2014年07月23日

「男は家を出たら7人の敵がいる」の構造


 諺に「男は敷居を跨げば7人の敵あり」という。「男は家を出たら7人の敵がいる」とも言う。子供の頃、よく母親にそう躾けられて育った。
 もちろん今の時代は男だけでなく女にも言えることだ。

 その辞書的な意味は、男が家を出て、世の中で仕事や活動をする時には、必ずたくさんの競争相手や足を引っ張ろうとする敵がいることを心得ていなさい、である。
 
 この解釈にとりたてて異論があるわけではないが、私が親から言われた中味はややニュアンスが違った。それを今回は書いてみよう。

 人間は、無意識に行動すること自体に、その人の本質が出る。例えば、歩き方、話し方、笑い方、飯の食い方、字の書き方、ネクタイの結び方、など、もろもろの日常生活の言動すべて。
 そして他人はあなたのそういう無意識の本質をしっかり見ている。

 なぜかは言うまでもない、誰でも良い友人、素敵な恋人を捜しているからであるし、裏切られたり騙されたりしたくないから、人をどうしたって値踏みする。

 ここで一応断っておくが、人間は「無意識」で何かをやることはない。必ず認識(意識)が先行して言動を起こす。だから本来的には「無」意識はないのだ。
 無意識に見えるのは、とくに意識しなくてももう技化(わざか)して動くようになっているからである。

 自動車の運転免許を取るために教習所に通った人はわかるだろうが、はじめはどんな操作にもまごついて、教官が達人に見えたことだろう。だが、運転に習熟すれば、いわば無意識的に、人としゃべりながらでも運転できるようになる。それを技化と呼ぶ。

 しかしここでは、世間一般で言われる「無意識」を遣う。

 私事ながら、私の母は若い独身時代に、何人かの男性から求婚されていたそうだ。迷っていると、母親が(つまり私の祖母が)「あの人は食事のときに、ちゃんと箸の上げ下ろしができている。家庭の教育がしっかりした人だとわかる。結婚はあの人にしなさい」と勧めた。
 それが私の父になった人だ。

 祖母は家庭が貧乏で小学校すら行かせてもらえなかった人だったが、見事な人間性を把持していた。人間、学歴じゃないなと、私は幼いころから身にしみていた。
 祖母はちゃんと「人間は無意識に行動すること自体に、その人の本質が出る」ことを理解し、生きざまに実践していたのだ。

 私の両親も祖父母も、家柄なんてものはないし、学歴もなかった。父方の祖父母は名古屋の大金持ちだったらしいが、没落したし、孫としては何も印象に残っていない人間だった。
 学歴がなくても、「男は敷居を跨げば7人の敵あり」といった諺レベルを知悉し、己の生きざまにも子供の教育にも実践できた、そういう典型的日本人だったと思う。
 それさえ出来ない奴が、家柄、血統、学歴を誇るから軽蔑されるのである。

 「男は敷居を跨げば7人の敵あり」とは、私が理解したニュアンスは、格調高く言うなら、人間は無意識に行動すること自体に、その人の本質が出る、だから話し方から笑い方から、日常の言動すべてが他人から見られている、評価されていると自戒することなのである。

 どんな美人でも食事のマナーが悪ければ、百年の恋も一瞬で冷めると言われる。だから、今でもそうだが見合いの席では、食事をしてお互いの「本質」を見極めようとする。

 以前、ブログで安倍晋三首相の話し方を取り上げて批判したことがあった。ああいう舌が廻らない話し方をするものではない、と。彼の発音が要するにきちんと発音せず、裂帛音になっていないのだ。
 それこそ安倍首相が無意識のうちにやっている言動であり、本質がそこに現れているのである。つまり彼の認識にはシャープさがない。

 別な言い方では、「侍は背中で語る」とか「人は口ではなく、背中で動く」とか言う。無意識になっている背中の姿勢も人からみられているのであり、背中を意識しないと老けるとかバカにされるとか言われる。
 こう言うと、人をバカにするのはいけません、などとトンチンカンな小言を言うバカがいるのには困ったものだ。

 口をいつもポカンと開けている人は、バカにされるでしょう。あれは無意識にやってしまっている。口をあけて平気な人、と他人から評価される。昔、ある有名な力士が不倫騒動を起こしたときに、力士の夫人が女性週刊誌に「ポカン顔」と書かれていた。いつも口をポカンとあけているバカヅラだというのだ。新聞の広告で見たのだが、それでいっぺんに評価は落とされた。

 子供の頃、テレビで野球中継を観ていたら、金田正一が解説していて「プレイ中に口をあけている選手はダメだ、大成しない」と言い切っていた。そのとおり、さすが名投手の言であった。

 私は以前、2011年12月17日のブログで書いたように、人工透析を受けている身である。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/241043171.html
 透析を受けに行くと、ナースも臨床検査技師も大きなマスクで顔の大部分を隠している。目出し帽をかぶった銀行強盗のようだ。
 顔全体を一度も見たことがないから、街であっても誰だかわからない。

 しかし、眼だけしか見えていなくても、その人間がどういう人間か、その本質はだいたい分かるものである。
 あるナースに、あなたの部下のナースはこういう人でしょ、と言ったら「なんでもわかるんですね」と言われたことがある。むろん眼だけでなく、話し方や髪型や歩き方などから見抜くわけだが、ことほど左様に「隠すより現るるなし」なのである。

 こんな例を挙げていけばきりがない。
 自分では思ってもみない言動で、他人に厳しい評価がされてしまう。
 だからこそ、逆にそこを踏まえてというか、日常の言動すべてを日々自分でチェックすることが、例えば精神の若さを保つ秘訣になるだろうし、ボケない秘訣だろうし、ひとかどの仕事や恋愛をできる秘訣になるのである。

 男も女も結婚して家に入れば、お互いルーズになり、下着のまま部屋をうろついたり、食事の仕方もだらしなくなったりしがちである。だって楽なんだもん、との声が聴こえる気がする。
 むろん、家庭では緊張を解いてリラックスしていい。
 だが、そうであってもなお、「人間は、無意識に行動すること自体に、その人の本質が出る」との畏れは把持していなければなるまい。

 だからこそ、リラックスしたときでさえ隙を見せないまでに、日頃の言動を無意識レベルにまで修業しておかねばならない。
 例えば、音楽学校まで行った人なら、リラックスしてカラオケを歌ったとしても音程は外して歌えなくなる。そういうものだ。

 ある男性が60歳くらいで若死にしたのだが、奥さんから話を聞くと、結婚して驚いたことは、家に居ても正座を崩さなかったことだと言われた。
 家のなかでもかしこまっていたわけではなく、正座してもリラックスはできていたのだ。そこまでやることはないだろうに、とは思うが。

 くつろぎながらも、ちゃんと姿は崩さない、だらしなくはならない、これが日頃の修練であり、「男は敷居を跨げば7人の敵あり」の意味なのではないか。
 そういうことをしない怠け者が、女房に愛想をつかされ、痴呆になり、車椅子に乗るようになり、粗大ゴミだと嫌われる。






posted by 心に青雲 at 05:24| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ブログ主様の話にはいつも感心させられます。
日頃 薄々と感じていることを、核心をつかれ、はっとしてしまいます。

私も部下達のちょっとした行動言動には、無意識に注意して見ていましたが、当然こちらも部下に見られているのでしょうね。
今以上に気をつけなければと思いました。
Posted by 柿の種 at 2014年07月26日 09:53
柿の種様

面白いHNですね。
あの亀田製菓のアラレでしょうか?
それとも「サルかに合戦」のほうでしょうか?
Posted by 柿の種様へ(ブログ筆者です) at 2014年07月26日 16:01
いつも更新を楽しみに拝読しております。
無意識を人は見ている…私にも心当たりがあり、やはりと言うべきか、身の引き締まる思いです。
話は変わりますが、お願いがありコメント致しました。
私は、近い将来に人生初のマイカーを購入しようと考えています。随分前にクルマの選び方や乗り方等を記事としてアップしておられたかと記憶しておりますので、なんとか再掲載等を御検討戴けないかというお願いです。
最近のクルマは、技術の進歩に依り安全性や乗り心地が向上したと言われますが、最終的にはドライバーの危機意識や運転技術とクルマの性能を合わせることが大事であり、このことが事故の確率を減らし、同乗者が快適な運転だと感じることに繋がるのだろうと思います。
唐突なお願いで申し訳ないのですが、もし可能であれば御検討方、お願い致します。
Posted by apollon at 2017年02月14日 11:08
apollon 様
承知しました。2月27日から数回再掲載しましょう。
Posted by apollon 様へ(ブログ筆者です) at 2017年02月14日 15:16
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