2015年12月15日

老人の嘘つき


 車椅子に乗っているジジ・ババの多くは、人が同情するから降りようとしないのだ。一時的に重態で歩行できないとか、足が不自由で歩こうにも歩けないケースもあるが、それを咎めるバカはいない。
 なんでもかんでも車椅子に乗って、人様に押してもらうことが当然と振る舞っている人を指して言っている。

 実際に病院なんかで見ていると、車椅子のバアさんなんかに、看護婦や看護助手らが寄り添い、優しい言葉をかけ、かゆいところに手が届かんばかりに世話をしている場面に出くわすことがある。その行為は反面で、ますます患者を増長させ、車椅子から降りる努力を放棄させているのである。主観的には優しさと善意のつもりが、客観的には残酷な仕打ちになっている。
 
 なまじ善意だから始末が悪い。困っている人を助けるのが人間として当然じゃないか、と怒鳴り返されそうだ。しかしながら、地獄への道は善意の石で敷き詰められているとの諺があると、少しでも思い返してほしいものだ。

 以前、丸山健二氏の自伝的エッセイ『生者へ』(新潮社 2000年刊)から、氏の父君の臨終場面を紹介したことがあった。
 いったんは医師から危篤を宣告された父君だったが、持ち直したそうだ。
 レントゲンの写真で見ると、丸山氏の父の脳は脳軟化症でボロボロになっているのが、素人目にもはっきりわかったそうだ。だからたとえ命をつなぎ止めたとしても、廃人同様の状態になり、植物人間のようになって意思の疎通はあり得ないと医者も断言した。

 「ところが、日が経つうちに付き添う身内の者の呼びかけに反応するようになった。とんちんかんな返事の場合もあったが、まともな受け答えとしか思えない場合もあった。そして、筋肉に衰えが感じられなかった。流動食とはいえ、食べることもできるようになった。」

 身内の人たちも、危篤から脱したとはいえ、病人がいったい本当に呼びかけを理解して返答しているのかどうかわからなかった。そこで丸山氏は自分が付き添ったときに確かめようとした。
 「父は相変わらず無表情を保っており、かたわらに誰がいるのかまったく知らないかのような様子だった。ときおり脈絡のない短い言葉をうわ言のように発したりしていた」
 という状態の父上に、確かめたいこととは、それでもまだ生きていたいのかどうか、であった。

 丸山氏は「露骨な言い方で、死にたいのか生きたいのかという二者択一を迫る質問を浴びせた」ところ「思考力が残っているとはとうてい思えない顔」の父君から言葉が発せられた。
 「死にたくない」と、はっきりわかる言葉でそう言ったというのである。

 丸山氏の父君は、女学校の国語の教師で、絵に描いたような軟弱きわまる文学青年だったそうである。しかも優柔不断のマザコン。およそ精神の膂力を把持している作家・丸山健二氏とは性格が似ていない。
 「『死にたくない』と、父はそう言った。厳しい問いかけに対してはいつもあやふやな表現しかしない男にしては実に明快な答え方であった。答えてくれたことで何もかもわかった。父はとぼけていたのだ。意識が朦朧としている振りをしていたのだ。付き添いの相手によって演技していたのだ。」

 なぜ「演技」するのかわからないと丸山氏はあきれているが、私はそれが人間だと思える。
 要するに「社会全体で甘やかしてくれるから、ますますボケ老人は増える」のであり、老人が病院にしけこめば、看護婦から家族から皆して甘やかしてくれるのだから、当人はわがまま放題を決め込み、ボケたふりをするのである。
 丸山氏の父君の場合もそうであったのだと思われる。
 人間は死の際までいっても甘やかしてほしいから演技をするものだとは、ちょっと愕然とするが。

 車椅子に乗る老人の多くがこれであろう。

 ところで、話の主題は雅子皇太子妃である。
 病名ははっきりしないらしいが、ほぼ「適応障害」と診断されている。適応障害とは、そっけなく言えば「わがまま病」である。医者も本音ではそう確信しているが、それでは儲からないから、病名を付け、薬を処方する。

 適応障害は、本人は周囲に苦しいと訴えるだろうが、そのくせ自分の権利だけは事細かに主張するのが“病気”の特徴だそうだ。その一方で、権利にともなう義務だとか、周囲の迷惑はお構いなし。病気だから、と言って勝手放題をやらかす。

 雅子の場合は、よほどの天皇教信者でなければ、みんな仮病を疑っている。「公務」は欠席するくせに、好きな買い物やスキーや海外旅行はせっせとお出ましになる。ドタキャン、ドタ外出、遅刻、早退出、が大得意。

 平成19年4月から20年の3月までの1年間、公務日数は天皇が251日、皇后が188日、皇太子が148日、雅子妃殿下が18日、秋篠宮が218、紀子妃殿下が176日だそうだ。
 くわえて雅子の私的外出が103日で他の方々より群を抜いて多い。
 今もそう変わるまい。まさにわがまま病の発揮である。

 天皇崇拝者たちが、皇室を疑うのは畏れ多いことだとか、まさか妃殿下におかれては…などとはっきり批判せず、結果として甘やかし、ごまかすから、調子に乗って勝手をやっているようだ。つまり車椅子から降りないジジ・ババと同じであろう。同情することがかえって雅子のわがままを助長し、取り返しがつかなくなる。

 天皇崇拝者は、病気なんか放っておけばそのうち治るとか、皇后になればいきなり回復するんじゃないかとか、根拠なく無責任に現実から目をそむける発言が行なわれている。臭いものには蓋とか、皇室問題には仰ぎ見て深入りしない…そんな姿勢が正しいのか?
 今のわがまま病のまま皇太子夫妻が、天皇皇后になったら、国家と国民が被る混乱、みっともなさ、への危惧がまったくないとはいかなる脳をしているのだろうか。

 さっさと浩宮と雅子を廃太子・廃妃にして、秋篠宮を皇太子にし、今上天皇は引退してもらって、近々に天皇にすべきである。それがまともな危機管理を踏まえた考え方である。
 明仁と美智子が抵抗しているのだろうか?
 車椅子の話から始めたが、大きく皇室批判になってきてしまった。
 





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(5) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そのとおりです。
老人は怠けます。ずるをします。なんでも人にやってもらおうとします。
だからぼけるのですよね。
Posted by まりこ at 2015年12月15日 08:49
まりこ様

そうです、ずるをやればボケます。
だから雅子嬢は、60くらいになったら、もうボケるでしょう。仮に現在の「適応障害」が治ったとしても、皇后になるころには、これまでズルしてきた報いで、人様の前に出られなくなるのではないでしょうか。
Posted by まりこ様へ(ブログ筆者です) at 2015年12月15日 10:40
なるほど、あきらめてはだめということですね。私も昨日びしょびしょになったスカートをあきらめないで乾かしました。
Posted by ずぶぬれスカート女 at 2015年12月15日 15:23
その通り、その通り、と思いながら読み進めていたら、最後に雅子批判に落ちたので、やはり!と思いました。
思えば、皇太子妃でありながら、仮病を装って皇太子妃としての義務を公然とさぼるような雅子の存在が平成天皇と皇太子に許されているわけで、道理で、平成の世になってから、会社でも巷でもどこでも、図々しい人間が増えたのですね。曲がりなりにも皇室ですから、国民の模範になるような人達であってほしいと思いますが、皇太子夫妻は間逆ですからね。このような皇太子夫妻が天皇になるようであれば、日本は滅びます。
Posted by 奈々氏 at 2015年12月15日 20:53
奈々氏 様

久しぶりの投稿、感謝します。
本当に、国民の模範であってほしいものです。
Posted by 奈々氏 様へ(ブログ筆者です) at 2015年12月16日 12:40
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