2015年11月12日

日の丸の旗は庶民の旗


 本稿は、2007年4月にアップしたものの再録である。
    ■   ■

 近所の小学校でも先日入学式が行われたようで、校門に日の丸が飾られていた。そこではサヨク教師の妨害はないようだったが。
 サヨクは日の丸を蛇蝎のごとく嫌うが、諸外国の国旗に関してはそれがどんなに血に塗られていようとも構わないようで、ただひたすら日本の国旗だけはダメだ、嫌だの大合唱。どこの国だって、侵略の経験はあるし、なんだかんだと戦争はやってきたのだ。それをあたかも坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのように、国旗のせいにしているのは日本サヨクだけではないか。

 運動会では、紅白の玉入れや、紅白の大玉ころがしも、日の丸を連想させるからダメだと、アホ教師どもは言う。

 紅白歌合戦もそうだし、紅白のまん幕も、紅白まんじゅうも、紅白玉入れもそうだが、なぜ紅白かといえば、源氏、平家から受け継いでいる。源氏が白の旗、平氏が赤の旗を掲げて戦った。日の丸というのは、この源平の旗を統合したところに由来がある。だからサヨク教師が紅白玉入れは日の丸を連想させるとぼやくのは、ゆえなきことではない。

 江戸中期の文化文政のころ、幕府はロシアの脅威に対して北方の防衛策のため言うなれば“海軍”を編成した。この船団を「赤船」と呼んだ。この“海軍”の中心となったのが、源氏と平氏の末裔である。海に強いのは平家で、彼らはもともと古代ではマレー半島あたりから海人族として日本に渡来した勢力であった。

 だから船を操る技術を持っている。ところが、武闘派では源氏がかつては平家を破っているし、強かろうというので、この“海軍”には両派を同乗させることにしたのだ。とはいえ、両派が船中で対立しては困るので、赤旗の平氏と白旗の源氏の折衷案として白と赤を入れた旗をこしらえた。源氏の白の地に真ん中に平氏の赤を丸でいれて、日の丸ができた。

 北海道で活躍した高田屋嘉兵衛らはこの日の丸を船に掲げて、千島あたりまで進出した。しかし難破する船が多く、すぐに廃止されてしまった。その後、しばらく途絶えたが、ペリー来航によって日本がこじあけられ、日本の船を外国船と区別をしなければならなくなって、再び日の丸が復活し、これを掲げて咸臨丸は渡米した。

 外国船との区別をつけるためには日本船章を日の丸に、と幕府に献策したのは、薩摩藩主で西郷隆盛を抜擢した名君といわれる島津成彬である。島津斉彬は、公武合体を主張して、日本がユダヤ金権勢力による支配にならぬよう手をつくそうとした人物であり、ゆえに、おそらくユダヤの手の者によって毒殺されたのだ。

 冒頭のサヨクの話に戻せば、日の丸の由来は源平だったのだから、彼らこそ支那進駐軍であった藤原一族を打倒し、まがりなりにも在来日本人の権利、自由を奪回してくれた勢力であった。日本原住民の7〜8割はだいたいこの源平いずれかに属したのであったから、サヨクの人たちも含めて、われわれ庶民の先祖は、源氏か平家なのだ。

 信長や家康も平や源を名乗ったけれど、それは彼らが庶民の出だという意味であった。むろんすべてがきれい事でないのは世の常ではあるが、源平こそわれら庶民の味方、代表だったのであり、そこに由来する日の丸は、したがって庶民の旗なのである。決して天皇家や公家の由来の国旗ではなかった。
 その歴史性をふまえれば、サヨクの人たちこそ、日の丸を大事にしていいのである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(1) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。私は日の丸の旗が好きです。シンプルでオシャレ。ソフトバンクが優勝した時は日の丸カラーのスーツで噴水にダイブしました。
Posted by ずぶぬれスーツkumiko at 2015年11月12日 11:25
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。