2014年04月01日

勉強したものが実人生で役立つのか


 昨日のブログ記事に、「神戸だいすき」さんがコメントをくださった。
 それを読んで思ったことを書いてみたい。

 ついでながら、「神戸だいすき」さんご自身のブログで、天寿堂さんの健康腺療法について、体験談も交えて詳しく述べられている。わけても健康腺療法と指圧の違いの解説はすばらしい。
http://blog.livedoor.jp/pegasus2011/archives/7171787.html

 3月26日から28日にかけてのブログでも、神戸で開催した天寿堂さんの講習会の様子が克明に明かされているので、興味がある方や、どうも体調がすぐれないという方には必見であろう。
 また天寿堂さんもご自身のHPで、神戸講習会を学的に捉え直した論文を発表されている。ご覧あれ。
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=tenjumichi&mode=res&log=190

 天寿堂関西出張講習会は、これから3カ月ごとに実施される予定だそうで、関西方面の方で治療を受けてみたい方は、「神戸だいすき」さんのブログから連絡をとって予約されるとよろしいでしょう。

 さて、話は今日の話題に戻しつつも、実は「神戸だいすき」さんと天寿堂さんの実践のありように大きく関わっている。

 東大生がおかしい、との声が語られるようになって久しい。アタマがいいはずの彼らが、卒業して就職すると使い物にならないとか、将来が保障されていると大船に乗ったつもりで結婚してみたら人間らしさのカケラもない変な男だった…と囁かれる。東大病院なんか恐ろしくて入院できないとも噂されるし。

 で、「神戸だいすき」さんがコメントで書いたように「いますよね。東大って、いかにも、機械でできているような人」とバカにされる。
 別に東大生に限らず、受験勉強を小・中・高とやってきたすべての子供に共通して言えるのは、自分で勉強したものが、ほとんど自分の人生に役にたっていない、役に立てられない現実を成人したころに迎えることである。

 受験勉強をやったもの勝ちで、一流大学に行けて、一流の企業なり官庁なりに就職できるのは確かであるが、それで充実した人生、幸せな人生に直結するかといえば、大いに疑わしい。昨日のブログで書いたように、勉強はできるが感性が枯れ果てる人間になっちゃうって何よ、である。

 まして二流、三流の大学なり専門学校に落ちていかざるを得なかった者とて、学校で学んだことがほとんど役に立たないことはご同様である。
 学校で学んだ電気のことが、電気技師になることで役立った、ということはあるが、それが今言いたいことではない。

 例えば、仕事に生き甲斐を見出すにはとか、職場でいじめにあった場合にどう対処するかとか、家族が鬱になるのをどう防ぐかとか、自分自身が癌や糖尿病にならないためにはとか、妻子を充実した生活と明るい未来を保障してやるにはとか、老いてもボケないためにはどうしたらいいか、政治家や役人のいうことの真贋をどう見抜くかとか……そういった人生そのものの難問に対応できる実力を持てるかどうかを問うている。

 こういったことに、あなたが学んだ学校では、何か役立つことを教えられましたか? それがあったとしても、それは偶然巡り会った恩師とか知音(友人)であろう。それはあくまで自然成長的な、あるいは幸運な出逢いに過ぎない。
 なかには生まれたときから、レベルの低い親のもとで養育される不運にあって、未来を勝手に低く決められ、閉じられてしまうケースもあろう。

 昨日もしたためたが、本来的には人間は世界を無限に描くことが可能な存在であるのに、「どうせお前は、平凡なサラリーマンになればいい」とか「どうせ結婚して主婦になるしか道はない」などと、子供の夢を壊して平気な親や教師が世の中には多い。
 親や教師は選択できない。だが、その妙な運命に負けていいのか?

 負けないためにこそ、勉強するのではないのか…。
 そのためには、人間の頭脳の働きとは何なのか、自然や社会の仕組みなり、世界の未来はどうなのかくらいは自力で掴む努力が欠かせまいに。
 くどく言うけれど、自分の勉強したものが自分の人生に役に立たなくて、それで勉強とは言えないのである。人間の頭脳の働きを自分でコントロールできなければ、生まれてきた意味、生きている意義がないではないか。

 予測できない天災があるのは認めるが、先の3・11の大津波で亡くなった人たちの多くは、自然とはどういうものか、どう対処するのが正しいのかを学ばなかったから、被災したのである。例えば津波が来るから逃げろと言われて、どうせそんな大げさなことにはならないと高を括ったのだ。それは優れて自分の頭脳を自分でコントロールできなかったせいである。

 これは一例である。リアス式海岸の間近に暮らしていればどういう危険があるか、それを真剣に考えないのはあまりに悲しい。自分の居住している場所、社会、交通関係などなどが、どういう論理構造でできているかを解ける実力を怠けたがための悲劇であった。

 冒頭に紹介したように、「神戸だいすき」さんと天寿堂・稲村さんによる「健康腺療法講習会」の実践を、しっかり読まれることをお薦めする。お二人がいかに、自分の勉強したものを、見事に人生に役立てておられるかを看取できるはずである。端的にいえば「人生、意気に感ず」である。
 お二人とも、詳しいことは知らないが、それほど順風満帆の半生を送ってこられたわけではないようである。辛いことも多々あったに聞く。それにも関わらず、あるいはだからこそか、人のために尽くして、なお生き甲斐、やりがいのある生きざまである。

 お二人とも、それぞれに自分の専門分野を、人間のための学なり学びなりとして花開かせておられる。平たくいえば、なるほど人間はスジを通してこそ人間なのだなと、改めて教えられた。

 会社に勤めていれば、あるいは家のなかにいれば、イヤなことは無限にある。それ変えるなり、コントロールするなりできるようになることが、子供のころからの勉強でなければならないと思う。
 端的にはそれは弁証法と認識学の学びが主たるものであるし、自然や社会や芸術の学びなどなどでなくてはならない。

 しかるに、頭脳が優秀なはずの東大生は、哀しいことにそれがすっぽり抜け落ちている者が大多数なのである。ゆえに「神戸だいすき」さんが、「機械のような人間」と評するのだ。
 文科省の木っ端役人・寺脇研が「ゆとり教育」をやらかして、官僚の子だけが得をして、それ以外の子どもたちの学力低下を意図的に諮ったことは有名であるが、寺脇の身びいきの結果が「機械人間」ばかり創るザマとなったのは皮肉である。

 そういうことがあろうがなかろうが、役人の陰謀をはね除けて生きていかなければならない。
 昨日書いたことをもう一度書けば、ある性格なり考え方なりをするアタマは創られるものであり、そういう認識を創ることがいったいどういう教育を受けたからなのか、自分で自分を創ってきてしまった結果なのか、さらにそれがこれからどんな方向へ発展するか退化するかを、考えられる実力のあるアタマに創ることなのである。





posted by 心に青雲 at 01:59| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。お褒めに預かり恐縮至極。

青雲さんは男だから、東大でなくても、学校を出なくても、男と言うものは、女に対して優位なのが、今までの日本社会でした。

だから、人生の苦難が、なにもなくても、女であるだけで、十分苦労は多いんですよ。特に男社会を相手にするとき。そして、その男社会が「東大出の木で鼻をくくったような男社会」だとなおさらです。

女と職人は下位に見られるから、不利な代わりに、彼ら東大出が定年後肩書きを失ったあと、みじめな姿になるころ、それをしり目に、いよいよ実力を発揮します。

まあ、人生は公平だと私は思います。
これからも、よろしくお願いいたします。
Posted by 神戸だいすき at 2014年04月01日 06:06
学校の教師は世間知らず知らずの愚か者のクセに生徒にエラソーに能書き垂れる。

学校の教師を退職した奴に どうして教師はきれいごとの建前ばかり言うのか?と訊いた。
そしたら 学校の教師がきれいごとの建前言わなくなったらおしまいやで と開き直られた
Posted by 犬伏正好 at 2014年04月02日 03:55
専門学校出た人にも専門学校で習ったことが役に立たないと聞いた。
専門学校ではアスペルガーの人を接客業に就職させることまでして就職率をあげている。
だいたい高校が高校を出てすぐ就職してすぐ辞められたら高校の責任になるから専門学校や大学に生徒を押し込んで責任逃れをする。
学校の教師など責任逃れや保身しか考えない。
Posted by 犬伏正好 at 2014年04月02日 04:07
東大卒の元財務官僚が 自分で作った法律が自分でわからなくなりました と正直に告白したのを直接聞いたことがあります。

法律なんか官僚の勝手な作文。作った本人もわからなくなるデタラメなもの。
Posted by 犬伏正好 at 2014年04月02日 11:47
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