2015年12月01日

ウィッシュフルシンキングの罠(2/2)


《2》
 話が大きく脱線したが、伊藤氏は支那はこれからも年に5%くらいの経済成長率は維持するだろうと語っている。その点では、日本の保守的論客の予測する「すでにマイナス成長になっている」との主張と真っ向対立する。

 伊藤氏は、アメリカが支那との貿易がないとやっていけない状態で、その問題を抱えているからユダヤ支配層が、支那と衝突することを避けていると語っているけれど、一方で、アメリカが実際に対支那への輸出依存度は年々低下して、今や7%台である。アメリカにとっては支那はさほど重要視する必要がない。

 対支那輸出の国別ランキングで見ると、モンゴル、北朝鮮、コンゴなどの資源を支那に売っている国がベスト10にあり、日本はずっと低くて21位、18%ほどでしかない。
 つまり、アメリカも日本も支那を必要としなくなっている。なのに日本のマスゴミは支那との関係を維持発展させないと困るのだ、なんて嘘をたきつける。

 上海の株暴落で連鎖してアメリカのウオール街も株暴落が起き、アメリカでは年金が大打撃を喰らった。さしもの支那好きのアメリカ人も、支那のやり口に憤慨するようになってきている情勢もあるのではないか。

 年何パーセントの成長かはわからないが、とにもかくにも、アメリカは支那の経済を支えるはずだと伊藤氏は述べる。日本にもそれを命じている。投資は減ることはあっても断絶することはなかろう。
 なにせ、支那は他国を騙すこと、技術を盗むこと、国民を弾圧して黙らせることに関してだけは努力を傾けるからだ。

 私には正しい支那の経済はわからないが、支那はそもそもGDPの統計なんかどうでもいいのではないか。すべては嘘、それが前提であり、人間はそれで動くことを奴らは知っている。異を唱える者は無視するか弾圧してくる。

 中共指導者がGDPは5%成長だといえば、そうなるという話である。正確な統計なんかが通用する世界ではない。欧米も日本も、支那のムチャクチャを嫌いつつも、止められない。
 本当のことを言うべきだとする経済学者や官僚がいれば、糧道が断たれ、殺されもする。嘘の数値を認める人間だけが優遇され、出世する。

 実体のしわ寄せは大衆にかかってくるが、支配層にとってはどうでもいい。
 何千万人餓死しようが平気、核戦争が起きて主要都市が潰滅し、人民が大量に死んでもおかまいなし、自分たちさえ生きて、金儲けできればいい。
 

 しかし伊藤氏も語っているが、アメリカや日本はそうではない。核兵器に怯えてしまう。一発でも落とされたら戦略にただちに影響する。簡単に支那に譲歩するだろう。中共指導者にとっては、大衆は虫けらだから、核兵器で殺戮されても痛くも痒くもない。核は日本やアメリカを脅す強力な材料にはなるが、自分たちへの脅しにはアメリカは使えないのである。
 
 ということは真実であるが、伊藤氏はそれをせせら笑うかのように語る。日本の同胞への愛情があまり感じられない。憂国の情なしに、淡々と世界情勢を分析してみせる。その不快感がどうしても残る。彼は日本のためを思って分析してみせるのかもしれないが、自分は在米で、半ばアメリカ人になっているから、日本のことを思うと滾り落ちる涙が…とはならないのだろう。

 彼は「ボクは支那を尊敬している」と笑いながら語れる人である。「尊敬」という言葉を感情抜きでしゃべれる神経とはなんだろうか。
 「敵ながらようやる」程度で語るべきである。彼は専門の国際政治でしか対象を見られないからで、現実にわが国がどれほどひどい目にあっているか、は、感情として知らない。

 その意味では伊藤氏はウィッシュフルシンキングから脱却して、現実を見事に捉える能力が身に付いている。だからその分析には学ぶことが多い。
 しかしwishful thinkingがゼロということは、理屈ではないところの日本への愛着や大切な文化への感動などは、不合理として棄てることができるのではないか。

 それゆえ、平気でアメリカに在住できる。
 アメリカが好きな人は、感情が薄いからできるのだ。
 ウィッシュフルシンキングはいかにも現実を見る目を曇らせる。アメリカの指導層が支那に対してウィッシュフルシンキングで見てしまう傾向は困ったものではあるけれど、それは別言すれば人間の認識にとって必然の「問いかけ的認識」だからである。

 人間の認識(像を創ること)に、「問いかけ的」なありようは必然である。それもまた二重構造であるから、別の面でいえば、恋愛もそうだし、藝術を創ることも鑑賞することも、宗教をつくってしまうことも、ウィッシュフルシンキングがあればこそ、である。
 主観は決して棄てられない。

 この矛盾を克服する術を人類はまだ確保していないのだと思う。
 それを克服する道として、私は「スジを通した音楽批評とは(2/2)」で、問題提起しておいた。
 それは、「論理的とはスジが通っているとは、対象の構造に分け入るだけでなく、体系性もなければならず、筆者自身の認識にも分け入ることである」と。

 これをアメリカ人が支那を見る時のウィッシュフルシンキングの問題に則していうなら、アメリカ人は支那という対象の構造を見る場合に、人類史とか人間のまっとうな生きざまといういわば体系を踏まえることと、対象を見る自分がウィッシュフルシンキングになっているか否か、自分の認識にも分け入る必要がある、ということだ。

 さらに、そもそもを言えば、「認識学」を構築し、学ぶことでしか、対象の構造と自分の認識のありようをより正確に捉えることはできないのだ。
 だが、認識自体を学問的に問うとか、より人間として立派になるために活用するとかを目指す人間はごく少ない。まして支那人やアメリカ人は皆無といってよいほど、そんなことはどうでもいいになっている。

 しかし、アメリカ人はキリスト教を信仰しているから、キリスト教の体系からしか見ないし、自分勝手に善意の塊だと自負してしまう。しかも過去にインディアンやら黒人やらを虐殺しまくった先祖がいるのだから、そういう現実を見たくないのである。だからどうしてもウィッシュフルシンキングに浸りたい。
 それがまた支那人のつけ込む隙になっている。

 日本人も支那やアメリカから、大東亜戦争で非道なことをした、侵略した虐殺したと思い込まされることで、それが嘘なのに現実だったと思わされて、贖罪意識や自虐意識を持たされることで、現実をしっかり見る術を身につけるより、ウィッシュフルシンキングに浸されるようにさせられている。憲法9条さえあれば戦争はしなくて済むなどと狂った考えに取り憑かれる。
 そこが支那やアメリカの思う壷となっている。

 wishful thinkingの矛盾、それで苦しむ民衆のことなど、カネで解決するか、殺してしまえばいいとする力の支配が世界を席巻している。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アメリカが支那を支えるってのは、どうですかね。
アメリカと日本は、中共がたくらんだAIIBに参加しなかった、見限っているとも読めます。そうなれば伊藤貫の見立ては狂いますね。
Posted by KKKB at 2015年12月01日 12:19
いつもブログ更新を楽しみにしております。
★●金は金の為にアメリカの白人層は支那をキリスト教に教化できると幻想を忘れられないのではないかと考察しております。

支那大陸において清王朝末期の揚子江南部における『太平天国の乱』と呼ばれているキリスト教国建国の謀略を今一度再現したい。 アメリカの白人層は支那人と本格的な付き合いがないので未だに幻想が醒めないのではないかと考察しております。
Posted by 智象 at 2015年12月01日 21:13
智象様

なるほど、支那人をキリスト教にしたい、と。
それが根強くあるのでしょうね。
Posted by 智象様へ(ブログ筆者です) at 2015年12月02日 14:38
KKKB 様

IMFが国際通貨基金にしましたが、どうせ中共はカネを使って籠絡したのでしょう。
みんなカネで転びます。
Posted by KKKB様へ(ブログ筆者です) at 2015年12月02日 14:41
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