2016年01月21日

鬼の指導を受けられる幸運(1/2)


《1》
 昨年11月13・14日に「スジを通した音楽批評とは」をアップした。どういうわけか今頃になって、それに文句をつけてきたご仁がいる。「元演歌歌手」というハンドルネームで。
 ケンカ腰は良くないとか、何をそんなにムキになって批判しているんだとか、単に当事者が誰かで態度を変えている、とか。

 私は唖然とした。僭越ではあるが、「スジを通した音楽批評とは」で、友人を指導したのである。彼は指導されたくなんかないと思うだろうし、せいぜい友人からのアドバイスと思ったのだろう。
 しかし、期待すればこそ厳しく指導しなければならないレベルに彼はいたからだ。
 少し前にブログに書いたが、人生で成功するには優れた師と出合わなければならないのである。彼にはそれがない、と思われた。

 それに、私は何も彼だけに向かって言ったのではない。そもそも文章を書くときには根拠を示さずに決めつけてはいけないと述べたかったのである。そうした一般性があると思っらからブログに発表した。

 あまつさえ、本当は彼が師とあおぐべき、ブログ「VINYL JUNKY」主宰者のMICKEY氏を友人扱いしていた。友人扱いとはMICKEY氏のそのブログの文章に盗作があるじゃないかと文句をつけたことにも現れていた。
 それに関しても「元演歌歌手」というご仁は同調して「盗作だと言われているじゃないか」と文句をつけてきた。
 
 それがどんなに愚かなことかを、どうせ分かるまいが、もう少し説明しておこうと、本稿を書くことにした。

 以下は、2006年9月にブログに書いた修行論である。多少訂正してあるが、まずはご覧いただこう。

   ■     ■

  チェロ奏者・渡部玄一氏は、上智大名誉教授の渡部昇一氏のご子息であるが、父君との共著『音楽のある知的生活』(PHPエル選書)で、鬼のごとき指導者の話を書いておられる。

 渡部玄一氏が米国留学中に、ハーヴィー・シャピローに出会って師事した。ハーヴィー・シャピローは、著名なチェリストで、ユダヤ人である。当時80歳を過ぎていた。彼は20世紀前半に名演奏家として名を馳せたラフマニノフ、ホロビッツ、ルービンシュタイン、ハイフェッツらと親交のあった演奏家の最後の生き残りであった。
 ハーヴィー・シャピローは、電気スタンド一つしかついていないうす暗い部屋で、多くの生徒たちに囲まれて座り、レッスン中しじゅう生徒を怒鳴っていた。

 「『おれは信じられない! くそったれ! お前は不感症で、お前の音は意味がないんだ。何回言ったらその糞みたいな弾き方をやめるんだ! すぐこの部屋から叩きだしてやる!』
 生徒が『すみません』と謝ると、
『謝るんじゃねえ! いいから、こういうふうに弾いてみろ!』
 と言って、リウマチで異様な形になった指で楽器を弾きだすと、優雅で確かな音楽が部屋中に溢れる。」


 …と、渡部玄一氏は紹介する。「ぼくは不覚にも涙をこぼしそうになった。いったいなんなんだ、この人は。痺れるような感動と、畏怖を伴った衝撃で、ただ呆然と立ちつくしていた。」とある。
 結果、渡部氏は留学中の予定を変えて、ハーヴィー・シャピローに弟子入りする。それが有名なニューヨークのジュリアード音楽院である。そこで氏は4年半、耐える…いや修行する。

 「このものすごく繊細で怒りっぽい先生のレッスンは激しかった。時には理不尽でさえあった。彼に長年つくことになる生徒には、誰にもしごきの期間というものがあるのだが、ぼくに対するそれの最も激しい時期には、このくそじじい殺してオレも死のう、という気分に襲われたほどである。 ぼくの尊敬する日本人の兄弟子の一人は、毎レッスンの前にストレスの余り吐いていたという噂もあった。」

 ハーヴィー・シャピローのレッスンにあわずに辞めていく人もいる。

 私も空手に入門してこれに近いご指導を受けた。わが師はシャピローのような下品な言い回しではないが、その厳しさは同等かそれ以上であった。怒鳴られてドン底に落とされるが、シャピローが生徒をそのチェロの音色でもって脱落を思い留まらせたごとく、わが師の場合は、その人間の魅力と、論理快刀乱麻を断つのすごさにあった。だから、私は玄和会を辞めることがついになかった。

 叱責されているときは、もう逃げ出したいの一心になるほどだが、しばらく怒られないとかえって不安になるほどだった。渡部氏もそうではなかったか。

 「彼がレッスンで最も大切にしたのは、まず音そのものであった。いかにトーン(色彩)のある音を出すかに全身全霊を傾けさせた。そのことは一貫してゆるがなかった。意味のない、美しさを伴わない音を一音でも出すと怒声が飛んだ。人によっては楽譜の最初の2段を進むのに半年かかったし、ぼくなども一回のレッスンで二小節しかできないこともざらであった。」

「あるアメリカ人学生のレッスンを見学していたときの事件だ。シャピローはその学生に、あるフレーズをトーンのある音で弾かせようと躍起になっていた。もちろん学生もそれに応えようとして必死だったが、何度もやり直しさせられているうちに、弾いている音自体が大きくなっていった。するとその学生は、『でも先生、ここはピアノ(弱音で)と楽譜に書いてあります』と言ってしまった。(中略)

 予想通り、直後にスタジオ内に雷鳴がとどろいた。『いいか! おまえの音は糞なんだ。糞! 糞にフォルテもピアノもあるか! そこにピアノと書いてあるだと? そんなことはおれは百年も前から知っている! おれはラフマニノフもシュトラウスも直接知っているんだ。小僧! お前、おれに物を教えるつもりか! たった今、この部屋を出ていけ!』」


 と、こういうありさまである。先にも言ったが、むろんこんな下品ではないが、わが師の指導もざっとこんなものだ。震え上がる。
 こういうご指導があったればこそ、世界に冠たる空手の創出があり、また学問誌「学城」の高みがある。
 
 ここで思いだしていただきたいのは、南ク継正著『武道講義1巻 武道と認識の理論1』にあった、A・デュマ作『モンテ・クリスト伯』を引用されての、自らの孤独な修行過程の構造を解かれた一節である。

 「さて、ここまで説いてきますと、あらかたの読者から次のごとくの大きな疑問が呈されるであろうというものです。
 どうしてそんな惨めなまでに辛い話ばかりを説くのだ。なぜに自由闊達な学的研鑽ではないのか。どうしてそのような自由が出てこないのだ。まるでそれが邪魔だ、とでもいいたいようだな。本当にそうなのか。

 はっきりいいまして、答は現象的には然りであり、構造的には否であります。しかし今回はここに立ち入る暇(いとま)がありません。そこで私が倣った文豪の一節で代えたいと思います。」


 と言って、『モンテ・クリスト伯』を引用される。
 主人公ダンテスが、獄中で邂逅する聡明な老司祭と、以下のような会話を交す。ダンテスは無学な男で、獄中で同じ罪人となっている学識豊富な老司祭からさまざまなことを教わるのだ。

 「ダンテスは考えていた。…それはこれほど聡明な、これほど利発な、これほど考えの深い老人だったら、自分にもわからずにいるわが身の不幸が、きっと見通されるにちがいないということだった。
 (何を考えている? と問われて)
 『それは、こうした目的をお達しになるまで、あなたがどれほど頭をおしぼりになっただろうということでした。もし自由の身でおいでだったら、どんなことをおやりになれたでしょう?』

 『何もできなかったことだろうよ。このはち切れそうな頭にしても、おそらくくだらないことのために発散してしまったことだろう。人智のなかにかくれているふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ。火薬を爆発させるには圧力がいる。監獄生活というやつは、ほうぼうに散らしていたわしの才能を一つの点に集めてくれた。』…」 

 「人智のなかにかくれているふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ」という、このフレーズこそが肝心なのである。弁証法でいえば、非敵対的矛盾の創出、それも「生成発展」のレベルでなく「生々発展」レベルの激烈な矛盾の創出である。

 言ってみれば、渡部玄一氏がハーヴィー・シャピローに弟子入りして、理不尽なまでのしごきのレッスンにあう。それが「不幸というものが必要なのだ」の言葉に相当するものなのだ。これが、たしかに老司祭と渡部玄一氏の状態とは現象は異なるが、構造は同じくするのである。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☔| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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