2015年12月30日

『ラウンダーズ』に学ぶ国際政治(2/2)


《2》
 ポーカー映画は、アメリカではずいぶんと作られてきた。
 取り上げている『ラウンダーズ』以外にも、『シンシナティ・キッド』『007カジノ・ロワイヤル』『マーヴェリック』『ラッキー・ユー』など。林秀彦さんは、「その国民性を知るには、その国でもっともポピュラーな賭博の種類を知ればよい」と語っていた。支那人なら麻雀、イギリス人ならブリッジ、そしてアメリカ人はなんといってもポーカーである。

 そして「いま世界はアメリカ人のポーカー精神によって制覇されている。政治もビジネスもポーカー感覚なくしては太刀打ちできず、また、アメリカ人ほどのポーカー名人になることは、世界のどの国民にも不可能なのである」と、『日本を捨てて、日本を知った』のなかで説いている。

 「ポーカーには麻雀のような天の配剤はまったく関与されない。あくまで個人の合理に徹した才能にかかわる。セコさの極限が要求される。悪知恵の限りを尽くさねば勝てない。二重人格、時には三重四重の人格が要求される。勝負する相手の性癖から、日常生活の傾向や好みにまで精通し、初対面でもたちどころにそれを見抜けるだけの人間性への洞察力が不可欠だ。」


 これこのとおり、これがアメリカ人なのだ。
 「ポーカーほど長期の戦略(ストラテジー)が不可欠な賭博もない。一回一回の勝ち負けなど、まったく関係ない。だから逆に言えば、時間を制限したポーカーはポーカーにならず、相手が一文なしになる最後の最後までムシリトルことがゲーム全体を支える必須条件となる。」


 日本はペリー来航以来、アメリカ人の得意とするポーカーの場に素人として上げられ、勝負させられてきた。将棋か囲碁しかできない国民なのに、全部いいようにやられっぱなしだ。
 例えば、アメリカは日露戦争で日本に勝たせ、満州を譲り、朝鮮まで与えた。まさに「一回一回の勝負など、まったく関係ない」のとおり、アメリカは最後に戦争を仕掛けて、日本からムシリ取ったのだ。

 半ば冗談で言えば、アメリカを少しでも知るには、東大出の害務省秀才なんかに任せてはダメに決まっている。日本人のポーカー名人に内閣参与にでもなってもらえば、いくらかは被害が減るかもしれない。
 とても太刀打ちできないと悟るためにも、先のポーカー映画くらいは見ておくといい。

 『ラウンダーズ』には、主人公がロースクール(法科大学)の学生という設定で、これが実にうまいのだが、そうしたロースクールには判事、検事、教授達がこっそり集まって賭けポーカーをやっている場面が出て来る。法廷の場はまさに彼らに取っては戦いであって、ポーカーと同じである。アメリカが弁護士だらけになるわけだ。

 昨日の話のつづきだが、日本の国家安全保障について、私たち日本は明治維新以後、むりやり列強ひしめくポーカーの場に引きずりこまれ、1945年には全部スって身ぐるみ剥がされたのだ。とても自力では国際政治の場ではやっていけない。いつまで経ってもポーカーで勝負できない国民性である。つまり素人なのだ。

 日本ではせいぜい「丁半賭博」で、あれはイカサマをやる以外は運は天まかせだ。ポーカーのよう奥行きはない。
 帝国海軍の山本五十六は大変バクチ好きだったと言われるが、まさに奴らのやったのは「丁半バクチ」だった。どうしてもっと開戦に至らぬように、アメリカ、ソ連、支那などと「ポーカー」や「麻雀」ができなかったかと思うではないか。

 日本が主体的に、自力で国家の安全保障を維持しなければいけないのは承知しているが、なんとか身ぐるみ剥がされないためには、ある程度犠牲(例えば米国債、思いやり予算、年次改革要望書など)を払ってでもポーカー名人のアメリカさんにくっついてゲームをするしかないのである。それが日米同盟だ。
 こんな不愉快な、情けないことはない。しかし、じゃあ日本が単独でポーカー勝負に挑んで勝てるのか? ダメだったことは大東亜戦争で証明済みではないか。

 お前は日米同盟に賛成なのかと問われるなら、賛成とも言えず、反対とも言えない。そんなスッキリできるような国際社会なんかないからだ。これは二択で答えられる問題ではない。
 サヨクのように、反対だと言えればどんなに楽か、すっきりするか。アメリカと集団的自衛権を結べば、南沙諸島の有事、中東の有事に駆り出され、自衛隊が殺し殺されるようになるとのサヨクの主張は、当分は絶対にあり得ないが、将来に渡ってあり得ないかと言われれば、そんな先のことはわからないが強いていうならあり得るだろう。

 アメリカは邪悪なのだ。というより、どこもかしこも、そういうものだ。それが人類の歴史であった。

 じゃあ、と言って、「うちらには憲法9条があるもん、戦争には行かないんだよ〜♪」と言うのは、まるで、女性がネグリジェ姿で、むくつけき男どもがたむろする非合法カジノに入って行くようなものである。しかもルールすら知らずにポーカーに手を出す…。
 陵辱されるに決まっているだろうに。

 日本人がいつまでもそんなノー天気ではいけない。世界はポーカー名人が支配する賭場なのだと理解することが不可欠だ。そのうえで少しでもずる賢さや、長期戦略の立て方とか、相手を性善説に頼らずに知り尽くすとか、多少はかもられても身ぐるみは剥がされないような心構えを持たなければならないのだ。

 一例を挙げれば、ついこの間、韓国で産經新聞のソウル支局長への言い掛かりで無罪判決が出たことなどは、ポーカーとして捉える必要がある。あれを単に、韓国が司法が独立していない後進国だとか、表現の自由が韓国でも認められた、あるいはこれで日韓関係も悪化に歯止めがかかった、などとマスゴミの記者どもは浮かれて論評しているのは、まったく上っ面のことである。

 はじめからか、途中からかは定かではないが、韓国はあの産経の記事と支局長告訴の件を、外交カードにしてきたのだ。
 アメリカからパククネが叱られたということもあろうし、韓国経済界が日本と切れたら困りますと悲鳴をあげたこともあろうが、最終的には韓国は告訴したこと自体では失敗した(負けた)けれど、そんなことはどうでもいいのだ。

 要するに、ポーカーと同じで、ゲームの途中でいくら相手に勝たせてもいい。最後に巨額の成果を得ればいいからだ。
 韓国は産経の件で、日韓関係を悪化させないために外交的配慮をした、と、さかんに言っている。つまり、勝ちを譲ってやったんだから、次は日本が譲歩する番ですよと言って来るに違いない。

 産経の件では譲歩したんだから、「従軍慰安婦」で譲歩しろと言ってきているにちがいない。これで譲歩すれば、韓国はそれをまたカードにして日本を強請って来る。

 韓国は、産経の支局長を有罪にして、韓国国民に溜飲を下げさせるか、それとも韓国もやっぱり話のわかる国だ、日本の立場もわかってくれるというメッセージを日本のとくにサヨク親韓派に納得してもらうかの二択ではなかったか。
 韓国として最終的狙いは、日韓基本条約で決まっているあらゆる問題の最終決着を覆して、慰安婦やら戦時徴用の支払いなどでカネを毟り取りたいのである。

 そのために彼らは産経の記事にいいがかりをつけ、外交問題にし、勝てなくてもいいから、日本政府と国民を揺さぶろうとした。
 それに対して、日本側は産経の元支局長を官邸に呼んで、安倍首相自ら面会して慰労した。これは異例のことだが、韓国へのメッセージが込められている。

 韓国からは、「たった3億円で慰安婦問題を全面解決にできるんです」と言ってきていた。それを安倍首相はきっぱり撥ね付けるとともに、まあ産経の事件では控訴取り下げてくれて感謝しているよ、とニコッとしてみせたのであろう。これが大人の振る舞いだ。

 ポーカーをやっていると捉えれば、実にわかりやすい。

 もう一例でいうと、財務省が消費税を上げようと画策しているのも、ポーカーと見ればわかりやすい。
 国は借金まみれだとか、国民が子孫に巨額のツケを回すとか、財政規律再建が最優先、赤字の健全化は国際公約、「財源はどうする」などのブラフをかまして、マスゴミや御用経済研究者を使って国民に間違った知識を与え、しかも消費増税に慎重な国会議員に国税庁の査察を差し向けて屈服させる。

 これはみんな財務省官僚の陰謀で、テメエたちの利権を握り続けるため、それにテメエたちの失政をごまかすための作戦である。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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