2016年02月20日

相対性理論は妄想


 「重力波観測成功のいかさま」として2月15日にアップしたところ、Yuuri様からお尋ねがあった。お答えするが、ウソだと言う理由は、ブログでだいたいは書いたつもりだ。
 まずYuuri様の質問を掲載しておく。

     *    *    *

重力波について、相対性理論は出鱈目だとおっしゃっておりますが、どういうことでしょうか。
現時点での観測事実として、相対性理論に反する現象は見つかっていない、というのが定説です。
特殊相対性理論だけでなく、より高度な一般相対性理論も、それがなければ、たとえばGPSの誤差を訂正できません。

しかし、私自身、学生時代に相対性理論を学びましたが、特に一般の方は、(ご存じでしょうが)リーマン幾何など、用いる数学が非常に高度で、私自身は挫折してしまいました。
青雲様は、もちろん、数学的な理解をしたうえで、「出鱈目だ」とおっしゃっていることと存じますが、相対性理論のどの辺が間違っているのでしょうか。

もし間違っているとしたら、物理学は大幅に書き直す必要があります。
あと、タイムマシンやワープはむしろ相対論に反する現象として一笑に値すると思いますが…

     *    *    *

 重力とは何かといえば、そのもの自体の重さと引力の二重構造である。現実にはそのもの自体の重さは測ることはできない。引力を排除することが出来ないからだ。引力を抜きにした重さを仮に測りたくても、不可能である。そのもの自体の重さは、空想であり、「そう考えられればこのくらいの重さじゃなかろうか」として“計算”するしかない。

 無重力状態があるではないかと反論されるかもしれないが、「無」はあり得ない。地上に比べれば微小だとしても、引力不在はないのだ。

 地球から遥かかなたの宇宙空間で測れば、引力を計算しなくてもそのもの自体の重さが測れるのではないかと考えたい人はいるだろうが、宇宙空間にも引力は生じている。
 重力波があるとする科学者は、この宇宙にあまねく存在する引力をどう考えるのか。引力はないと仮定して…の話に過ぎないのだ。

 重力波の発生の図を新聞で見させてもらったが、これでみなさんは像が描けるのかと、私は問う。
「3分で重力波がわかる動画」というアニメがあって、マスゴミが流した図もこれとほぼ同じである。
http://gigazine.net/news/20160215-gravitational-waves-explained/

 説明は、一枚の布のような平面に玉が落ちると、波が生じるんだという。何これ? 宇宙は平面か? 「平面ガエル」じゃないんだよ。二次元の図で説明して「ほらこのとおり」と言われて、納得できますか? 宇宙は三次元なんですよ。(4次元じゃないのかなどと言わないでね)
 三次元の図で説明してくださいな。

 ある平面に、物体が落ちると…とは、まさに地球上の出来事のいわばコピーであって、360度の空間でそんな「落ちる」ことが起きるか?
落ちているんじゃない、移動したんだと言いたいだろうが、ならばそういう図を描いてみせてほしいものだ。

 波が広がるというけれど、何か湖に石を投げ込んだときのような波紋の図になっているが、宇宙のどこに水面と大気が接しているような場所があるの? あるならそういう図を描いてほしい。
 水面に波が生じるのは、空気と水の接している面があるからだ。
 像で描くとすれば、水中で魚が動いた状態に近いのではないか。その魚の動きによって、水は動かされるが波紋になるのか? なるわけがないじゃないか。なぜなの?

 そこには引力が働いているからであるし、水中は均一で静止しているのではなく、地球の自転や海流や、大気の風や、生物の動きなどがからまって運動している。宇宙空間に生物はいないだろうが、真空でもないし、均一の物質で満たされているわけでもない。運動している(運動させられている)。

 実際に星は公転や自転をしているではないか。当然、宇宙空間の物質は、いうなればかき混ぜられたり、星に引っ張られたり、物質どうしがぶつかったり、電磁波の影響をうけたりしている。だから仮に波が生じても、すぐに消えるに決まっている。むろん、消えたわけではなく、また違う動きとなっていわば波及していく。それが運動である。

 ある天体から出た光があったとして、それが地球に到達するまで、気の遠くなるような距離を移動するわけで、途中の均一ならざる空間で、さまざまな物質にぶつかり、星の引力で曲げられたりして運動してくる。アインシュタインが妄想したように、一直線にはならない。
 アインシュタインは相対性理論のなかで、光速不変の原理と言ったが、光速は不変どころか、変化している。

 地球上の実験施設(日本ならKAGURA)で計測できるとおっしゃる。地球が丸いので地表では直線がとれないから、地中に穴を掘って直線をこしらえるらしい。で、その長さは何万キロなの?地球をはみ出すくらいのトンネルなんでしょうね? は? たった7キロですって? 宇宙の広さを東京ドームくらいだと勘違いしているらしい。

 Wikipediaによると、「重力波による空間の伸び縮みを測定するレーザー干渉計では、ノイズを除く事が重要になる」とあるが、いくら精密な機械を作っても、ノイズを除去することは不可能だ。「ないことにして」観測するだけのことだ。真空が出来ないのと同じことだ。

 地球上では、「真空だとして計算する」「どこまでも直線だとして計算する」「電子が原子核の周りを楕円軌道で動くとして計算する」といったようになっている。それで人間が作る工業品なんかは問題がない。ということなのだ。
 譬えてみれば、円周率は絶対に正解が出せないようなものだ。しかし、3.14 の数値程度で、十分精密機械はできる。

 あるいはこういう例でも説ける。
 数字の「1」はあるのか。「2」でも「3」でもいいが、「1」を出すことはできない。アインシュタインはおそらく、だせると思い込んで計算しているのだろう。数学をやっている人たちは、もしかして「1」があると思っているのだろうか。
 数字とはいわばアバウトなのである。

 例えば1グラムの物体が「1」だと言いたいかもしれないが、その物体を測る機械も厳密には微妙に違うし、その物体も微妙に質も違えば量も違う。気圧も刻々と変化しているし、水蒸気や微細なゴミだってついている。

 ここまで書けばもう理解していただけようが、アインシュタインの言ったのは、特殊相対性原理(互いに等速度で運動しているところでは物理法則は同じ)というのと、
光速度不変原理(真空中では光源の速度に関係なく光の速度は常に一定)の2つの原理に基づいて組み立てられた理論となっている。互いに等速度で運動している物体は、ない! のである。「真空中では…」と言うが、そもそも真空はない! のだ。だから前提自体が妄想である。

 一般相対性理論で言うと、これは全く異なる考え方から定義された物理量である重力質量(万有引力の原因としての質量)と慣性質量(物体を加速する時の加速しにくさとしての質量)がある、とされるが、現実世界で、そんな2種類の質量はない!のである。まさに言葉で考えたもの。
 純粋に(?)そんな運動があるとするのはムチャクチャである。しかもこの2種類の質量が「等価」だという原理があるだと?

 「等価」って何? 等しい価値があるってことか、いわば等しい数値になるってことか? 「二つの命題において、一方が真であれば他方も真、一方が偽であれば他方も偽という関係が成り立つとき」も等価というのだろうが、これで慣性質量と重力質量とが説明できるの?

 相対性理論は弁証法の否定なのだ。弁証法を学んでいれば、こんな屁理屈はとうてい受け入れられるはずがない。
 弁証法は、端的にいえば運動である。運動とは、これまで述べてきたようになっている。「1」がない、というのも運動のゆえなのだ。

 どうしても私たちは「1+1は2になる」のアタマに創られている。「1+1は2になるとは限らない」というのが、弁証法なのだ。
 「1+1=2」は私たちの生活においては有効である。数学がGPSに活用できるのも当たり前だ。だが、現実世界では限定的な真実、とでもいうしかない。
 1+1=2にしかならないと考えてしまう人には、「重力波」のウソは見破れない。

 宇宙は天体であれ、天体以外の空間であれ、物質でいわば満たされている。そこで不断に相互浸透も量質転化も起こっている。

 もし光が遠くのある天体から出て地球の向かったとしても、途中でなにかの物質と相互浸透しないわけにはいかない。その量の積み重ねが質の転化をもたらす。光だけが例外ではない。
 
 ユークリッド幾何学とか非ユークリッド幾何学にしても、「点」とか「直線」というものは、現実にはない!のに、あることにして「成り立たせている」。机上の空論だ。だからYuuri様が「リーマン幾何学」がわからなくなった、のは極めて正常なのである。

 余談ながら、アインシュタインの生い立ちを見ると、幼いころから数学に夢中で、小学生では成績優秀だったという。人はみなアインシュタインを天才に仕立てるが、本当は数学に耽溺し、友人も少なく、外界との正常な反映を疎かにしてしまった子の悲劇と見なければなるまいに。

 Yuuri様のおっしゃるように「物理学は大幅に書き直す必要がある」のである。それを先導するには、弁証法抜きにはあり得ない。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(6) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わざわざ私の拙い質問に答えていただきありがとうございます。

物理学は対象を簡略なモデルと化して発展してきたと理解していますが、その方法論がそもそもの間違いという認識でよろしいでしょうか。

最も基本的で分かりやすいニュートン力学はある意味では間違いであり、より上位の量子力学や相対性理論に内包され、ある極限で一致します。

相対性理論を内包するより上位の物理法則が存在するのか、あるいは自然に対するアプローチそのものを変えなければならないのでしょうか。
青雲様のコメントを見る限り後者のような気がしますが、力学、量子力学、相対性理論が限定された範囲内では正しいことも認めなくてはならないと思います。


Posted by Yuuri at 2016年02月20日 11:07
 逆にYuuri様にお尋ねします。
 ニュートンは、引力を発見したわけですが、それはいったいどういう力が働いてのことなのか、まで解いたのでしょうか?
 引力は、むろん目に見えない。それは機能だからですよね。どういう実体の機能が引力となって現象しているのか、解明されていますか?
 ニュートンは、この実体と機能の命題を解いてみせたのでしょうか?

 もしかして「天体どうしが引き合う力」とか「地球が磁力のような力で万物を引っ張っている」と言うのでしょうか? 子供の頃、疑問だったのは、じゃあ地球の中心に行けたら、引力はなくなるのかなあ(笑)、あるいは引力が強くなり過ぎてものは全部つぶれちゃうのかなあ、と。

 Yuuri様はどう捉えていますか?

 量子力学や相対性理論が「より上位」とはどういう意味でしょう? 上とか、下とかは、どういう概念ですか? 量子力学や相対性理論は、ニュートン力学より上ならば、当然に実体と機能のレベルまで解ききっているから上位、なのでしょうか?
「ある極限で一致」とは? 具体的な像で説明していただけませんか?

 「相対性理論を内包するより上位の物理法則が存在するのか、あるいは自然に対するアプローチそのものを変えなければならないのでしょうか」と問うておられますが、設問そのものが私には理解できかねます。どうしてもYuuri様は、既存の「説」から出ようとされないようですね。

 私はもうお分かりのように、せいぜい高校のやさしいレベルの物理の実力しかありませんが、それで簡単にアインシュタインがイカサマであることが見抜けるというだけのことです。「王様は裸じゃないか」と叫んだ子供と同じです。

 失礼ながら、あなたは東大あたりの古いアタマの人が教える科学が正しいとしか思っておられないのではありませんか? 『北斗の拳』のセリフを真似れば「お前はすでに死んでいる」というのが、既存の科学、あるいは東大なんです。
Posted by Yuuri 様へ(ブログ筆者です) at 2016年02月20日 15:28
青雲様の高尚なブログのコメント欄を汚すつもりはありませんので、
もし不愉快でしたらこのコメントは非公開にしていただいて結構です。
メールアドレスは記載の通りですので、何かあればメールにてお願いします。

まず、青雲様は高校のやさしいレベルの物理学知識しか持たずに、
相対性理論のイカサマを見抜いた、とのことですが、
これを聞いて私は驚くとともに、少々残念でございます。
ローレンツ変換やシュレディンガー方程式すら知らない、との認識でよろしいでしょうか。

たとえば、以前青雲様がブログに書かれていた「風雅和歌集」。
私がそのたった数首を読んだだけで内容について批判したらどのように思われるでしょうか。
また、私はベートーベンを尊敬しているのですが、「第九」を聴きかじった程度で
「ベートーベンは冗長だ」と言われたら多分カチンときます。
人間の歴史の流れを踏まえたうえで、思想の高みから対象に切り込む、のが青雲様のスタンスではないのでしょうか。
それとも、相対性理論は勉強するに値しない、とのことなのでしょうか。

さて、高校の物理、と言えば真っ先に力学、つまり、物を投げたらどこに落ちるか、
といったようなことをやると思いますが、これらは、日常の感覚とおおよそ一致しています。
つまり、物を投げたら重力に逆らって空のかなたまで飛んでいく、といったのはすぐに嘘である、と見抜けます。

しかし、量子力学や相対性理論は日常の感覚を適用することはできません。
ですが、「日常感覚から離れている」から「間違っている」とは言い切れません。
たとえば、これは正確な表現ではないのですが、量子力学、つまり原子などの世界では、
粒子が壁をすり抜ける、という現象が普通に起こりえます。
そして、これは余談ですが、そのことが青雲様が今使っていらっしゃるコンピュータの動作に影響しています。

話を戻します。
量子力学や相対性理論によって説明される種々の自然現象が日常感覚から離れているのは、
ひとえに、その対象とするスケールが人間の生活空間に比べて小さすぎる、あるいは大きすぎることに起因します。
量子力学では原子などの微小な世界、そして相対性理論では物体が光の速さに近い速度で動く世界(つまり宇宙レベル)です。
そして、青雲様のご質問にあった、「より上位の理論」とはどういうことかと申し上げますと、
量子力学の基礎方程式は、その考えるべき「長さ」を人間の住む世界の大きさにして計算すると、
相対性理論の基礎方程式は、その考えるべき速さを人間の住む世界のもの、つまり光の速さより非常に小さい速さにして計算すると、
それぞれ力学の基礎方程式(ニュートンの方程式)に一致する、つまり我々の日常感覚に適合するものとなります。
つまり、量子力学や相対性理論は力学を内包してる、これが「より上位の理論」という意味です。

ご存知のように、数学と異なり、科学、とりわけ物理学は、理論と実験の両輪で進歩してきました。
観測事実と異なる理論は捨てられる運命にあります。
前世紀のはじめに、力学では説明せきない現象が出てきた、ということで、量子力学と相対性理論が出現しました。
(ちなみに、アインシュタインは量子力学を批判しています。)
そして、今までに説明できなかった現象の数々が、この二つの理論により説明「できてしまい」ました。
今回の話題になっている重力波に関しては、私は一般相対性理論の講義で落ちこぼれたので何とも言えませんが、
量子力学や特殊相対性理論によって説明できる物理現象についていろいろ学びました。
それらの中には、当然日常の感覚からするとおかしなものもありますが、適切な数学的な道具を使うことによって鮮やかに説明されます。
つまり、そのその範囲で、量子力学や相対性理論は「正しい」ということになります。
もちろん、より鮮やかな手法で種々の物理現象を説明しうる理論が出てくるかもしれません。(青雲様のおっしゃる通り)
しかし、その理論は、下部として相対性理論や量子力学は内包していなければならないことに異論はないでしょう。
上に書いた力学が内包されているのと同じように。

一般の啓蒙書レベルの知識では、どうしても言葉だけの解説になってしまうので、
相対性理論などの比較的高度な物理学を完全に理解するのは難しいと思います。
「日常の感覚」から離れるゆえ、「出鱈目だ」と考えてしまう気持ちが生じるのも分かります。
しかし、きちんとした道具(数学的背景)を用いれば、疑問も氷解するに違いありません。
とっつきにくいかもしれませんが…

青雲様の疑問には答えられたでしょうか。

弁証法に関しては、青雲様にお勧めいただいた三浦つとむ先生の本を何度か読んだくらいなので、
まだ青雲様の足下にもおよびません。
そのような身でこのような偉そうな文章を書いて申し訳ございません。
今後も特に、社会問題、芸術論について一読者として貴ブログを応援していく次第でございます。
実は空手にも興味があります。
もし、不愉快に思われたら私の文章力、人間性の不足でございます。

ちなみに、青雲様のコメントの冒頭のご質問ですが、
地球の中心では引力はゼロになります。ただし、圧力でつぶれてしまいますが。
磁力を認めて、万有引力を認めない理由は何でしょうか?




Posted by Yuuri at 2016年02月21日 21:04
Yuuri 様

ご返事ありがとうございます。
ゆっくり読んで、来週中には本欄でご返事でききればと思います。
いささかも不愉快などとは思っておりません。楽しいです。

一言申しておけば、引力を認めないなどとは一言も言っておりません。引力は機能でしょ? その機能はどういう実体の運動から起きているのか、物理学は解いているのでしょうか、とお尋ねしたのです。

また地球の中心では引力がゼロになるとおっしゃいますが、それが現代物理学の常識だとすると、やっぱり引力の構造はまだ解けていないのかなと思う次第です。
とりあえず。
Posted by Yuuri 様へ(ブログ筆者です) at 2016年02月21日 21:17
重力がどのように作用しているかは調べればわかります。重力子、クォークなどで検索されたし。
yuuriさまが書かれているとおり、青雲さんは事実関係のご理解に改善の余地があります。既存の概念に懐疑的なのは素晴らしいが、相手を論破するには事実関係の理解が弱い。
Posted by 葉隠れ at 2016年02月23日 06:45
葉隠れ様

重力がないなどとは言っていませんよ。重力波はウソだと言ったのです。
「検索されたし」とか「改善の余地がある」という言い方は、相手に失礼です。ゆえに答える義理はないが、ひとつだけ言えば、われわれは事実からしか論理は導けないが、一方で「事実」はウソをつくという辛い現実がある。この矛盾をいかに解決するかがむずかしいのです。
しばしば、われわれが事実と思っていることは「解釈」にすぎないことがいくらでもあるのです。例えば光の速度なんかは解釈であって、事実ではないのですよ。
認識論を学ばないと、事実と解釈の違いはわかるようにはなりませんよ。
Posted by 葉隠れ様へ(ブログ筆者です) at 2016年02月23日 08:15
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