2016年02月11日

「あざみの歌」「山のけむり」はなぜ名曲か(2/3)


《2》「歌は世に創られ、世は歌に創られ」
 「山のけむり」「あざみの歌」でヒットした伊藤久男は、作曲家・古関裕而から芸名をもらい、戦前に古関作曲の歌謡曲や軍歌を歌って一世風靡した。同じコンビで今の高校生にも知られている歌として、あの甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」がある。この歌もYouTubeで聴ける。申し訳ないが作詞家のことは後で述べる。古関裕而は野球関係の曲も多く、早稲田の「紺碧の空」、阪神の「六甲おろし」、巨人の「闘魂こめて」もみんな彼の作曲だ。

 それはともかく、甲子園の「栄冠は君に輝く」を聴くと、古関裕而の想いが伝わってくる。彼が「山のけむり」や「アザミの歌」を作曲したのと同じ想いがそこにある。古関裕而もまた、問いかけのレベルがすばらしかったのだ。現在はプロ化し堕落した甲子園だが、古関裕而が作曲したころは、彼なりにそれこそ「佳人への片想い」レベルで、あの高校野球を見ていたことがわかる。その思いの深さが「栄冠は君に輝く」の、心にしみつつ胸はずむ曲となった。

 「山のけむり」とは「憧れ」そのもので対象(佳人)を見ているからこそ、その佳人のレベルで夕焼けの見事さが反映するのである。
 高校生の野球という対象を「良い方向への想像を膨らませ」見事に憧れそのもので見て、その憧れのレベルで甲子園の見事さが反映したのであって、そこから創った歌が「栄冠は君に輝く」であった。藝術家が何を“見て”創作したかを見抜くことが肝心であって、結果の作品だけ鑑賞してもしょうがない。

 また古関が戦時中に作曲した軍歌(戦時歌謡)も同様であって、「暁に祈る」「露営の歌」「海を征く歌」「愛国の花」「若鷲の歌」などにも表現されたのである。戦争をも、古関裕而は見事な問いかけで、至高の憧れで見る事ができた。藤田嗣治の戦争画と並んで、これが本物の“大東亜戦争肯定論”なのだ。決して侵略肯定ではない。

 鬼畜米英蘭はもとより、敵性支那・朝鮮・ロシアにも、戦争をかような至高の文化レベルに捉えた民族はない!(ざまみろ!)
 特攻で散ったわれらの先達も、本当に守りたかったのは家族だけではない。この見事な問いかけでなりたつ日本、見事な問いかけに応え得る日本を守ろうとしたのである。

 おそらくは同じ思いで林秀彦氏も名著『海ゆかば山ゆかば』(PHP)を書き、軍歌を絶賛したのであろうし、林氏のミュージカル『帰ってきたガリバー』で日本の軍歌や唱歌を世界の子どもたちに歌わせようとの企図にその思いはつながるのだ。
http://www.lilliput.com.au/Menue/TopJp.html

 素晴らしい方向への問いかけをしていけば、素晴らしい像を次から次に創りだし、自分の認識を創り、淡い恋愛感情を培うことになる。と同様に、その対象がたかが野球でも、あるいは世界に冠たる軍歌や唱歌でも、「これぞ日本」となるのである。
 だから冒頭に書いたように、YouTubeで昔の伊藤久男が歌う「あざみの歌」を聴くと、これがあのころの日本だったという思いで胸が熱くなり、思わず目頭が潤んでしまうのである。像の厚みがそうさせる。「あざみの歌」や「山のけむり」が創られたのはNHKラジオ歌謡だった。あのころは、NHKでさえまだ日本を守ろうとする思想があったのに…。

 大江健三郎が集団自決を守備隊隊長の「命令」であると『沖縄ノート』でデッチあげたその根拠を、「当時の日本軍を貫いていた“タテの構造の力”、あるいは“日本人一般の資質に重ねることに批判の焦点を置いて”などと言った戯言を私は批判したことがある。
 なんでもかんでも皇民教育が悪だったと大江は主張するが、ヴェトナムやインドネシアで戦後も残って卑劣な欧米人支配からの解放と独立のために戦った兵士らは、大江の唾棄する皇民教育を受けて育った青年だった。

 彼らは、ヴェトナムやインドネシアの人々の中に、古関裕而が本当は説きたかった思想、すなわち対象への見事な問いかけで思いが深まっていき、ヴェトナムやインドネシアの民をより見事な理想と見て、「良い方向への想像を膨らませて」捉えていったのである。

 その理想への強烈な問いかけが、自分の血を捧げてかの国を白人イルミナティによる植民地支配の鉄鎖から解放せんとしたのである。これもまた、“タテの構造の力”であり、“日本人一般の資質”だった。これを大江はどう説明できるのだ。

 日本人にかかる(大江のいう)“タテの構造の力”や“日本人一般の資質”があったればこそ、戦後すぐNHKラジオ歌謡で流した「あざみの歌」や「山のけむり」が国民的大ヒットになったのだ。みんなはおそらくなぜこの歌に惹かれるのか自覚はできていなかっただろうが…。
 
 この項の冒頭に昔の歌手の顔を取り上げて、「人間の顔は環境で創られる。日本という環境は、彼ら歌手の顔でさえ創る実力を把持していた」と書いた。そうだ。日本人の顔つきの良さは、見事に憧れそのもので対象(佳人)を見て(問いかけて)いるからこそ、その佳人のレベルで夕焼けの見事さが反映するごとくに、みんながかかる反映が技化するような優れた教育を受けたからその環境が整っていったのである。

 その環境とは、例えば近所付き合いでもあったろうし、学校の先生が見事であったからだろうし、それに唱歌も童謡も見事で、童話や昔話も素晴らしく、江戸時代からあった天下人たる武士の魂の残り火があったからであろうし、講談や落語でさえ人の道が説かれたからだろうし、ありとあらゆる事物事象が、問いかければ問いかけるほど見事に応えてくれる文化だった。それこそが日本であり、日本人であったのだ。

 その素晴らしい環境が、古関裕而を創り、伊藤久男を創った。その環境によって創られた彼らがまた日本を創る“指導者”となり、日本人を創ったのである。「歌は世につれ、世は歌につれ」とは言うが、本当は「歌は世に創られ、世は歌に創られ」であったのであり、「日本人が日本を創り、日本が日本人を創った」のだ。

 歌を歌うときは自分が歌いたいように歌っていてはダメで、本当のプロの歌手はちゃんと聴衆の心にしみいるように歌わねばならない。聴衆の心にしみるように歌った歌手が、「あざみの歌」の伊藤久男であった。

 人間は、対象の構造に自分を合わせなければ成長はない。例えば、誰でも小学生から中学生になるときに、中学校という対象の構造に自分を合わせて、自分を変える。嫁入りもそうであって、亭主の家風という対象の構造に嫁は自分を合わせ、その家の人となった。だから基本的には嫁は夫の姓を名乗るのが望ましいのだ。医者になるには、医学・医療という対象の構造に合わせて自分を変えるしか立派な医者になる方法はない。

 弁証法も、それがこの世界の事物事象と思惟を貫く一般法則である以上、その己が対象とする世界の弁証法性に自分を合わせなければ、世界の構造に分け入って解明し、かつ自分自身の頭脳そのものを弁証法性を帯びた頭脳に創り変えることはできないのである。

 歌手も同様である。歌には歌の対象の見事な構造があるのであって、自分をその構造に合わせなければプロにはなれず、上手な歌い手にもなれない。学校の音楽教育は果たして、その観点から教育を実施しているであろうか、ただ音譜の規則を覚えさせ、メロディやリズムやといったテクニックだけを教えているのではないだろうか。テクニックや音楽の楽しさと直接に、音楽の見事な構造(あるいは作詞・作曲者の精神に内包された日本文化というか)に自分を合わせて創ることをも教えなければいけないのに…。

 音楽(歌)は感性であるだけに、庶民にも優しく浸透できる。日本人ほど歌好きな国民はいないとされるが、それが日本文化形成に大きな力となってきたのだろう。だから、先ほども紹介したが林秀彦氏が日本の唱歌や軍歌で構成したミュージカルで、世界中の人々に日本の良さをわかってもらおうという企画は、ぜひとも実現していただきたい。それが日本を悪魔と宣伝する支那・朝鮮の下賎な野望を打ち砕き、世界中から日本民族が尊敬される道である。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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