2016年03月11日

『非情城市』の哀しみ


 台湾映画『非情城市』(候孝賢監督)は、1989年第46回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を授賞した作品である。
 1947年2月28日起きた国民党軍による日本人大量虐殺事件を扱っている、珍しい映画である。この映画によって、世界に2・28事件が知られるようになった。
 
 映画では大東亜戦争終結直後の台湾の市民の様子と、その中に2・28事件に翻弄される人々が描かれている。
 今日でも、どこに遠慮してか(わかってるがな、支那やで)、この事件はマスゴミも報道しないし(中共が恐くて言えへんねん)、学校でも教えられない(日教組がおるよってな)。通州事件の再来だったのに。
 1947年当時は、日本も戦後の混乱期でGHQの支配下にあったので、報じられもせず、関心も持たれなかった。

 2・28事件後も1989年まで、国民党政権は戒厳令を敷き、左翼分子や知識人を徹底して弾圧し、これを「白色テロ」と呼んだ。
 その犠牲者は、今も正確な数は判明していない。本省人と日本人合わせて死者は約2万8000人とも言われるが、もっと多いとの説もある。

 この映画が公開されたのは、李登輝総統が誕生したからである。彼が民主的選挙も実施し、戒厳令も無くしたのだった。

 本省人とはいえ、1945年8月までは日本人である。
 台湾では国民党政権下でいわば箝口令が敷かれ、市民は沈黙するしかなかった。李登輝が総統になってから、やっと語られるようになってきた。この映画でもまだ遠慮がちに表現している。

 映画は台北市のすぐ近くの基隆市が舞台なので、直接2・28事件は描かれていない。基隆から男達は台北市で蜂起した愛国者の「日本人(本省人)」を救援に行き、みんな殺されるか捕まって消されて行く。
 
 台湾では50年間の日治時代に政治、文化、道徳などの民度は高くなっていた。そこへ終戦とともに民度最低の支那兵が大挙してやってきた。
 映画でもはじめは「解放」と言って支那兵(外省人)を歓迎していた台湾人も、すぐに支那人には辟易するようになった。
 法は破る、ヤクザからみの汚ない仕事がまかりとおる、役所はカネがものをいう、不衛生になる、物価は高騰する、若者に職がない…。

 そうした不満がたまっているところへ、昭和22年2月28日、台北市内でタバコを売っていたおばあさんを、支那国民党の兵士が殴って、なけなしの売り上げを奪う事件が発生した。それをキッカケに民衆の怒りは国民党軍に向けられた。
 台北、高雄、台中など、台湾全土で民衆の暴動が発生する。

 当時の行政長官であった陳儀は、市民の要望は聞くし処罰はしない、話し合うと言って時間を稼ぎ、まだ大陸にいた蒋介石に増援部隊要請をした。結局、陳儀は台湾の民衆を徹底して弾圧した。
 民衆蜂起の中心になったのは、日本時代に高度な教育を受けた人たちだったという。

 台北では、放送局を本部として立て篭り、日の丸を掲げ軍艦マーチを鳴らして国民党軍と戦った。このとき、多くの人は「日本が救援しに来てくれる」と思っていたそうだ。

 この後、蒋介石は共産党に負けて大陸から逃げ込み、全土に戒厳令を敷き「白色テロ」を続行した。蒋介石の後ろ盾だったアメリカも、この白色テロを黙認したのであった。
 国民党は、日本時代のインフラや建物などを根こそぎ盗んだ。日本は清から国際的条約締結で合法的に台湾を割譲されたのであって、植民地にしたのではない。

 だから朝鮮半島もそうだが、台湾の日本の資産は返還されるか買い取る必要があったけれど、そんな話が通じる支那人ではなかった。
 土地もインフラも、ただでゴロツキ国民党は盗んだのである。だから奴らは大陸から逃げてきてもカネが潤沢にあった。
 宮崎正弘氏が解説していたが、国民党は選挙にはめっぽう強かった。決して国民の支持を得ていたのではなかった。選挙が近づくとインサーダー取引で株で不正に大儲けをして、それをつぎ込んだそうだ。

 その不正のオコボレに預かろうとする台湾人が、国民党政権を望んだのである。既得権益にまみれていたのだ。
 だから台湾は国民党の一党独裁体制が続いた。一度は民進党が政権をとったがすぐに逆転されていた。それが今年一月の総統選挙で国民党が大敗を喫した。
 台湾では一昨年3月の「ひまわり革命」(立法院占拠事件)で学生の不満が爆発した。それが香港にも飛び火して「雨傘革命」が起こった。
 学生たちの怒りが燃え上がって、ついに台湾総統選挙と立法院選挙で民進党が予想外の圧勝を得た。

 これは映画『非情城市』で描かれた、台湾の愛国者ならびに日本人たちの戦いが約70年の歳月を経て、ついに実を結んだと見てもよかろう。白色テロで虐殺された愛国者たちの死は無駄ではなかったのだろう。
 『非情城市』には、台湾と日本の融合した家庭の雰囲気が見られる。なつかしい思いにもさせられる。例えば畳の部屋などは、今でも台湾にあるのだろうか? 

 昨年には、2・28事件に巻き込まれて処刑された日本人の子供が、台湾政府に対して損害賠償の訴えを起こしている(賠償が認められた)。台湾では外国人としての被害者として認定はされたものの、日本政府が台湾の元慰安婦などに対する賠償を行っていないからとの理由で台湾内務省が却下している。これもまた日本のマスゴミは報道しない。名誉回復はなされるべきであるのに。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。いつも拝見させていただいております。目からウロコで参考にさせて頂いています。
「非情城市」は若い頃一度みて、実は意味がさっぱり分からない映画でした。あの頃の私の認識と言えば、台湾も中国も香港も韓国も区別がつかず、みんな先の大戦で日本の事を恨んでいると思っていたので、また、日本人が悪いという映画かと思っていました。けれど、日本人を糾弾するようなシーンも出てこず、正直なところ何の事を言っているのかよく分からなかったんですよね。
やたら画面が暗いというのは覚えていますが。
今日この記事を読んで、ああ、そうだったのかと…改めて震撼としました。
本当に知らない事がいっぱいです。この映画を
もう一度観てみようと思いました。
Posted by わん at 2016年03月12日 17:10
わん様
ありがとうございます。
「非常城市」では、風景も概ね暗く表現してましたね。台湾は亜熱帯で太陽光がさんさんと降り注ぐイメージですが、あの映画では野外では早朝の薄暗がり、霧のなか、曇天、夜の闇などがほとんどでした。2・28前後の世の中の暗さを暗示しているのでしょうね。
あの映画監督は、たぶん映画を日本人にこそ観てほしいと思っていたのではないでしょうか。
Posted by わん様へ(ブログ筆者です) at 2016年03月12日 17:42
私も以前「非情城市」をみました。わんさんが言うように、2・28事件を知らないとわけがわからない場面ばかりだと思いました。本省人と外省人の対立をだいたい知っていたので、なんとか推察できたのですが、半分くらいは意味不明。

それに、主人公が唖(おし)という設定でしたから、筆談を見せられて、まどろっこしくて参りました。
Posted by 四十雀 at 2016年03月13日 12:34
四十雀様
コメントありがとう存じます。
たしかに、主人公がオシというのは、どうでしょうね。
何を考えているかの像が観客に伝わりにくいですよね。
Posted by 四十雀様へ(ブログ筆者です) at 2016年03月13日 21:27
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