2015年08月21日

人間は「良い顔」に創らねば(2/3)


《2》
 南ク継正先生の論文は論理の高さだけではなく、「直接」レベルで高い精神性と気品を感じさせる。こういう「対立物の統一」できている文章は昨今めったに見られない。
 弁証法なり認識論なりは、いってみれば数学のような “無味乾燥な論理”なのではない。論理と直接の精神性の高み、品格、温かみなど備わっていなければならないはずである。

 いうなれば南ク先生も、南郷学派の方の論文も、論理と品格とが仲良く手をつないでいるということなのだ。それもレベル高く。

 南ク継正先生のお顔は一般には出ていないから知らない人は多かろう。しかし、私もそうだったが初めて会った人間は、こんな素晴らしい顔の方がいるのか! と驚く。南ク先生が何をされている人間か全くしらない民宿のおかみだろうが、店員だろうが、そうした感想を何度も聞いたものであった。

 知りもしないでイチャモンをつけるご仁は、南ク継正先生ほどの立派な顔や立ち姿に、自分がかなうだけのレベルに達しているかどうかを問うべきなのだ。顔つきや話し方などで足下にも及ばないということは、論理レベルでも、品格でも、人間性でも負けていると知るべきである。

 かなりレベルは落ちるけれど、一例を挙げてみるので、それで察してもらいたい。
 ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れ、英国に捕われてセントヘレナ島に流刑になるとき、船がイギリスの港に立ち寄った。イギリス人の民衆は、ナポレオンをあざけるつもりで大勢見物にやってきたそうだ。
 ところが偶然、ナポレオンが外気を吸いに甲板に出てきて、舷側に立った。

 悪罵を投げつけていた民衆は、静まりかえり、みな帽子をとってナポレオンに敬意を表した、と伝えられている。あまりの偉大さ、威容に民衆は敵であることを忘れて圧倒され、尊敬せずにいられなかったのだった。
 この例で、南ク継正先生の存在を間近に見た人の驚きを想像してほしいし、偉大さをわかっていただけたらと願っている。

 卑近な例でいうなら、みなさんはご飯を食べるときに、洗面器に入れて手づかみで食べられますか? 東南アジアの田舎に行ったならともかく…。
 ご飯を盛るならどんな容器でも一緒、とはなるまい。その容器、食べ方も文化であり、文化のない、品のない食べ方は我慢できないようにココロが技化している。

 論理でも藝術でも、洗面器にご飯を盛られたようなものは、受け付けないものである。安保法案に反対をして「ファシストくたばれ」と怒鳴っていい気になっている輩、人の言説を誹謗中傷し、揚げ足をとって(WWW)などと末尾に付けて人の気分を害することを喜びにしている輩。これらの者は、便器に座って洗面器でご飯が食べられる人、と言われるのだ。

 高潔な血が通っているかどうかを感じ取っているかどうか。
 南ク先生を悪し様に言う者がいるが、そういうご仁は必ずこの精神性の高みや気品で、同等もしくは凌駕するレベルで批判することができていない。それをまったく理解していない。「その論理はまちがいだ」と勝手に言うのはともかくとして、自分が南ク先生レベルの精神性の高み、品格の美しさを把持して論じなければ、それは「失格」である。「中傷」では論争のリングにさえ上がることは許されない。

 遠回しに言うのもなんだから率直に言うと、天寿堂稲村氏は最近、南ク継正先生を批判する論考をHP上に掲載されているが、そこに感情のままに書く姿は哀しいものである。「なんじゃこりゃ」などと南ク先生の論文をあしざまにおっしゃっているが、そういう言葉を遣えば、自らの論理の品格を落とすことになる。

 稲村氏が「大恩をうけた師」と言いながら、揶揄的言辞を弄するのはいかがかと思う。南ク継正先生ご自身が、極真空手について、大山倍達の弟子達が極真から別れたら師の悪口を言うのは哀しいと書かれているのに…。
 批判をするなというのではない、自信があればやればいいと思うが、相手をバカにする表現は避けなければいけない。

 「人生、意気に感ず」を私たちは南ク継正先生から教わったのではなかったか。
 弁証法を学ぶ意義といった場合も、「昭和維新の歌」の歌詞のように「盲いたる民 世に踊る」「混濁の世」にあって、弁証法でこそ人類社会と地球環境を再生・発展させると、意気軒昂に説くのはもっともだが、日本語でしか表現でき得ないような品格を、人類に目覚めさせていくことも忘れてはなるまい。

 話を戻すと…これは一つには、旧制高校の伝統が失われつつあることに起因するのかもしれない。旧制高校の寮歌に親しめば今でも感じ取れるのは、そのすさまじいまでの思想性の高みであり、下品に落ちない人間性の美しさである。
 小説家たちも、ほとんどこの旧制高校の良さは失われたし、出版界や新聞界もそんなことを気にする人間はいなくなった。

 昔は旧制高校を出た人間レベルでなければ、出版界では相手にされなかった。森銑三氏はだから彼ら以上の努力をしたのだ。林芙美子や吉川英治などは、旧制高校を出ていないから、大衆小説でとどまったのである。
 そこを踏まえて、又吉直樹がまともな作家になりたければ、旧制高校の魂レベルの文化、教養を独習しなければならないのである。

 大江健三郎は新制大学の卒業だから、ついに旧制高校の精神性の高みをいわば体現することができなかった。

 音楽学校できびしい鍛錬を積んで一流となった歌手は、わざと音程をはずそして歌おうとしても歌えなくなるものである。音楽の精神性の高みや品格が身にしみ込んで、それを崩すことができないほどに技化するのである。

 文章も同じだ。文章はテクニック以上に、日本人ならばこその精神性が表現できなければいけないし、また文章を受容できなければならない。文章を書くにも、読むにも、「精神性の高みや品格が身にしみ込んで、それを崩すことができないほどに技化」していなければ、ならないはずである。

 弁証法の学びで忘れてはならないのが、人間にとっての気品、精神性の高さを直接に学ぶことではないのか。

 私がわが流派の空手に入門して驚いたのは、一つ一つの技、突きとか蹴りに精神性の高みや気品があるということだった。これが南ク継正先生が創った空手なのか! そしてこれが旧制高校の伝統の精神性なのか! という感動とともに道場へ通ったものだった。

 もう少し書き加えると、日本人は志や「人生、意気に感ず」を失ってきている。
 例えば8月18日付毎日新聞に小国綾子記者がコラムを書いていた。
 詩人ということになっている石垣りんを取り上げてこうしたためていた。

 「(石垣りん)は詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』の題名でも分かるように、彼女は身近な言葉で詩をつづり、『生活詩人』と呼ばれた。『“生活”が付かないと一人前じゃない詩』と謙遜する一方、『私の詩から“生活”がはがれ落ちたら、ただの詩になってしまう』とも語った。
 (中略)それゆえ自分や他者の『小さな声』に敏感だった。」

 とこう解説している。何が趣旨かというと、今の安倍政権はこうした「ちいさな声」や「生活」そのものを蹂躙して戦争へ持っていこうとしていると言いたいらしい。

 安倍反対のためならネコの手も借りたいという心情で、こうまで牽強付会をやらかすとはあきれる。
 以前、小沢一郎は副島隆彦からさえ「選挙の神様」と言わしめながら、惨敗して取り巻きも激減したあと、政党助成金ほしさに山本太郎と野合して「生活の党うんぬん」と名乗った。その小沢の政党感、国家感を批判したことがあった。

 国政に関わる政党の名前に「生活」と名付けるとは、世も末で、小沢の野望の貧相なことにあきれたものだったが、石垣りんも同様で、鍋や釜を題材にしたければそれは勝手だが、詩とは本来は「志」を述べるものであった。それを喪失したものは、みっともないだけである。
 
 まして、生活感覚が国家百年の大計に関わる法案に、シャシャリ出るものではないのである。

 石垣りんは、ただ「生活」にこだわった詩を書いたら、詩壇で受けたから、それでファンもついたし、「詩人」として本を出していけるとふんで、いつまでもその線で作詩をつづけただけのこと。
 画家の東郷青児が、売れるからという理由で、くる日もくる日も同じ絵を何十年描き続けて終わったようなものだ。

 このけちくさい態度こそが、旧制高校の心意気の欠如であり、また昨今の文芸作品から新聞・雑誌の記事にいたるまでの、ふやけた、いじましい、自分ばかりが大切よ、の文章があふれかえる現状を招来したのである。

 石垣りんなる詩人が、生活をテーマに創作するのは勝手だが、それと国家レベル、人類史レベルの高みを論じるべき国家の安全保障論議に、話をもちこむこの毎日新聞記事が大きく狂っているのである。
 こんなことができる社会になってきたことの背景に、本稿で述べたように、文章や言葉と直接の精神性の高みを失ってきた日本のみじめさが露呈しているからなのである。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
南郷先生のご尊顔を一度でも拝見したいと思って…何十年。
私は「月刊空手道」に『武道講義』が連載されていたころからの読者です。
管理人様がうらうやましいです。
Posted by KKKB at 2015年08月21日 20:10
KKKB様

私の場合は、南郷先生との出逢いは、まさに僥倖でした。
Posted by KKKB様へ(ブログ筆者です) at 2015年08月22日 07:40
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