2015年02月12日

戦後民主主義の虚妄(2/4)


《2》
 民主主義ほど良い制度はないとみんな思っているようだが、もとを辿れば古代ギリシアや古代ローマはともかく、近代民主主義は資本家(主にユダヤ人)が、もっと儲けようと考えて、封建領主の奴隷だった大衆をいわば解放して大量にものやサービスを買えるようにしようとしたために誕生した制度なのである。
 
 ユダヤ資本家どもは、大衆を煽動して、自分たちの意見が言えるぞ、自分たちの代表が領主の独裁に代わって議会制度をつくって、政治に参加できるぞ、と甘言を弄して革命を起こさせて王権を打倒させ、領主を駆逐して、民主政治を実現させた。

 とはいうものの、資本家がいいように事を運ぶための方便なのだから、民主主義はほとんど建前で、資本家は選挙を裏で操り、報道機関を独占して、資本家に都合のいいように大衆を誘導する情報を流す。むろん政治家や官僚も、資本家の忠実な犬として養成して下僕にした。一応は大衆に奉仕する役人ではあるが、決して大衆が主人公になっているわけではない。
 
 国家学を究めることなく、国家形態のほんの一部である民主制だけを取り上げて「すばらしい制度だ、これが基本だ」とするのは、愚かすぎる。
 国家学として説くならば以下のようなおおまかながらもスジをたてて考察しなければならない。

 そもそもサルがヒトとなり、人間となる過程で(ほかの動物もそうだが)集団としてしか生きていけない存在としての誕生だったのだ。集団は統括されなければならず、必ず統括者が登場してこないわけにはいかない。原始社会においては「長」が統括し、やがてそれが「王」となって、世襲されていく。

 だから、大衆が集まってわいわいしゃべりながら物事を決めていったとか、どやどやとまとまりなく狩りに出て行ったとかがあったとしても部分的なことであって、社会にとっては不合理なのだ。それより統括者を決めてそれに従う形態をとらねば人間は存在できなかった。つまり大昔から民主制度なんかはなかった。

 集団化(共同体化)しなければ生存できなかった人類は、農業や狩りだけではなく、他共同体との対峙のためであった。他共同体とは、必ず敵対関係に置かれる。作物や獲物のぶんどり合い、女のぶんどり合い、土地のぶんどり合いだ。闘争に敗れれば皆殺し。女は征服民族の子を生まされる。
 そうされないためには戦わねばならない。

 戦う組織を専門的に創らねばならないから、軍隊が生まれた。
 これが共同体を創らなければ生きられない人間、そして国家を創った人間の必然である。国家自体が悪だとするサヨクはアタマがどうかしている。
 人間にとって国家も必然なら軍隊も必然なのだ。

 国家も軍隊も、なんぼでも腐敗はするけれども、いくらそれを嫌悪したとて、なくすわけにはいかない。ところがサヨクどもはなくしたいとダダをこねる。ただ、死にたくないからとか、自分は敵を殺したくないとか、というだけで。
 民主主義国家なら、国民が反対すれば、戦争はやめられる、軍隊も持たなくていい、とは、妄想でしかない。

 昭和20年、大東亜戦争に敗れて一時的に国家も軍隊もなくなった状態の、満州や朝鮮で日本人たちはどうなったか考えてみればいいのだ。国家の支配、統括が失われれば殺されようが犯されようが奪われようが、それっきり。現在だってシリアやパレスチナの難民はそういう状態である。
 
 では難民が民主制度を掲げて何か暮しがうまく行くのか? みんなで話し合って幸せがやってくるのか? 国家が統括しなければどうにもなるまい。火を見るより明らかじゃないか。

 企業でも同じことである。
 たとえばワンマン経営者が亡くなったとか失敗して退陣したとかのケースで、取締役らが集団指導体制を敷くことがあるが、これはほとんど失敗する。「みんなの意見を聞きながら」「コミュニケーションをとって相談して決めよう」のありようは、美しいようでも統括の否定であって、うまくいかない。

 学校のホームルームや町内の寄り合いならそれで治まっても、つまり民主的でもいいが、国家間や企業間の生死を賭けた戦いの場で通用する話ではない。
 このたびの日本人人質事件にしても、民主的にみんなの意見を聞いてから、犯人側と交渉できると言うのか? サヨクはそうしろとダダをこねるようだが?

 このたびのイスラム人質事件で露呈されたのは、一つは日本の情報収集能力であった。
 そもそも、世界中の外交というか情報戦の常識として、大使館には駐在武官を置く。武官同士が探り合い、盗み合い、交換し合って情報を得る。ところが日本のみ憲法の制約で「(防衛)駐在官」と呼称して「武」の文字を欠く。「武官」と言ってはいけないと、サヨクが妨害するからだ。

 だから駐在官たちは誇りも使命観も低下させられ、情報が集められない。日本政府は菅官房長官が、さまざまなルートから情報収集にあたっていると言ってはいたが、きっと「これ」という情報が得られなかったと思われる。「ただいま、情報収集中」と繰り返していただけ。

 安倍首相は今後ヨルダンにも「駐在官」を置くとの方針を打ち出したが、名称を「武官」にして、もっと広く強固なインテリジェンス体制を創らねばならない。
 安倍首相は的確に「軍事情報は同じ軍人にしか渡さない慣習がある」と答弁していたが、その通りである。

 こういう情報収集力なんてものは、サヨクが言う民主国家、かつ非武装国家ではできっこない。ホームルームの延長みたいな政治でことたりると言い張るアホなサヨクでは、国際社会では赤ん坊みたいなものになってしまう。

 以下に「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成27年2月4日付に紹介されていた、前衆院議員の西村慎悟氏の言説を引用したい。

    *    *    *

 さて防衛駐在官であるが、これは自衛隊発足後に始まった制度であり、自衛官が外務事務官になって外務省と在外公館の指揮下に入って在外公館で勤務して主に軍事防衛関係の情報を収集する制度である。
 この時、防衛駐在官は、自衛官の身分を併せ持つが、あくまで外務省の指揮下にあり、得た情報も外務省に伝達しなければならず、外務省経由でなければ防衛省にも情報は届かない。

 さらに防衛駐在官には一般の外務事務官より厳しい規制が課される。
 言うまでもなく、また既にお分かりのように、この防衛駐在官制度は、「戦後特有の制度」であり、自衛官を徹底的に「軍人」として扱わない制度である。しかし防衛駐在官も制服(軍服)を着用できるので、外国の駐在武官は防衛駐在官を同じ「軍人仲間」として扱い、情報を渡してくれるという訳だ。

 外国の彼らに、軍服を着用している防衛駐在官が、百%外務省の指揮下にあると言えば 日本とは何と奇妙な国かとびっくりするであろう。
 そこで安倍総理が、この防衛駐在官をヨルダンに置くという判断は適切と思うのだが、この際、この「戦後特有の制度」としての百%外務省指揮下の「防衛駐在官」を止めていままでの「防衛駐在官」を、これからは各国と同じ「駐在武官」として海外に出してはどうか。

 ということは、軍事を毛嫌いする外務省による防衛駐在官特有の手かせ足かせを外して 軍事情報の分析能力がないくせに有職故実だけには長けて気位の高い公家集団の外務省への情報一元化を廃するということだ。その上で我が国の駐在武官が各国の駐在武官と「軍人同士」としての交際を深めていけるようにする。

 あたかも日露戦争前にフランスやロシアに出た陸軍の秋山好古や海軍の広瀬武夫のように、現在の我が駐在武官も、明治の先人と同じように、「我、日本を背負えり」
 という気概を持って海外での仕事に邁進できるようにするのが、我が国益に適うと確信するのである。

    *    *    *

 まことに正しい見解である。
 わが国の官僚もほとんどの政治家も、みんなアメリカの属国たる日本で良いと思っているし、その下僕になって人生を流して行けさえしたらいいわけだから、アメリカの意向しか実施できない。
 ゆえに、アメリカ様や中共様が言うとおりに、「駐在武官」の名称は許さないし議題にも上げないし、情報はアメリカや支那の下僕たる害務省に集約させるブザマを変えない。

 他共同体の動きなんか知らなくても、民主的に、みんなが意見をだしあって相談すればいい、になっているから情報収集に無関心になっていられる。




posted by 心に青雲 at 07:06| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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