデン街にある、関係者の溜まり場へ案内した。文人とか文化人とか呼ばれることに何の抵抗もないどころか、それを歓迎する人々にはオアシスのような空間であったのだろうが、しかし、私には吐き気を催すほどのおぞましい場所でしかなかった。

 歌人だとかいう、醜く老いた擦れ枯らしのマダムと、彼女の下で働きながら新劇の女優をめざすインテリぶるのが好きな軽薄な若い女たち。作家や評論家たちの偉そうな、そして腹の探り合いのような、喋れば喋るほどお里が知れてしまう、虚勢を張った、キザな会話。自分の声に酔い痴れながら歌う歌。

 こんなところで文学論や芸術論と戯れて一体どうするつもりだと思った。そんな暇があるなら、家に帰って書いたらどうだ。
 (中略)
 ぞっとしたのは、誰もがその老いたマダムに好かれようとしていることだった。若い女ならまだしも、そんな年寄りになぜ気に入られようとしているのか私には到底理解できなかった。マザコンの集まりではないかというくらいの見当はつけられたが、口には出さなかった。

 やがてそのマダムとやらがやってきて、私を見下すようにして前の椅子に座った。そして、出前のうどんを客の前でずるずるすすりながら、説教を垂れ始めた。「この前のB誌の対談、あれは何よ。相手はあなたより先輩よ。先輩に対してあんな口のきき方はないでしょ」というようなことを並べ始めた。「てめえに何の関係がある」と言おうとしたが、年寄り相手にすごんでみせるのもどうかと思い、編集者の手前もあって控えた。

  
   *      *

 私もごく若いころに、友人に連れられて1〜2度ゴールデン街のそうしたバーに連れて行かれたことがあったが、とてもじゃないがなじめなかった。
 丸山氏と同じ気分になった。こんなところに入り浸っているのが文人や大学教授かと驚いた記憶がある。以後、誘われても断ったしそういう場所を好む友人とは絶縁した。
 あんな堕落しているくせにお高くとまっている連中と相互浸透するようなことにならなくて本当に良かった。

 のちに文芸誌の編集をやっていたという編集者に話を聴く機会があって、作家達の「生態」について、「(編集者の)オレは偉いぞ」と自慢げに語っているのを聞いたことがある。ある評論家がそうしたゴールデン街の飲み屋にやってきた。その文芸誌の編集者を見つけるとすり寄ってきて、なにかと話しかけてくる。要するに会社の経費で酒をおごってくれということなんだと。そんな作家や評論家ばかりだと言っていた。
 そんな飲み屋で偉そうにしている編集者もどうかしている。

 こういう世界が日本の文芸の世界である。太宰治なんかはそういうところに入り浸り、女給とできては意味不明の自殺を繰り返した男であった。ばからしいったらない。

 酒場に入り浸って、文学論もどき芸術論もどきを侃々諤々やっておるのだとしても、まったく意味がない。
 だいいちあの暗く汚れた酒場で長時間いられる認識がそもそも狂っている。そんな認識ないし脳でなんらかの「美」が説けるか?

 作家、芸術家たるなら、脳細胞の見事な発達に向けて、外界を反映し、神経を鍛えてその働きを活性化させるべき活動に集中しなければなるまい。
 三島や大江のような秀才は、認識の働きだけで文学が書けると錯覚している。多くの作家、評論家がそうであろうが。

 丸山氏は、三島をこきおろして「もし彼が後半生に書いた作品が無名の新人の物であったなら、どこの出版社の編集者も半分も読まないうちに没にしてしまっていたであろう」と言っている。まったくそうなのだ。
 三島が死んで43年にもなるが、あの晩年の『憂国』や『豊饒の海』四部作なんかもう誰も見向きもしない。
 そんなものを当時は「大御所」「文壇の重鎮」などと呼んだ。

 秀才は像の働きだけで脳細胞を創ってきた。本だけは膨大に読むからだ。三島も博識無辺であったそうだ。だが本来的には、脳細胞は実体としての働きであるのが生命体のありようである。野生の動物が、いったい頭のなかで浮かべる像の働きだけでボーッと生きているか? 
 秀才の多くは、脳細胞がいきいきした像を働かせるべく創る必要がある。

 丸山健二氏は作庭の労働によって、なんとかそういう脳細胞を創ることができた作家である。そういういわば野生獣のような脳細胞で像を形成する実力をつけなければならないのが芸術家なのに、あろうことか、夜な夜な深夜まで新宿ゴールデン街のバーの暗がりで飲んだくれていて、まともな脳細胞ができようか。







posted by 心に青雲 at 06:13| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ずっと、丸山真男さんと間違えて読んでいました。天声人語とか丸山真男は、受験に出るから読んどけと言われて、すごく嫌だった・・・

あら?丸山健二さんて別の人だったんだ・・・無知でごめんなさい。

どっちも長野県産らしい。

健二さんはご健在で、ブログがありました。さすが作家さんだけあって、ひとこと言わせても磨きがかかった感じです。
http://ameblo.jp/maruyamakanji/


たばこの煙がむんむんしてそうなスナックですね。
文士といえば、ひどい不良、というイメージを思い出しました。
Posted by 神戸だいすき at 2013年12月18日 18:09
神戸だいすき様

丸山真男と? 思わずずっこけましたよ。
Posted by 神戸だいすき様へ(ブログ筆者です) at 2013年12月18日 18:26
おもしろいです!
Posted by B at 2014年01月13日 17:18
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