2015年10月23日

文化遺産はぶつ切りで学ぶな(2/3)


《3》
 教育とは人類の文化遺産の修得である。赤ちゃんは生まれたときから親の教育が始まる。人間は母乳を飲むことすら教育しなければ人間になれない。
 家庭では、文化遺産をまるごと教えていく。
 
 ところが幼稚園では様子がちがう。子供は行儀、食事の仕方、お遊戯、英語、足し算と、大事と思うものから教育を始める。すべてがわかるようにはやらない。必ず世界を切り取って学ばせはじめる。小学校以降も同じようなものだ。

 まだしも小学校は、担任の教師が1人で、学科だけでなく給食や運動や遊びといった、文化遺産の習得をまるごとに近く教えるから形としては悪くない。
 しかし中学、高校に進むに連れて、いよいよ文化遺産の習得は、ぶつ切りにされ、分化され、細部に至り…となっていくではないか。
 しかも、知識を詰め込むばかり。研究と言っても、知識を増やすばかり。

 ちなみに、わが流派では中学校か高校の教師が空手に入門してくると、学校ではまず全体を教えろと説いてもらえる。歴史であれば、最初の1時限目で、古代から現代までをざっと説く。それで、また1学期の間に古代から現代までを授業する、といったぐあいに歴史全体を繰り返して理解させることが肝心だ、と。

 その方式を真似て、私は会社で仕事をしているときに、外注、つまりある部分を社外の人に依頼するときに、必ずこの仕事の全体はどうなのかを話し、そのうえで、あなたにはこの部分をお願いしたいと説明した。これは喜ばれた。あなたのように分からせてくれる人はほかにいない、やる気も出ると。

 かように、われわれのアタマは、切り取って学ぶようにされる。本来はまるごと学んだ方が良いのはわかるであろう。
 家庭で丸ごと教えるように、同様にまるごと教える保育園のほうが幼稚園より良いのである。

 今の幼稚園は小学校の予備校と化している。小学校に上がって遅れてはならじ、算数なら掛け算割り算くらいは入学時にできていないと落ちこぼれてしまう。だって、みんながそうなんだもの、と。
 よって、幼稚園ではある部分をぶった切ったなにがしかを覚えて小学校に入学する。

 そこで私たちの脳細胞は大きくつまずき、歪むのだ。たしかに小学1年生のはじめに全員がもう、平仮名は知っているし、足し算引き算はお手の物、教師が何をやっていいか困るほどになっている。こまっしゃくれた子として入学してくる。これは果たしていいことなのか。

 そしてずっと、そういう学習=教育が終始一貫大学を卒業するまで続く。脳の働きが、いわば細切れで知識化するように出来上がっている。端的にはテレビのクイズ番組みたいに、物知り屋さんが勝つ、みたいな世界になっている。クイズ番組は、1つの問題と次の問題は、なんのつながりもない。バラバラ。

 そこにはいささかも体系性はなく、全体がわかっているとは言えない。まして、きょうびは個性が大事、の大合唱である。
 アホな宮ア駿がアニメ『耳をすませば』で、中学生のときから自分の個性だけを大事にすればいい、みたいな扇動をやらかすから、いよいよ世界全体をまるごと学ぶなどは縁遠くなる。

 そしてまた、あの安保法案にむやみに反対したサヨク護憲派どもに話を移す。彼らは国家とは何かを原初から(猿から)辿って、学問的に考究することをしない(できない)。で、自らが興味があるところ、戦争に行かなければならなくなるのかとか、アメリカが日本を引きずり込むのではないかとか、違憲なのではないかとか、そうした政治の、あるいは国家の部分的関心だけで騒ぎたてたのである。

 まるで、小学校1年生が入学した時にすでになんでも部分部分で知っているようなものだ。文化遺産まるごとを学んでいない。もっとも安倍内閣の提出した集団的自衛権容認の法案群も、そもそもポジティブリストだから、国家まるごとを考えていない点では、サヨクといい勝負である。

 紛争地から邦人を救出できる法に整備って…、それは安全保障のごく一部じゃないか。
 なのに、それすら猛反対するのは、政府もサヨクもどっちもどっちであるが、サヨク人権派の関心の狭いことは悲惨である。

 だからサヨク人権派の国会前に不法にたむろしていた連中は、いわば学校の成績がアホだったという連中の様子ではなかった。こんな教養があるはずの者がなんで? というくらいであった。
 多くの参加者が、学生時代に安保闘争を経験した世代が、定年で閑になったから来ているといった風情。

 それはすなわち、彼らが学校時代から、見事に歪んだ教育で、知識、それも細切れの、分化したものばかりを習得することが学びだと勘違いした成れの果てである証左であった。秀才だから、サヨクに同調してしまう。

 このように説くと、きっとお前は全体主義=軍国主義か! みたいなイチャモンをつけたがる信じられない愚かものがいる。私の主題を良く読めと言っておきたい。

 本ブログでゲバラを取り上げたときに述べたが、サヨクは、地主階級はけしからん、大資本家は倒さなければいけない、貧乏は悪だ、といった感情、すなわち道徳でだけでもって、あの世界という円に矢を突き刺そうとしたのである。だから革命成ったあとにみんな失敗した。
 それは共産主義者が、社会全体をまるごと捉えることに失敗したから、もっと言えば、教祖のマルクス自身が社会を抜かした理屈をこね上げたからだ。

 たまたまNHK朝ドラ「朝がきた」で、徳川幕府が倒れて新政府が出来、関西の商人が二条城に集められて、それぞれの商家に百万両のカネを醵金しろと命じられて、主人公あさの商家も腰を抜かす場面があった。
 かように、明治維新の“革命”も、薩長勢力には幕府を倒すことしか考えてなくて、あとの国家運営をどうしていいか、財政をどうしていいかがわからなかったのである。

 マルクスはユダヤ人だったから、ユダヤが作った共産党に「理論」を与えようとした。彼はロスチャイルドから資金をもらって『資本論』書いて、労働者を善、資本家を悪に仕立てた。ユダヤの本丸である金融には解明のメスをあえて入れなかったのである。ロスチャイルドが共産党の闘争方針から金融を外させたのである。

 つまりマルクスは歴史全体も、国家全体も、経済全体も解明しなかった。全体の部分だけ、経済のなかの資本だけ。で、一見道徳的な思想を提唱しただけであった。

 ちなみに、日本で共産党を創ったのは、実は後藤新平である。後藤は台湾総督府民政官、満鉄初代総裁、東京市長、震災後の帝都復興計画などで辣腕を振るったから有名である。後に共産党員になったものを殲滅するために共産党を作ったのであった。後藤は一族の佐野学や佐野碩らを使って、共産党の内部情報を公安警察に報告させた。野坂参三も一族であり、スパイであった。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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