2015年12月17日

浩宮・雅子を廃太子・廃妃に(2/2)


《2》
 西尾幹二氏は『皇太子さまへの御忠言』のなかで産経の古森善久氏の『国連幻想』を紹介している。以下が古森氏の論述を「かいつまんで要約したもの」だという。

     *    *    *

 国連大学は学生も教授もキャンパスもないので普通の意味での大学ではありません。国連がいっさいお金を出さず、財政の基盤は“国連病”に浮かれてきた日本が独自に負担している奇妙な組織です。平和とか環境とか開発とかをめぐる委託研究や研修会を催してきましたが、やっていることにさして意義がなく、「国連合同監察団」が調査に入って、ここで行われている研究は国連にとって、ひいては国際社会にとってはたして「適切か」という疑問を突きつけて帰ったこともあります。

 国連大学は1969年に当時のウ・タント事務総長の構想として提案されましたが、日本以外の他の国はまったく冷淡でした。理由は、国連は各国の政治の協議の場であって、高等教育機関を開くことには適さない、という良識が働いたからですが、ただ日本だけは熱狂的な対応をみせ、佐藤栄作首相を先頭に、「国連中心外交」のシンボルとしてこれに飛びつき、熱心に招致を求めました。

 1973年に日本が国連本会議に提案し、他の国々は自分たちが資金を出さないでよいなら勝手に、という態度で可決しましたが、米欧諸国もソ連や東側諸国もこぞって表決に際して棄権しています。主要国はどこも賛成しなかったのです。
 日本政府は都心の青山に時価20億ドル以上の一等地を用地として無償提供し、75年にオープンしました。

 元チリ大使、色魔力夫氏は曰く、「『国連大学』とは名のみであり、事実上、日本が国連の名を借りてつくった訳のわからぬ学術機関となった。日本の横車に国際社会が根負けして設置を認めることになったのだ。無用の長物として国際社会の軽侮の的となる筋の悪い発想を崇高な文化事業であるかのように錯覚したといえる。」

 国連大学では各種の集会が開かれますが、そこから長年、日本政府に対する攻撃の矢が頻繁に放たれてきました。例えばNGOの一つである某集団が50人ほどの集会を開いて、「日本国内の移住労働者や野宿者のコミュニケーションの権利」などを論じたそうですが、そこで全会一致で日本政府への謝罪要求が決議されたそうです。

 それは2003年1月に東京で開かれた「世界社会情報サミット」東京会合に日本政府が北朝鮮代表を招かなかったことは不当だから謝れ、という高圧的な内容でした。

 国連に直接、間接のかかわりのある団体が国連大学で集会を開き、日本政府の政策を真正面から糾弾する。しかも特定の政治傾向に基づく非難がほとんどとなる。国連大学を熱心に招き、運営の経費を毎年負担する日本政府にとっては自分の足を自分の銃で撃つような悲喜劇である。

     *    *    *

 国連大学ではあの「慰安婦問題追及のセミナー」も開かれ、性奴隷だったと叫んだものだった。国連人権委員会は北朝鮮や支那の人権抑圧や、ヴェトナム戦争での韓国軍兵士によるヴェトナム女性の強姦などには追及せず、ありもしなかった「従軍慰安婦」だけを熱心に非難する。

 こんな伏魔殿に雅子妃が夢中になって通い詰めることは、極めて危険なことなのである。雅子に進講するのはほとんどが害務省の職員だそうで、そういう事実からも、雅子が日本の元首であるべき天皇の妃になることほど不穏当なことはない。

 西尾幹二氏はこう述べる。
 「日本国内の調和、つつましさ、優しさ、乱れをきらう洗練された美意識、汚れのない清浄感、自我を抑えて天地自然の前に跪く敬虔さ、こうした特質を代表しているのが皇室である。そしてこれはすでに見てきた通り、ある意味では『日本人的なもの』の特性でもある。身の周りに穢れのない秩序を保つという美意識は、日本人のいわば道徳である」と。

 この見解には私も反対しない。それが理想だ。
 何度も書いてきたが、南北朝時代に生きた北朝の光厳院こそ、それを体現された天皇であったと思う。一方で後醍醐院は私利私欲のために国を混乱に陥れた悪人だったのに、今日では天皇崇拝者が無条件に、天皇親政を回帰させようとしたというだけで後醍醐院を持ち上げるのを不快な思いで見ている。

 京都の御所はいわゆる城郭ではない。壁も乗り越えようと思えば容易いだろう。戦乱に巻き込まれればひとたまりもない。先日、韓国人によって靖国に爆発物が仕掛けられた事件があったが、御所もそういう危険はある。まったく無防備である。
 天皇が西尾氏が説くように、日本人の「信仰」や「道徳」や「美意識」の宝石のようであるからこそ、ゲバルト的には防御する術がない。

 「しかしこの道徳は自ら守るために戦う方法を知らない。それは皇室に自己防衛の手段がなく、それ自体は玻璃のように脆く、壊れやすく、国民に守られて初めて安泰であるのといわばパラレルである」と美しい言葉で説かれている。
 だから雅子のような破壊分子に侵入されるとひとたまりもない。

 さて。
 皇室批判をすると、どうしても反発がくる。
 まずは畏れ多いのだから言挙げはならぬと、はじめから天皇を絶対聖域にして譲らない向きが強固にある。
 雅子についても病人をいじめるな、それでなくても感じやすい方なのだからそっとしておくのが一番良いとするもの。

 よしんば天皇や皇室に瑕疵があったとしても、それをあげつらうことは反日左翼を利するだけだ、日本の国体をあえて傷つける言動はやめろ、とか。
 つまりは問題があろうとも「見ざる、聴かざる、言わざる」でいいじゃないかと言うものだろうか。

 私は必ずしも天皇制度の否定論者ではない。なにがなんでも、無理してでも維持するべきとも思わないが、わが国にとっては次善の策かと思っている。だから西尾氏の擁護論はわかるし、大事にする気持ちもわかるつもりだ。
 だが、だからといって、ヒロヒトのように戦争をアメリカと組んで八百長をやらかしておきながら、無責任なありように憤っている。

 また、天皇や皇室を利用して権勢を得るフィクサーの存在とか、逆に政治に介入してくる天皇と皇室を好ましいものとは思わないだけのことなのだ。
それよりなにより、「崇高」という概念で維持されてきたはずの天皇を、長州のテロリストが私利私欲で弄んで、大室寅之祐にすり替えてしまったことを問題にしている。

 批判すべきは批判する自由は保障されなければならない。戦前のように、いっさいを禁じて逆らう者を獄に投ずることは悪政だと思う。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも読ませていただいております。
新鮮さ、誠実さ、真摯さ、論理的、わかりやすさ、それに痛快さ、いつも感心しています。
雅子妃の批判は同感です。あれは性悪女ですね。そんなにやりたくないなら、妃を辞退すべきです。
ブログ主さまがおっしゃるように、「見ざる、聞かざる、言わざる」ではいけません。
Posted by 白井奈津子 at 2015年12月17日 08:08
慰安婦のことですが、中曽根は慰安婦施設を率先して造っていたことを自慢しており、慰安婦業者に天皇の勲章が渡っている。 なかったと言うことは不遜ではないか? また、昭和天皇は大戦を偽旗として引き受けた本人であり、原爆の抗議をしないように圧力をかけた。 神聖とは、プロパガンダに過ぎない。 天皇制がある限りは、日本は普通の国ではないと考えます。 異常ですよ、これらの罪が、天皇だからというだけで許されるのは。
雅子に関しては、チッソは人体実験として水俣病を発祥させた家系でもあり、天皇のエイジェント・創価の家系でもある。
めちゃめちゃです。 単純に、なぜ、税金で養わなければならないか、それは、神聖としていった田布施朝鮮軍団のプロパガンダだけだと確信します。 こんなタブーがある国は、滅びゆく国でしかない。
Posted by マリア at 2015年12月26日 09:10
マリア様

戦時中に戦地では慰安婦はいましたよ。それを否定している人はいません。「従軍慰安婦」はいなかった、と言っているのです。
慰安婦はどこの軍隊にもつきもので、日本だけが異常ってことはないのです。

昭和天皇に関しては概ね賛成です。
Posted by マリア様へ(ブログ筆者です) at 2015年12月26日 14:30
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