2015年09月18日

『隠された記憶』の膿み爛れる傷口


 移民・難民問題を取り上げたところで、それに関連した映画について語ってみたい。
 2006年のフランス映画で、ミヒャエル・ハネケ監督、『隠された記憶』というサスペンスもの。

 舞台はパリ。テレビのキャスターをしているジョルジュと妻の出版社勤務のアンのローラン夫妻は、そこそこ上流の暮らしを送っている。そこへ1本のビデオテープが届けられる。ビデオには彼らの家(一戸建て)が正面から映っているだけ。送り主もわからなければ、その目的もわからない。主人公たちが見知らぬ誰かに見られていると認識し、不安に脅かされる。

 と同時に、子供が描いたような感じの稚拙な感じの、人間が口から血を吐いている絵や、ニワトリのクビをはねている絵がしきりに届くようになる。
 さらに届くビデオは、ジョルジュが育った農家が、次には郊外を走る車が団地に向かう様子が映っていた。相変わらずメッセージがあるようには見えず、たいしたことのない内容と言えば言えた。

 主人公のジョルジュは誰が犯人かを確信したが、自分の愚かだった子供のときの過ちを妻に知られたくないために隠し、ごまかそうとする。そこには犯人が誰であるか以上の秘密が隠されていたのだ。
 『隠された記憶』のしだいに息づまる謎と人間関係の描き方はヒチコックの映画を思わせる。

 ジョルジュが子供(6歳)のときにその事件は起きた。
 生家ではアルジェリア人の家族を雇用していたが、アルジェリアの内戦の煽りで、その両親が亡くなり、一人息子だけが残される。
 ジョルジュの両親は気の毒に思い、その遺児を養子にしようとする。
 使用人の子と同じ待遇、同じ部屋に寝起きさせられることになった幼いジョルジュはこれに反発し、親に告げ口して、アルジェリア人の少年を追放し施設送りにする。

 そのときの映像は、少年がニワトリのクビを鉈で叩き殺すシーンとそれに怯える少年とが映っている。どっちがどっちだからわからない。しかしこの事件が、アルジェリア少年が追放される契機になったようだ。

 ジョルジュは、そのアリジェリア少年が成人になって復讐を始めたと思い込む。だが、そのアルジェリア人にも息子がいるのだが、二人ともビデオの件では否定し続ける。 
 結局、最後まで犯人は分からないまま映画は終わる。とはいえ、明らかにこれはアルジェリア人の父親か息子のどちらかの犯行にちがいない。
 映画は犯人探しの体裁をとりつつも、主題はそこにはないということだろう。

 この映画は、フランスで幸福に暮らす一家族の設定ではあるが、先進国がかつての植民地(アルジェリア)からの移住者の労苦や不幸をベースにして豊かで平和な生活を送っていることを鋭く突いていると思える。
 フランスだけでなくイギリスやスペインなどは、植民地の人々という「隠された記憶」を抱えながら生きている。

 その心の底に澱のごとくあるはずの、民族としてのやましさを、不気味なビデオや絵を送りつけることでえぐり出そうとしている。
 彼ら白人どもには、隠してはいるが、じくじくと傷口が膿を出しながらいつまでも爛れて癒えないでいる。

 ジョルジュは、かつてのアルジェリア人の使用人の子だった男に、真相を語るからと貧しいアパートに呼ばれる。
 すると、そのアルジェリア人の男は、ビデオの犯人は俺じゃないと言って、これをお前に見せるために呼んだ、というなり、ジョルジュの目の前で自らクビを切って自害する。

 これが作品のいわばクライマックスであろう。観る者に強烈な問いかけで迫る。なぜ自害する? その目的は? と思わせつつ、実はそこに白人らの民族的病理や、犯罪性を際立たせていると見える。

 フランスは地中海を挟んだアルジェリアを植民地にし、そこから低賃金で働くアルジェリア人を移住させて、底辺の仕事をやらせてきた。国家レベルでは植民地の支配・被支配で語られるし、それは一応もう済んだことなのだろうが、現実の暮らしの中では、主人たるフランス人と使用人のアルジェリア人との交流や、差別、いじめや、憎悪などが渦巻いたのである。

 その罪を問い、真実に迫るのが人間の真っ当なありようである。フランス人にしては触れられたくない、蒸し返されたくない過去であるが、しかし現在のフランスの豊かさ、文化の質の高さ、民度の良さなどの現実は、全部がアルジェリアやその他のアフリカやヴェトナムなどの犠牲の上に立っていることを、「隠しながら」「とぼけながら」生きているのである。

 現在のアフリカ、中東、東欧などからのEU 諸国への移民・難民の大量流入は、おそらく彼らにとっては、その「隠された記憶」を嫌でも思い出させるに違いない。
 思い出したくない、また隠しておきたい過去をしらばっくれるために、奴らは国連やEUをこしらえて「難民問題」はそこの総意ですといい、もしくはナチに責任を押し付けて、自分たちは善良だと思わせようとしている。

 白人どもが有色人種を植民地にし、自国に呼び込んでは嫌な仕事を押し付けてきたことは、末代まで祟るのである。『隠された記憶』という映画はそのことを観るものに問うている。
 
 主人公ジョルジュは、犯人の目星がついたあとも、妻に本当のことを告白しない。逃げ回りつつ開き直る。アリジェリア人の男を団地に訪ねたときも、激しいやりとりがあったにも関わらず、妻には誰もいなかった、とウソをつく。しかしその様子も隠しカメラに撮られていて、ビデオテープを自宅に送りつけられ、妻に露見することになる。

 ジョルジュは自分が幼いときにアルジェリア人をいじめたことを思い出させられて苛立っている。妻にも会社にも虚偽の取り繕いをさせられることに怒り、それをアルジェリア人に向ける。
 この態度。まさに白人キリスト教徒どもがカラードの異教徒を虐待してきた過去を指摘されるのを激しく拒絶する姿の写し絵である。

 そしてまた、EU は大量の移民・難民を抱えることになる。その本当の災厄は、50年後、100年後に、きっと「隠された記憶」となって、欧州人を苦しめることになるのだろう。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 🌁| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
白人連中の砲艦外交がもたらした20世紀の混乱。しかも結局、終わてみれば日本へ責任を押し付ける形で歴史をまとめるというしたたかさ。今は砲の代わりに人道を装ったマネーゲームなどで、彼らは変わらず搾取し続けています。そういうひずみが、今回の難民流入という果実になっていることを彼らは直視すべきですな。
Posted by おれは朝日を許さねーよ at 2015年09月18日 17:18
おれは朝日を許さねーよ様

コメントありがとうございます。
ごもっとも。同感です。
Posted by おれは朝日を許さねーよ様へ(ブログ筆者です) at 2015年09月18日 21:04
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