2016年01月14日

アメリカ銃社会の絶望(2/2)


《2》
 ところで。
 疎外とは、マルクス主義では資本家が労働者を「疎外する」というように悪い意味で流布させてしまったが、本来はそうであってはならないということを、南ク継正先生が説いておられる。
 これは一度本ブログで紹介したことがある。

 『南ク継正 武道哲学 著作・講義全集』第8巻(現代社)から引用させていただきたい。

     *    *    *
 (引用開始)
 ヘーゲルはこの疎外という言葉を良い意味(表の意味)で捉えているのに対し、マルクス・エンゲルスは悪い意味(裏の意味)で捉えてしまうのである。
 簡単に説くならば、疎外とは、人間が労働を対象化したものが人間を規定する(規定してくる)という事である。少し説くならば、諸君が何か労働をした、何か対象に働きかけたとすれば、その働きかけた相手(対象物)が働きかける自分をもそれなりに規定してくる(規定されてしまう)という事である。

 もっと具体的に説くとしよう。諸君が原っぱに行ってそこを耕したとする。そうすれば、その原っぱは当然のことながら、諸君が働きかけた労働のレベルに応じて耕されていく。これを労働の対象化というのである。実はこれはこれだけでは終わらないのである。

 諸君が原っぱに何かの耕しを働きかければ、当然に諸君の体力と知力がその原っぱの何らかの耕しに応じて用いられるわけであるから、そうなると体力と知力は原っぱに必要とされた割合に応じて、すなわちそのレベルで諸君の体と知識は変化させられていくという事になるのである。

 すなわち、原っぱの耕しが困難ならば、その困難に応じた体力と知力が使用される事になる。となれば、体力と知力は諸君が原っぱを耕している過程で、少しずつまた少しずつと原っぱの耕しに応じた変化を受け取る事になり、受け取れる変化に応じた形で諸君の体力と知力が創り変えられていく事になるという事である。

 端的には、原っぱの変化が諸君の体と知識への変化へと化していく事になるのである。これを単純にいえば、これを疎外と称するのである。

 (引用終わり)
     *    *    *

 南ク先生が説く、
「諸君が何か労働をした、何か対象に働きかけたとすれば、その働きかけた相手(対象物)が働きかける自分をもそれなりに規定してくる(規定されてしまう)という事である」
 の箇所は、「疎外」の理解の上で、すこぶる重要な文言である。

 私は例えばアメリカの銃社会は、この「疎外」の論理でも解けると考えている。
 言うまでもないが、アメリカのWASPなどの白人は、そもそもインディアンを虐殺して土地と富を奪ったところから始まり、黒人、支那人、ヒスパニックを国内で銃を振りかざして支配してきたし、ハワイ、フィリピン、日本、朝鮮などを次々に銃で殺し、脅して支配を続けてきたのだ。

 原爆・水爆もその流れである。
 それで彼らは勝ってきた。勝ったが故に富は収奪できたけれども、それに疎外されないわけにいかない。銃が手放せなくなっているのである。
 アメリカ人がインディアンから、黒人から、日本人に至るまで、対象に銃で働きかけた結果、「その働きかけた相手(虐げられた黒人など)が働きかけた自分(WASP)もそれなりに規定されてしまった」ということである。

 ケンカに銃を使って勝った、暴力で勝った、それがために却ってその手法にアメリカは規定されて身動きが取れないことになったのである。だから、国内で銃の乱射事件が頻発するに至っている、と言えないだろうか。
 たかが銃を所持しているだけだ、念のための自衛だ、あるいは趣味なんだからいいじゃないか、の気楽さだと思いたいだろうが、「疎外」という弁証法の概念は、例外を許さない。

 同じように、支那人も南北朝鮮人も、人を騙して、約束は必ず破って、盗んで、自分だけが得しようとする性癖が牢固として出来あがってい、そのやり口の何千年の量質転化で、もはや抜き差しならなくなり、目一杯「疎外」の悲哀を味わうに至っている。

 奴らは何千年と続けてきた汚ない手口で、「成功」してしまったがために、それに縛られて抜けられなくなり、別の、人に尊敬されるやり方で仕事をする、外交する、そういうことが出来ないように量質転化を果たしてしまったのだ。

 無理を承知で言うならば、現下、支那は経済の大崩壊が始まり、韓国は「従軍慰安婦問題」で日本への屈服が始まり、ともにその崩壊を良い機会として反省すれば、「疎外」から解放される道筋が整うのだろう。むろん未来永劫そんな「疎外」から自らを解放できるはずがない。

 どうぞ自滅してね。ただし日本を巻き込まないでね、と。

 アメリカに話を戻せば、彼らは成功した人間がその報酬の全部を持って行くのが常識である。「勝者総取り」が当たり前の社会。かつての日本のような経営者も労働者もみんなで少しずつ分け合おうという発想がない。また日本では昔は大きな企業と下請け中小企業は、お互い持ちつ持たれつで、利益を分け合おうという気持ちがあったが、そういう発想は最近はアメリカナイズされてか、なくなってきた。

 先に紹介した増田悦佐氏の『アメリカの巨大な病』では、ニ度の世界大戦が独占企業を許すようになったと説いている。
 アメリカは自由、平等、機会均等の社会ではなく、すさまじい利権が幅をきかせる国となっている。
 それは大戦で、勝利の目的のために国民が持っている資源を総動員するという計画経済化が推進された。そのために単一企業で世の中のありとあらゆることを運営する方向になる。

 そうした経緯があって、アメリカでは世界大戦後に「国民一般の巨大独占資本に対する反感が劇的に低下した」「戦争に勝利したという成功体験が、アメリカ国民に『大企業の寡占化、独占化はいいことだ』という非常に間違った教訓を与えてしまった」と、増田氏は分析する。

 これぞまさに、アメリカが戦争で取ったやり口とその成功(勝利)が「疎外」となって、逆にアメリカ人を拘束してしまったのである。
 これは言い換えれば、ユダヤ金融資本が、いかに戦争を仕組む事で、何を得たかという回答の一つなのである。
 巨大な格差社会をつくり、ユダヤ人が一極で「総取り」する構図を作るために、戦争を仕組んだのである。

 今週ブログで取り上げているが、人様に「ああせい、こうせい」と指図せずにはいられない愚か者たちにも、当てはまることである。自分がなにほどの成果もあげていないテイタラクなのに、人様には口はばったくもアドバイスしてくる図々しさ満載の人間は、そうすることで「疎外」され、ろくなことにならないと知るべきなのである。

 これもアメリカ人の銃所持の屁理屈と同様、たかが知り合いへの助言じゃないか、親切心で言っているんで指図じゃないと言いたい向きはあろうが、無駄な抵抗である。「疎外」には例外は許されない。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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