2015年10月13日

映画「にんじん」と教育の大事性


 『にんじん』はフランスのジュール・ルナール作、1894年発表の小説で、日本では岸田国士が昭和8年に翻訳して評判になった。
 南ク継正先生が新著『なんごうつぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義(6)』でも推薦されており、また映画も良いとおっしゃっている。
 
 それで思い立って、原作のほうはずいぶん前に読んだが、映画は観ていなかったのでDVDを借りてみた。
 小説は有名だから、どんな話かはおおかたご存知だろう。知らない人はWikipedia ででも調べていただきたい。

 フランスの田舎農村が舞台である。「にんじん」というあだ名の少年フランソワ・ルピックは、家族から不当な扱いを受けている。
 両親と兄と姉、それに住み込み女中の家族。
 親どうしは不仲で口もきかない。兄と姉は母親から溺愛され、甘やかされている。
 にんじんにばかり雑用が押し付けられる。母親はまるで継子扱い。食後のフルーツさえ、同じテーブルにいるにんじんには食べさせない。理不尽な母親の怒りがいつもにんじんに向けられる。父親は子供のことには無関心。

 周囲がバカ過ぎる、可哀想な境遇である。
 にんじんは自分がいささかも愛されていないことを感じ取って、ついにいたたまれなくなって自殺しようとする。父親が自殺に気付いて血相変えて探し回っていても、母親は冷酷に「どうせ悪ふざけよ」と悪態をつくだけ。

 にんじんは間一髪のところで父親が首つりを阻止して、助かる。
 そして父親は静かににんじんと散歩しながら話をする。以下がその会話だ。にんじんは「子」としてある。
 末っ子のにんじんが生まれた時に、すでに夫婦は不仲だったと告げる。つまり望まれて生まれたのではなく、生まれたときから母親に嫌われていたのがにんじんだった。
 
     *    *    *

父「家庭に必要なものは愛と理解だ」
子「気が合うこと?」
父「そのとおり。私は夫人とは性格が正反対だ」
子「家庭ではお互い愛し合わなくてはね」
父「そうさ」「わしはバカだった。母さんは私を欺き、わしはおまえを理解しなかった」

子「父さんが可哀想。ボクは子供だからいいけど。人の不幸を楽しむ人と一生暮らさなくてはならない」
父「母さんも不幸な女さ」
子「なぜ不幸なの?」
父「決まっているだろう」
子「幸せそうにボクをぶつよ」
父「だろう? それが唯一の楽しみなんだ。愛を知らずに苦しむ人もいるのさ。わしもそうだ」
 

     *    *    *

 哀しいが、いい場面であった。
 どうしてこんな映画のことを持ち出したかというと、世の中には人様の不幸や失敗、不足したところを楽しむ人がいることと、そうすることが唯一の楽しみにしている人がいる。それは愛を知らない可哀想な人だからだ、という人生の真実をルナールが示しているからである。

 これが端的には安保法制に反対して、共産党を仲間にし、プーチンや習近平を持上げる人を指しているからである。

 その話の前に。
 例えば盲導犬の訓練は大変厳しい。排泄だって人間の許可がなければやってはいけない。
 その訓練の前に、盲導犬候補の子犬は「パピーウオーカー」といって一般家庭で10カ月間、慈しんで育ててもらわなければならない。

 そこで子犬は人間の手で深く愛されることを知り、信頼関係を学ぶのである。そのうえで過酷なまでの訓練が施される。そうでなければ訓練に耐え切れないし、やがて盲人の目となり杖となって一緒に歩んでいけない。
 イヌでさえそうなのだから、まして人間においておや…、の話なのである。

 もう一つ挙げれば、人間の赤ちゃんから3歳くらいまでは、子供自身にはまだ記憶する実力がないから、その間に具体的に何があっても覚えてはいないが、感情だけは残るのである。親に放って置かれた寂しさとか、虐待された恐さとか、両親が不仲だったとか悲しさのいわば後遺症は思春期になって現れる。

 とにかく親が嫌い、憎い、だから反抗的になる。非行に走る。そういう子供は、3歳までの両親の愛情が欠落していたせいなのである。みそっかすにされた恨みは、感情としていつまでも残る。
 学校教育で、しっかりと家庭での子育てを教えないととんでもないことになる。

 だから映画「にんじん」の主人公は、小学校高学年くらいの設定であるが、ちょうど思春期にさしかかるかどうかの年齢である。
 少年は自己との内面での会話で、親に嫌われているなら生きていてもしょうがないと爆発暴走的に思い決めていくのだ。

 子供のときから親に疎んじられて育ち、感情的に親を嫌い切る認識に育っている。親を「パパ、ママ」と呼ばずに、「ルピックさん」「夫人」と呼ぶくらいだ。そこにもにんじんの歪んだ認識が表出されているのに、大人は誰も気付いてやらない。
 その上に思春期の認識・実体の論理構造ゆえに、思いが爆発的に膨らんで自殺に走るのは、よくわかる話である。

 彼が父親と和解し、理解しあう端緒について映画は終わるのだが、もし自殺しないまでも家庭で不仲のまま成長したら、それはもう非行に走ったに違いないのである。
 「家庭では愛しあわなければね」と少年は大人びた口をきくのだが、そのとおりなのだ。

 家庭のなかで、愛と理解がない中で育った人は、誠に気の毒だが、人を不幸にしてそれを喜びとする人間になる。
 以前にも書いたが、サヨクは自分の見解と違う人は糧道を断って社会から抹殺しようとするのが常態である。
 本当は愛を知らずに苦しんでいるのに、自分の足りないことを認めるのは嫌なので、不満を他人にぶつける。

 安保反対で国会前で抗議集会をやらかしたサヨクどもは、大方、こういう人間なのである。本人は国民みんなが平和になることを祈っての行動だと思いたいだろうが、ならばわずか3万人しか集まらなかった烏合の衆を12万人などと嘘は言えないはずなのである。

 まして嘘つきの民主党や共産党と共闘できるわけがない。さりとて自民党がいいというわけではないが。自民党を批判しながら、民主党や共産党をも批判しなければいけないはずが、そうしないとは、はっきりした主義主張がないからだ。

 子供のころから、親が嫌いだったとか、親にかわいがられた記憶がない、と言う人は気をつけたほうがいい。知らず知らずのうちに、自分が他人を傷つけることや、誹謗中傷することで鬱憤を晴らしている哀しい人間になっているのではないか、と。

 なんで自分は正しいことを思い、正しいことをやっているのに、人から嫌われるのか、恋人が去っていくのか、配偶者とうまくいかないのか、などは、大本の子供時代の両親との間の問題があったことによるのである。
 そこに素直に気付いて、真人間になるべく自分を変えないかぎり、不幸からは抜けだせるわけがない。

 だが、たいていはそんな子供のころのことが、大人になってからも尾をひいているなんてバカな、と思うだろうが、そういう人はまともに、認識論を学んでいないからなのだ。

 他人様のHPやブログに、人を不愉快にするコメントだけをああだこうだと投稿するしか能がない。自分で問題を立てて、それを解く(説く)実力がないくせに、揚げ足を取るだけはイッチョマエ。
 映画『にんじん』に登場する、日がな文句ばかり言って、自分は不幸だ、夫にも子供にも理解されないとぼやいている母親にそっくりである。

 自分で問題を立てて、自分なりに答えを解いてみれば、誰でもわかることながら、書いたときは十分に意を尽くしたつもりでも、後になって読み返すと、穴だらけだなとか、もっとこう書けば良かったのに、と思うことしばしばなのである。

 むろん、書いたときより認識が発展していたり、気が付かなかったことに気付いたりする。
 それは人間なら当然というか、やむを得ない。それゆえ揚げ足を取ろうと思えばそれはあるものだし、ひねくれて考えれば考えられるものである。

 自分で問題を立てて解くことを自力自努力でやったこともないくせに、人様を揶揄嘲弄、誹謗中傷することだけを楽しみにするとは、あまりに悲しい。
 安保法案の国会審議で情けない情景だったのは、野党どもがこれで国が護れるのか、国民は安全なのかを一切問うことなく、違憲かどうかばかりあげつらったことである。

 これを本末転倒と言う。というより、ただ支那と韓国から指示されたとおり、自分では何も考えずにイチャモンを付けていたことである。このことはもう何度も指摘した。
 彼らはおそらく、親に愛された過程と家庭を持てなかったのだろう。

 反日になれるサヨク人は、日本というお母さんの愛情を感じたことがない不幸を背負っている。小学校からずっと日本は加害者だった、今も悪い、先祖と自分の不幸な国を憎みなさい、支那や韓国に謝り続けなさいと教えられただけだから、いわば親の愛情を知らずに成長したようなものだ。

 またイヌの例でいうと、子犬のときから飼い主がかわいがってやり、散歩は朝夕二回、ブラッシングは欠かさず、よく遊んでやったイヌは、無駄吼えしたり人に噛み付いたりしない。人間の愛情がしみ込んでいるからだ。
 でも飼い主がほったらかしにしたイヌは、やたらに吼え、人を見たら噛み付くようになる。
 まさに国会前で他人の迷惑も考慮せずに怒鳴りちらすのは、飼い主に大事にされなかったイヌのようではないか。

 良識ある人間があのシールズとかで有名になった民青の学生の顔は、親や教師から愛情を受けて素直に育ったものではないことが見てとれる。顔つきに育ちの良し悪しは現れるのである。

 同じように、韓国人や支那人は、子供のころから反日教育を刷り込まれる。自分の国の文化や自然に包まれて愛情を感じないのは、みんな日本が悪いからだと信じこまされる。
 だから長じて火病になり、日本を侮蔑せずにはいられなくなる。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 🌁| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「にんじん」、子供のころに読みました。
なるほど、子供のとき親の愛情をたっぷり受けて育たない子は、大人になってサヨクになって性格がひんまがるということ、よくわかります。
Posted by まりこ at 2015年10月13日 14:46
まりこ様

コメントありがとうございます。
はい、親の愛情をたっぷり受けた子供は、顔つきが歪みませんし、素直に対象を反映する実力が身に付きます。
子供のときにつまずいた場合は、ほとんど取り返しができません。
Posted by まりこ様へ(ブログ筆者です) at 2015年10月13日 20:30
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