2015年11月14日

スジを通した音楽批評とは(2/2)


《2》
 音楽ブログの筆者は(1)も(2)も、知識満載であることが見てとれるであろう。筆者はその知識を誇っているかのようだ。それはそれでいいとしても、知識でアタマを創ってしまうと、事実をつなげて論理が分かるようになれなくなる。

 音楽ブログ筆者からは、しばしば弁証法を馬鹿にするのを耳にするが、「構造の個別性」あるいは一般的な運動性(変化発展している)をわかるために弁証法の実力が必須なのだから、嘲笑しているかぎりはスジの通った論考は書けない。

 このブログの文章が、ただ「きれいだ」「美しい」「嫌いだ」といった主観と感覚的なことで終始しているなら、どうこう言うつもりはないが、論理的な体裁をとった文章だから、きちんと論理を通すべきだと言っている。

 論理的とはスジが通っていることで、対象の構造に分け入るだけでなく、体系性もなければならないがそれはともかく、筆者自身の認識にも分け入ることである。
 「様々な偶然が重なった結果、誕生した類まれな作品」これでは何を言っているのかわからない。こう書くと彼は、ブログの論考はまだ一面的なもので、シベリウスの情報が足りないからだと反論するだろう。

 だが、問題はそこにはない。シベリウスの情報が少なくたって、およをは見抜けるのが論理的アタマである。
 さらにわからないのは、「繊細なシベリウスにとって人生を生きること自体が大きなストレス」「生活はシベリウスを追い詰め」アルコール依存症になった…の文章である。

 筆者自身の認識に分け入るとは、なぜ自分は「類いまれな」と書いたか、どうしてシベリウスを「繊細な」と形容したかが、解けていることが大事であるからだ。
 ところが、音楽ブログ筆者は事実を出さずに書こうとしている。それでは読み手は納得できない。例えばシベリウスが繊細な神経を持っていたというなら、その生い立ちから交遊関係から生活のありようから…そうなった過程的構造を事実で明らかにしなければならない。
 「こう思った」を事実で書くことである。

 ブログ筆者は帰納法や演繹法が大事だと私に語っているが、あれはただのノウハウのレベルで、体系は欠落しているし、対象を問題にする己れの認識も問題にしていない。バラバラに集めた知識をどうやってまとめたらいいかに困って考え出されたものに過ぎまい。
 
 帰納法・演繹法は、いうなれば小学校の学級会をどうやるかのレベル。ノウハウといったところである。みんなの意見をまとめるのに、ああだこうだと意見をだしてもらって集約するのか、先生がビシッと命令してまとめるか、そんなレベル。
 だから彼はシベリウスの情報がたくさんないと帰納法とかが使えない、というのであろう。
 弁証法をそうしたノウハウのレベルと勘違いしては困る。

 シベリウスはざっと言って心を病んでいったらしいが、それはどうしてなのか、原因は何かといったことを解明しないとやはりスジが通らない。心がどう病んだから、どう作曲に影響したかのスジを通していない。かように、この文章はつながりが明示されていないから、読み進められない。像が描けない。

 作曲家、それも大交響曲を創るようなレベルの作曲家は、あれは脳が認識だけを使っている。本来は人間は、運動器官、消化器官、そして統括器官に大きくは分かれているが、元は(単細胞生物段階では)全部で一つである。それが地球環境の変化によって、機能を分化させたので実体も手足、内臓、脳というように分かれたのである。

 分かれたが元は一つだからつながっていなければならない。連動していなければならない。あくまで一つで全部の動きでなければいけないのに、人間はそういう動きがいわば自動的に行なわれる本能が喪失しているから、ある機能だけを強烈に働かせることになる。

 したがって、脳が運動器官や消化器官を働かせて連動しないで、認識だけを働かせると、運動機能や消化器官が狂ってくるのだ。内臓が歪み弱れば、それを統括している脳もおかしなことになる。

 だからベートーヴェンは内臓の病気になったのだ。食事も悪かっただろうが、脳を実体を使うのを忘れるほどに根を詰め、興奮させたから、内臓がおかしくなったのである。
 胃の病で苦しんだ夏目漱石もおそらくそうであったろう。

 ベートーヴェンは交響曲を創るかと思えば小品も創って、頭脳は八面六臂のフル回転をさせられた。作品を聴けばその認識の集中力の凄まじさには圧倒される。それで勝手に内臓が動かされる。例えば胃が自らを消化するようなことになる。
 …というように、シベリウスのことは知らないけれど、なにがしかこういう一般性(構造の個別性)で見れば、解けてくる謎があるのである。

 そこまでの論理構造を説くことは望蜀のことかもしれないが、根拠もいわずに「素晴らしい」とか「心が病んでいたから繊細だった」などと言われても困惑する。
 それで困惑していると、次はいきなり(2)に移って、音楽の構成の話に飛ぶのだ。つながっていない。別の話だということなのだろうか? 西洋音楽の構成や手法は、筆者の得意とする分野らしいが、これが「個別性の構造」の一端である。

 そういう話の前提として、筆者が音楽を愛しているという感情が感じられないのである。個別を論じるのは構わないのだが(それだけでは全貌は解けない)、論理とまでは言わないが、音楽全体を包みこんでいるような教養や感性が見えないのは、読んでいてつらい。
 それに引き換え、わたしたち共通の友人であるMICKYさんのブログ「VINYL JUKY」は、あふれるようなというか香しい音楽への愛情が感じられる。現在休止しているのは残念なことである。

 ブログ筆者は、「VINYL JUKY」をよく批判して、あそこが間違っている、こっちが知識不足だ、その解釈はダメだとばかり批判していた。それはその通りなのかもしれないが、多くの音楽ファンがどちらを好むかといえば、「VINYL JUKY」のほうであろう。瑕疵などどうでもいいのだ。しかしブログ筆者はそれでは許せないらしい。

 「VINYL JUKY」には筆者MICKYさんの「音楽大好き」という感情のスジが通っているのだ。しかしこのブログ筆者はスジ(論理)が通らないから、またぜひ読みたいとは思えなくなる。(ごめんなさい)

 加えて、「VINYL JUKY」には筆者MICKYさんの文章は、像で考えられてかかれているが、音楽ブログ筆者は像で考えるのではなく言葉で考えている。
 この件についてはなんども本ブログで書いておいた。2012年11月15日から5回にわたって書いたものを参照していただきたい。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/301880951.html
 
 「60年盤はオーマンディの持つモダンで意欲的な一面がよく出ている。深い譜読みによるスケールの大きな演奏で、名盤と呼ぶにふさわしい」と書いているが、これは知識である。「モダンで意欲的な一面」ってなんのこと? どうしてスケールが大きいと言えるのか? なぜ名盤と言えるのかを、彼なりにスジを通さないと、これでは誰かの受け売りか、と言われかねないのである。

 こういう文章は、新聞や雑誌の音楽批評でよく見かける。彼らは像ではなく言葉で考えている。再度いうけれど、音楽の感じを文章化するのはむずかしかろう。しかしそれでも、なぜ、どうして、の根拠を示さなければ言ったことにならないのである。

 うまい料理を食べたときに、テレビのグルメ番組ではやたらに「おいしい」「うまい」を連呼するか、もしくは「何とも言われぬ旨さ」などと表現しない例もあるが、それではレポーターとしては失格だ。
 その点で彦摩呂は、いかに見せるか、楽しませるか、食欲をかきたてるか、レポートするかについてはさすがプロである。「これはうまい」だけではなんの根拠も視聴者に伝わらないのだ。

 私は劣等生だから、順序立てて説いてくれなければわからない。ところが秀才は順序だてなくてもわかってしまう。これは皮肉でなくて、本当にブログ筆者は秀才だと思う。本ばかり読んでわかったつもりになっているのではないか。東大なんかの受験秀才はこれである。

 本を読めば読むほど、恐ろしいことにスジの通らないアタマになっていく。たいていは本を読むとアタマが良くなると思うだろうが、たいていの本は、知識でつづられていて、事実をつなげて論理を分からせてはくれない。
 だいいち、十人の本を読めば十人が違うことを言うではないか。
その十人十色が自分の脳の中にバラバラに収まる。そのモザイク的な何かどうしにつながりも、スジも通っていない。

 その読書の欠陥をどう克服するかである。読まなければ知識は増えない、考え方も教えてもらえない。でも読めば読むほどスジが通らないアタマになる…というジレンマである。どうすればいいかは、まあお預けだ。

 「名盤だ」「名曲だ」と言えば何か言ったことになるのだろうか。私は劣等生だから、なぜ名曲なのかを説いてくれなければわからない。何をもって名曲という概念を成立させるのだろうか。これはグルメレポートで、「うまい」「最高」と言っているのと変わらない。

 ブログ筆者は作曲もする。ライフワークだと言っている。だからあえて期待していうのだが、彼の音楽は聴いていて理屈が勝ち過ぎている感じがしてならない。音楽で楽しさとか(悲しさでもいいが)躍動感とかが沸き立ってこなければ、退屈なだけである。

 (2)の始めに、音楽の構成や手法が書かれているが、彼の音楽はそれが剥き出しになっている。いわば鉄骨の骨組みを見せられている気がする。
 音楽は決して、譬えればローマ字で書かれた文章ではない。ローマ字でも意味は通じようが、それが新聞社説のような文章とか大和言葉で書かれているとかで、私たちの感情に訴えるものは大きく違う。

 こういうことを書くのは不謹慎かもしれないが、彼に聞くと両親を憎悪しているそうだ。子供のころに相当馬鹿にされ疎まれたらしい。親がどうやら最悪だったようだ。
 よくあることだが、親に見捨てられた子は、寂しくて絵描きや音楽家、詩人などになりやすい。全部が、ではないけれど。そういう子は認識を外に出したがらない。閉じこもって自分の世界を絵にしたり、楽器を鳴らしたりしようとする。

 中島みゆきの詩などは、典型的な閉じこもりの作品で、あれは自分の世界を歌にしているのである。歌謡曲だからまあ良しとするとしても、中島みゆきの歌はスジが通らない不気味な歌だ。

 彼の作曲したものは閉じこもっている音楽である。また音楽エッセイも、人に楽しんでもらおうとか、学んでほしいとかではない。メモ書きのような印象である。
 先に例をだしたが、彦摩呂は商売とはいうものの、自分の認識を外化することが得意で、それで人を喜ばせることが好きな感じが良く表れている。私は彼がガサツだから好きではないが、そこから何事かを感じていただければ幸いである。

 こう書いても、おそらく見解の相違ということになるだろう。仕方がないことである。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(33) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。音楽にも理屈があるんですね。そういう風に考えたことはありませんでした。その方の音楽を聞いてみたいんですが、ネットでは聞けないですか?
Posted by ずぶぬれ久美子 at 2015年11月14日 09:16
Posted by ずぶぬれ久美子 様へ(ブログ筆者です) at 2015年11月14日 12:40
ありがとうございまーす。早速ききました。穏やかな歌ですね。この歌が理屈っぽいというのは日頃フクヤマばかりきいている私にはわかりませんでしたが、解説してもらうことは厚かましいですか?
Posted by ずぶぬれ久美子 at 2015年11月14日 21:47
ご指導頂き感謝致します。私の弁証法に対する認識についてのご指摘には飛躍がありますが。
Posted by 英勲 at 2015年11月15日 05:11
ずぶぬれ久美子様

音楽の解説はどうぞ堪忍しとくれやす(笑)
(2)で彼が言及しているように、音楽の構成、様式を軸にして作曲しているように感じるからです。
印象でしか言えませんが、この和音の次はこういう和音でなければいけない、この様式をはずしてはいけない、という縛りが前面に出ている感じなんですよ。
音楽は模範解答でなければいけない、という声を聴かされている感じがします。


Posted by ずぶぬれ久美子 様へ(ブログ筆者です) at 2015年11月15日 10:37
先生。私も動画を拝見しました。これでも多少は音楽を聴きますが、これは先生の仰るように様式とか和声理論に則った作品ではないですよ。先生仰る模範解答からむしろ外れ過ぎています。この方は作曲するのは大したものですが、音楽理論とか様式はほとんどご存知でないでしょうな。あの動画、パッサカリアなどとタイトルしてますが、和声的な動きはデタラメ。話にならん。
Posted by 歯 at 2015年11月15日 20:08
英勲様

前回のコメントでやんわり申しあげましたが、「英勲」は日本酒の銘柄そのままですよ。これは英勲酒造に失礼でしょう。
「英勲ファン」とか「英勲だいすき」とかならOKですが、そのまんまはまずいでしょう。著作権侵害はいけないと日ごろおっしゃっているあなたが、いいんですか?

あなたの弁証法観がどういうものか、聞いたことがないので、「飛躍」のしようもありません。
私が言ったことはただ、あなたが酒席で弁証法を嘲るように笑いの種にしていることを述べたまでです。
メールで述べておられることもありましたが、あれはただ、あなたが弁証法を何も知らないということがわかるだけです。論評するに値しません。

Posted by 英勲 様へ(ブログ筆者です) at 2015年11月15日 21:14
歯さま

コメントありがとうございます。
おっしゃることは私にも重々分かってます。
本文では「武士の情け」で述べたのです。
Posted by 歯様へ(ブログ筆者です) at 2015年11月15日 21:17
はじめまして。そんなにめくじら立てることかよくわからないのですが・・・。音楽が好きな方がコツコツとブログを書いたり、作曲をしたりしているところに、筆者さんが言い掛かりを付けているように私には見えます。筆者さまはこの投稿を通じて何を期待されているのですか?恐らく親しい関係だと思われますが、コメントで述べられている酒席でのことが不満だったのでしょうか?
Posted by 埼玉県人 at 2015年11月16日 03:47
はじめまして。いつも勉強させてもらっています。個人の方を公の場で非難されたことは間違いです。この一点だけでも筆者の品格が知れる。恥ずかしいと思いたまえ。貴君が我が一門なら破門だ。
それに貴君には論理性が欠如している。非難されるべきは貴君だ。
Posted by 壱百零八手 at 2015年11月16日 06:53
お二人に申し上げるが、本稿は当人の許可を取ってあります。詳しい内容までは言いませんでしたが、厳しい批判になるが…と。
われわれの関係を知りもしないで、推測で言うのはお止めください。
彼はコツコツとブログを書いているわけではありません。作曲したものをCDに入れて聴いてくれとも言いますし、自分の曲の演奏会を開くから来てくれと言ってきたりです。
また、彼の名前を出していません。わかる人にはわかると思いますが、彼を俎上にあげましたが、主題はあくまで認識について、あるいは像で考えるか言葉で考えるかなのです。像で考えないと、作曲がうまくいかないでしょう、と述べているのです。
彼がどうとるかはわかりませんが、これは彼を思えばこその厳しい指摘です。



Posted by 埼玉県人殿・壱百零八手 殿 (ブログ筆者です) at 2015年11月16日 12:45
横から口出しですみません。

私は読ませていただいて、ブログ主様の音楽ブログ主宰者への厚い
友情を感じとり、とてもうらやましく思いました。
ちゃんとご本人にも批判することを伝え、了承を得ておられるのは紳士的です。
ご本人らしい「英勲」という方からも指導を感謝するコメントが入ってますよね。
何も問題ないではないか。その批判に対して「英勲」さんが反論したければしたらいいだけのことでしょう。
ですから「個人を公の場で非難」は見当違いも甚だしい。
私は一介のブログ読者ですが、こんな指導をうけられたらいいなと思いました。実に真情あふれる指導です。
それが読み取れないなら、小学校からやり直しなさい。







Posted by KKKB at 2015年11月16日 21:23
わたしも一言。
ブログ主さんは、ご友人の文章を取り上げながら、文章の書き方をレクチャーしてくださっていると思いました。
「言い掛かり」としか読めない人って、かわいそうですね。
Posted by まりこ at 2015年11月17日 02:59
KKKB様

コメントありがとうございます。
そういっていただけるとありがたいです。
私もむろん、彼を罵倒したくて書いているわけでではありません。ちょっとでも気付いてほしいなと思うのみです。
Posted by KKKB様へ(ブログ筆者です) at 2015年11月17日 09:07
まりこ様

コメント感謝です。
文章の書き方というより、スジの通し方が大事だとのべたつもり。
Posted by まりこ様へ(ブログ筆者です) at 2015年11月17日 09:10
言い方が・・・
Posted by 蹲踞くん at 2015年11月19日 11:08
わたしも、この音楽ブログの方がうらやましく思います。社会人になれば、厳しく欠点を指摘してくれることもなくなります。言われたほうは恨みます。それを承知で、あえて苦言を呈されたこのメッセージは、勇気あるものと思います。
文章にはスジを通せ、というのも、わたしにも当てはまる貴重な助言だと感じました。
Posted by 青シャツ at 2015年11月20日 13:07
青シャツ様

ありがとう存じます。
本稿について、批判的なコメントがいくつかあったことが私には驚きです。
よほど甘ちゃんに育てられた人たちなんでしょうね。教育や指導が楽しいもの、気遣ってくれるものと考えているとは、唖然です。
Posted by 青シャツ様へ(ブログ筆者です) at 2015年11月21日 06:31
そんなにムキになる必要があるのかわからない。筆者様の喧嘩腰の言い方が全ての元凶だと思う。ご本人もコメント欄で感謝しているのにまだ追い打ちをかけるあたり陰険さが感じられる。
彼のブログとの対比でvinyl junkyといブログが織り上げられているが、このブログは盗作とされていて現在、閉鎖状態である。盗作問題でトラブルを起こしている人物の方を評価するのは、結論ありきで評価をしているからではないか。あなたは当事者が誰かで物を見ている。
Posted by 演歌歌手 at 2016年01月12日 18:03
演歌歌手殿

「演歌歌手」というのはただのハンドルネームかもしれませんが、クラシックのような人間の精神性の高みに関わる藝術は、「演歌」じゃわかりませんよ。
こうしたハンドルネームを付けてこられる低レベルのセンスでは、藝術を語る資格はないんですよ。

「当事者が誰かでものを見ている」とはずいぶん無礼な言い方だが、私ほど彼のことを高みで捉えようとして真摯な論議を説いているものはいないはずです。「高みで捉える」と言われても理解できまい?
ムキになっているのではない。彼に期待すればこそ、厳しく言ったことがわからないくせに、口をだすんじゃない。

VINLY JUNKYが盗作で閉鎖と、どういう根拠で言っている?
くだらないことでイチャモンをつけなさんな。質の高みがわからないんだねえ。
私がこの稿で批判したご本人が、その「盗作だ」と騒いでいる張本人であるのは承知しているが、それを嗜めるためもあって本稿をしたためたのである。音楽とは何かをわかってから、批判しなさいと述べている。

Posted by 演歌歌手殿へ(ブログ筆者です) at 2016年01月12日 18:51
私は演歌も好きですが。
Posted by 杉山 at 2016年01月14日 09:00
「VINLY JUNKYが盗作で閉鎖と、どういう根拠で言っている?くだらないことでイチャモンをつけなさんな。」
では、vinyl junkyが盗作でない、という根拠を示して下さい。ちなみにスペル間違ってます。

またvinyl junkyが「質の高みにある」として、それは阿部さんという、元の文章を書いた方が「質の高みにある」ことになりませんか?
Posted by 東条秀志 at 2016年02月23日 06:54
東条秀志様
スペルは間違っていました。お詫びします。
その阿部さんのことは存じません。関係ありません。なんで私がそんな文章を読まなければならないのですか? 
仮にあなたの言う通り、無断での「引用」があったとしても、元の文章がどういう内容か、思想の高みにあるかは、まったく別の問題です。

私は「質の高みにある」などと変な日本語はつかっていませんが? 「『音楽大好き』という感情のスジが通っている」と書いています。この意味がお分かりか? 

「盗作、盗作」って…、どうしてそう心根が狭いのかなあ。日本人の美徳は、支那人やら韓国人やらアメリカ人と違って、まじめで、約束は守り、悪口は言わず、悪口を言われても不遇の身にされても、盗まれても、悠揚として迫らざる…ではなかったのですか? 人の揚げ足をとっている暇があるのなら、自分の人生もっとやるべきことがあるだろうに…。

「盗作でない根拠を示せ」とは無礼ですねえ。なんで私がそんな根拠を示さなければならないのです? 例えば「南京虐殺はなかった」と言うのに、根拠は示す必要はない。「あった」というほうが根拠を示さなければなりません。それと同じ。
私は盗作ではない、などと一言も言っていない。あなたが勝手のいきり立っているだけ。





Posted by 東条秀志様へ(ブログ筆者です) at 2016年02月23日 08:05
二つめの質問に答えていませんな。
vinyljunkyの文章が高みにあるとする。そしてその文章は阿部昌和氏他からの引用であることは事実である。これはmickey氏本人が認めている。そうするとvinyljunkyの精神的高みはmickey氏の精神的高みではなく、阿部昌和他の人物、要は引用先の精神的高みになるのではないか?
筆者さんが「学ぶべき」とする精神はmickey氏のものではなく、阿部昌和他、引用先の文章を書いた人物のものだというのが私の結論である。
Posted by 東条首相 at 2016年02月26日 06:44
東条殿
あなたもくどいひとだな。
ちゃんともう答えている。なにをそんなイチャモンをつけたいの?
私はその阿部なんとかさんに興味はない。なんでそんなものを読まなければいけないの? 
もし阿部なんとかが、私のブログにミンクを言ってきたなら、対応してもいいが、何も言ってない。

そもそも貴殿は「精神的高み」と言うが、私の言葉はそうではない。勝手に言葉を替えてはいけない。ワアツィが言った言葉の意味がそもそも分かっていないじゃないか。だから勝手に言葉を替えてイチャモンをつけられる。

貴殿がその何とか氏がどうとか言うなら、それでいいじゃないか。私には関係ない。
Posted by 東条殿へ(ブログ筆者です) at 2016年02月26日 12:41
いちゃもんを付けていると思われたのならお詫びします。
Posted by 東条H at 2016年02月29日 07:39
横から失礼。東条さまがいちゃもんを付けている、と仰っているが、よくわからない青雲様の論点が弱く、そこを突かれているだけではないか。
Posted by 高砂部屋 at 2016年03月18日 15:02
高砂部屋へ
しつこいねえ。あんた誰? いい加減にしろよ。
私の主旨は、批評にはスジをとおしなさいと論じているのです。ただ「優れている」だけでは駄目ですよ、と。その根拠、理由も説かなければ歯牙にもかけられないというだけのこと。
Posted by 高砂部屋へ(ブログ筆者です) at 2016年03月18日 17:44
青雲さま
       加納

ご無沙汰しております。この投稿については大変失礼とは存じますが、正直わかりにくいです。見習うべきとされているvinyl junkyというページはどうやら盗作の部分が多く含まれているようです。これを「手本」とすることはそのまま盗作先である「銚子の散歩道」の内容を支持することになる可能性を排除できません。
私個人的には拙くてもご本人の言葉で書かれている物を評価してあげたいと考えます。彼が自分の言葉で語っている限り、いつか軌道修正していくでしょう。
Posted by 加納慶彦 at 2016年11月18日 20:39
加納慶彦様
文章のなんたるかも知らないのに、口をだしなさんな。
この稿に関しては、本文でも十分に、かつコメントへの返事で十分に語り尽くしています。
いまさらまた蒸し返す意図はなんなのか。
ご自分の不明を反省なされかし。
「自分の言葉」? そんなものが大事なの? ただ「すばらしい」「美しい」そんな感想が「自分の言葉」ってか?なんの意味もない。
Posted by 加納慶彦様へ(ブログ筆者です) at 2016年11月18日 22:01
先生、怒らずに読んで頂きたいのですが、先生は本文で「このブログの文章が、ただ「きれいだ」「美しい」「嫌いだ」といった主観と感覚的なことで終始しているなら、どうこう言うつもりはないが、論理的な体裁をとった文章だから、きちんと論理を通すべきだと言っている。」と書かれています。
そして11月18日のコメント返信では「ただ「すばらしい」「美しい」そんな感想が「自分の言葉」ってか?なんの意味もない。」と書かれています。
美しい、嫌いという主観で終始しているならどうこう言わない、という本文に対し、11月18日のすばらしい、美しいそんな感想には意味がない、とすると、彼の文章は美しいなど主観で終始しているのだから青雲先生が意見するまでも無いのではないでしょうか?矛盾しませんか?
またいかに内容の優れた文章であっても、他人の文章をもっともらしく自分で書いたようにして発表することをどう評価したらいいのか私にもよくわからないのでそう怒らずに解説頂けたら後学に役立ちますのでよろしくお願いしたいのですが。
Posted by 五十四歩小 at 2016年12月01日 17:50
この件に関しては、本文で言い尽くしていると思っているのだが、いまだにこうやって手を替え品を替えして文句が来るのにはうんざりしている。だから怒りたくもなる。
第一義にはこれは俎上にあげた音楽ブログ筆者へのエールである。諭している。せっかく論文として書きたいという雰囲気があるのだから、ただシベリウスは素晴らしい、ではなくそれがなぜそう言えるかを書くべく努力すべきだと言った。

私が批判した音楽ブログ筆者は、先輩の音楽ブログについて他人の文章の盗作だと言うけれど、自分の文章は盗作でないと自慢するのだったら、その前に自分の感想や論拠を「素晴らしい」程度で済ませるのではなく、なぜそうなるのかを論じるべきだと言った。

盗作じゃないかと言われたブログが本当に盗作かどうかは私は知らないし確かめようもないと断り、少なくとも音楽が好きでたまらないという思いは正直に述べている点では、批判しているご仁よりは見事に読ませるものなのである。
 盗作かどうか確認しようがないから知らないが、少なくとも例えばシベリウスがどうして素晴らしいかを筆者なりに書いているほうが立派であって、批判する音楽ブログのご仁は、その域に達していない。だからどうでもいいことで人を批判する前に、自分の文章を読ませるものにしなさいと言っている。

 ということを本文で述べているのだ。これ以上別に言うことはない。その音楽ブログ筆者への批判であり、エールでありつつ、本文では文章とはどうあらねばならぬかの一般性を書いているのであって、それは不特定の読者にも読めるように、かつ、意味のあるようにとの意図で説いている。その二重構造なのである。
 だから五十四歩小殿がいうように、いわゆる矛盾はしていない。

 つい先日、この盗作だと批判されている方が主催したレコード鑑賞会に行ってきた。大変楽しく、勉強になる会で、彼の造詣の深さばかりでなく、音楽の愉しさ奥深さを堪能させてもらった。で、彼の知識や話のなかに、もしも誰かの意見の「盗作」があったとしても、確かめようがないし、どうでもいいことではないか。
 盗作だから悪いと批判するご仁に、では彼のような音楽会を主催して、カネを払って聴きにくる人が何人いるんだ?
 人を集められまい。「シベリウスは素晴らしい」と、それだけしか言えない中身を、人はわざわざカネをはらってまで聴きにくるか?

 他人を盗作じゃないかと批判する前に、君は魅力的な人間になりなさい、君が音楽を好きでたまらないという思いに深く共感してくれる人が多数いる人間になりなさい、そうでないと自分のブログは人に読んでもらえる水準にならないよと諭している。それに対してはノーアンサーである。無視。
 ところがコメントに入ってくるものは盗作、盗作の合唱だ。
Posted by 五十四歩小様へ(ブログ筆者です) at 2016年12月01日 18:38
vinyl junky ➔ レコードコレクター
リベラ ➔ 音楽ファン
Posted by ワレサ at 2017年02月01日 07:52
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