2015年09月28日

オランダ軍、汚なし、人悪し


 1993年5月4日、カンボジア北西部の村で駐在している国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の日本人文民警察官5人が、UNTACオランダ海兵隊部隊の護衛を受け、車両6台の編成でパトロール巡回していた。その移動中に武装集団に襲われ、1人が死亡、4人が負傷した。

 日本人文民警察官死傷事件である。文民警察官とは、UNTACを構成する非軍事部門のひとつで、カンボジアの警察官を監督し、「選挙監視」など警察行政が民主的に行われるよう助言・指導するものである。

 武装集団は正体は不明だったがポルポト派の犯行と思われる。十数人の一団は、UNTACの先頭車両に対戦車ロケット弾を連射、車列が停止すると自動小銃で一斉射撃を浴びせた。
 警護のオランダ海兵隊も応射したが、武装集団の攻撃に恐れをなして日本人警察官を置き去りにして逃げた。

 取り残された現場で、高田晴行・岡山県警警部補(33)が死亡した。ほかの4名も重軽傷を負った。
 オランダ海兵隊員5人も負傷したから、激しい戦闘だったことは明らかだが、真っ先にオランダ兵が逃げたことは、どういうわけか伏せられたのである。

 それから十年後、2003年から2009年まで、わが自衛隊はイラク特措法に基づいてイラクのサマーワの復興支援に派遣された。
 周知のように、自衛隊は敵ゲリラに襲われても反撃できないので、代わりになんとオランダ軍が護ることになっていた。

 サマーワの自衛隊部隊宿営地には何度かロケット弾を打ち込まれている。たまたま不発弾だったから命が助かったそうだ。
 小泉純一郎首相が自衛隊のいるところが非戦闘地域だとデタラメを言ったから、偶然死者は出なかったが襲撃されたことは伏せられたのだろう。

 それにしても、オランダ軍はわが自衛隊を護れなかったのだ。
 自衛隊を護るためにゲリラと交戦すれば、テメエたちにも死傷者が出るからと、知らん顔をしたにちがいない。

 英軍将校は、あの腰抜けのオランダ軍に警護を任せるとはいったいどういうことだと呆れもし、怒ってもいたという。
 あのカンボジアで日本人警察官を置き去りにして逃げたと、世界中が知っているのだ。

 これはアメリカがイラクでの多国籍軍の役割分担を決めたのであるから、日本人の軍隊には意図的に臆病で弱いと定評のオランダ軍とセットにしたのであろう。
 なにしろインディアンを皆殺しにし、ハワイやパナマを乗っ取り、フィリピンで虐殺してきた連中だから、大東亜戦争で逆らった日本をいたぶるのは当たり前の所業であったろう。

 そうした実態をわが国国会では議論することなく、蓋をしておいて、やれどこが戦闘地域かだの、銃火器を持って行くのは9条違反じゃないかなど、バカとしかいいようのない話に終始していた。与党も野党も、無責任きわまる。

 おかげで現地の自衛隊は、ロケット弾を打ち込まれても反撃ができないで、アタマを抱えてひたすら弾が当たらないことだけを祈る仕儀となった。自衛隊に対してただ「人を殺すな」「戦争はダメだ」の妄想で縛って、大変な危険に晒したのが、サヨクであり、自民党公明党らであった。

 すべては支那や南北朝鮮の圧力による、あるいはサヨクがアチラ様を慮って自主規制。
 自衛隊は違憲だから、とか、人殺しになるから武器を持つなとか言う奴は、利敵行為であり、極刑にあたる。

 自衛隊は、国内では災害救助にあたるのは当然としても、本来は武力行使のための「暴力装置」以外のなにものでもない。海外の紛争国に国連の要請で出向いて、平和維持に協力するのなら、武力行使はあって当たり前だ。
 それなのに、道路工事や学校の建築に駆り出すというのは、自衛隊に失礼であるし、なによりわが国の屈辱である。

 自衛隊がイラクでただで道路を作り、病院を支援し、学校を建ててやればいかにも感謝はされるだろうし、そうやって国際協力をし、イラクの人たちと仲良くなるのは、二次的には結構なことであるが、本来的にはナンセンスである。

 道路や学校って…、それが「復興」支援なのか? 戦争で壊れたわけではなくて、ただ現地人が怠けていただけのこと。それをなんで日本から出向いて、われわれの税金を使って作ってやらなければいけないんだ? しかもイスラム信仰しているおかしな連中が日本軍もアメリカのなかまだからと攻撃してくるのだから、そんな命懸けでやらなければならない話か?
 ちゃんとカネを払えよ、イラク人!

 彼らも、ただで道路や学校を建ててもらえば、どうせ大事には使わない。補修もほったらかしになるだろう。自力で国造りをしなければ、一流の国にはなれはしない。
 そのためにはイスラムを棄てろとまでは言わないが、相当薄めなければ無理である。

 話をもういちどオランダ軍に戻そう。
 もっと遡れば、1941年大東亜戦争の初期、日本軍はインドネシアに君臨するオランダ軍を攻めた。オランダ軍はほとんど戦うことなくあっという間に全軍降伏した。当時のオランダは、本国がナチドイツに蹂躙占領されていたこともあったろうし、植民地くんだりで戦死するのはバカらしいと思ったのだろうが、恥をさらした。
 なにがABCD包囲陣だ(DはダッチのD)。

 45年に日本が連合軍に降伏して、インドネシアからも撤退すると、オランダ軍は戻ってきて再び植民地にしようとした。
 しかし日本軍が鍛えたインドネシア独立軍(ペタ)は敢然と立って、オランダ軍を駆逐しようと頑張って、ついに独立を成し遂げた。
 強いもの(日本軍)には腰砕け、弱いもの(インドネシア人)には高飛車かつ残虐に出るというタチの悪さ。

 欧米の植民地国家はどこも同じだが、軍事力の弱い相手には残酷なまでに傲慢に出て乱暴狼藉のかぎりをつくすくせに、日本に堂々戦いを挑まれると、そそくさとシッポを巻いて逃げる。

 マッカーサーは戦争初期、フィリピンのバターン半島に逃げ込み、勝てないと見るや自分だけが逃げた。その裏切りをしらばっくれるために、「バターン死の行進」をデッチアゲて、本間雅晴中将を戦後に処刑した。
 
 日本が戦争に負け、インドネシアでも戻って来たオランダ軍に降伏して捕虜になると、今度はオランダ軍が復讐に燃えて日本軍を残酷に扱った。
 映画『ムルデカ17805』(2001年)にはそうした卑劣なオランダ軍の様子が描かれていた。無抵抗な者には暴虐を尽くすその卑怯。
 それがオランダなのだ。
 そんな過去があるのに、あろうことかサマーワではオランダ軍に護ってもらおうというのだから、ひどすぎた。

 オランダは植民地にしていたインドネシアを、日本のせいで失ったので、今でも恨みは持っている。そんなオランダの軍にイラクでは命を預けるしか許さなかったのが、当時も今も日本なのである。
 自民党も無責任だったが、なにがなんでも自衛隊は違憲だとわめいたサヨク野党やマスゴミのせいである。
 長崎のオランダ村なんかに嬉々として遊びに行く人の気が知れない。

 日本人にとって、自衛隊は災害出動でもいざ支那や韓国が戦争を仕掛けてきたときに防衛してくれる、最も頼りになる存在である。
 東北大震災のときにも、先の鬼怒川の氾濫のときにも、よほどのへそ曲がりでなければ、自衛隊に対して涙がでるほどに感謝したはずである。

 なのに、イラクでもその他PKOでも、ひどい仕打ちをする。サヨクどもがそうするのである。媚中副島隆彦にいたっては、自衛隊なんか前線の米軍のウンコを処理しているだけだと罵倒する。どこまで下品な男なのだろう。
 媚中副島は、なにせ「ありもしない南京大虐殺」をあったと言い張り、私たちの高潔な父や祖父の健闘を侮辱したのだ。その時点で彼は評論家として終わったのだ。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
戦後はオランダやフランスは植民地に再入植しようとした過去を持ちますな。
スペインのカタロニアの選挙で独立派が勝利しましたが、ブログ武士さまはカタロニア独立にどうお考えですか?
Posted by ツィンカム24 at 2015年09月28日 17:25
ツィンカム24様

カタルニアの騒動にはあまり関心がないのですが、要は富の奪い合いですよね。
Posted by ツィンカム24様へ(ブログ筆者です) at 2015年09月28日 21:27
やはりそうだったのか!!
Posted by プロレス at 2016年03月02日 14:01
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