2016年03月14日

田中角栄と朝日新聞の売国犯罪(1/3)


《1》
 鬼塚英昭氏が今年1月25日、逝去された。ご冥福をお祈りしたい。『天皇のロザリオ』以来、著作からずいぶん多くのことを学ばせていただき感謝している。
 その鬼塚氏の最後の著作『田中角栄こそが対中売国者である』(成甲書房)が出版された。鬼塚氏は本書を脱稿後、完成した本を見ることなく亡くなった。絶筆となった。

 折しも…、出版界は田中角栄のブームとでもいうべく、関連の本が出版され売れていると聞く。鬼塚氏の著作は、そうしたブームにあやかって企画されたものとは一線を画す。
 田中角栄に関する本では、金権体質は批判されるが、家族への情に厚かっただの、比類なき決断力だの、愛国者だったのと、好意的に見る「ヨイショ本」が多いように見受ける。

 角栄の決断力なんてものは、ただのせっかちな性格にすぎない。じっくり考えて、人の意見に耳を傾けて…ができない軽薄な男だっただけ。それに、奴の関心はカネだけで、政策、外交、まるで素人で閣僚や官僚に任せていたから、「決断」を手早くやったのだ。

 石原慎太郎も『天才』という新著で角栄を持ち上げているようだ。周恩来から角栄は「お前は小人だ」とバカにされたのに、上機嫌だったバカ男なのに。
 角栄は自らバセドウ病だったことを告白している。だからいつも落ち着きがなく、躁状態になったり鬱になったりした。それを「天才」とは! 石原のボケも極まっている。

 3月7日、毎日新聞夕刊でも「なぜ今、田中角栄なのか」として、出版ブームの解説をしていた。毎日だから当然といえようが、角栄を評価している売文家(大下英治、佐高信、保坂正康)にしゃべらせている。いずれもサヨク、反日系の売文家であるところに、今の角栄ブームの背景が垣間見えて面白い(反吐が出る)。

 鬼塚氏の『田中角栄こそが対中売国者である』のサブタイトルは、「だから今も日本は侮られる」となっている。端的には角栄の支那利権の全貌を明らかにした本である。
 毎日新聞の特集記事もそうだったが、マスゴミは昭和55(1980)年の大平内閣から始まる支那へのODA(政府開発援助)に関しては触れないし、また角栄本も一切触れないようだ。譬え触れても角栄の名は登場しない。

 このことから鬼塚氏は、「対中国政策の根本には大きな闇が存在し、その闇に接近したり、足を踏み入れたりしないように、厚い壁が存在しているということであった。この厚い壁は、間違いなく、田中角栄の訪中後に築かれていったものだと私は考えるようになった」と書いている。

 私たちは、自民党、民主党、共産党などすべての政党が、政府の対中政策を根本のところでは批判してこなかったことに思い至らなければならない。自民党田中派や害務官僚、大企業が隠していたからでもあるが…、中共の手が政治家や官僚に入っているせいだろう。

 戦後、日本と中共が国交断絶していた時期、中共とパイプを持っていたのは日本共産党しかなかった。国交回復までは日本共産党が日支貿易の利権を握って稼いでいた。
 「国貿促(こくぼうそく)」と言って、共産党系のいわば商社のようなところが対中貿易の窓口であった。そこで長く会長を務めていたのが親中派の河野洋平である。

 政治家も官僚も財界も、中共との貿易で利権を欲したのだ。だからそこに闇が口を開けている。
 この闇を暴き続けた男、それが佐藤慎一郎氏だったと、鬼塚氏はこの本で紹介している。

 佐藤慎一郎は支那を専攻する学者で、拓大教授だった(。満州で教授や役人をしていて終戦となり、中共に捕縛されて死刑判決を受けるも一端釈放、また国民党政府に戦犯収容所に収監される。
 佐藤は終戦後に、帰国せずに満州に残って日本人の救出活動を行ったために不当に獄に入れられた。
 
 帰国後、共産支那から日本へ脱走してくる支那人を自費で助け続けた。その恩義に報いる形で亡命支那人たちが佐藤に中共の極秘情報を提供したのだった。
 支那の事情を良く知るということで、政府から「総理報告」を毎月出してくれと依頼され、実に32年3ヶ月に渡って、精魂傾けた証言、提言を続けた。歴代総理に、ときどき朝飯会に呼ばれて講演もしていた。それも、一銭ももらわずに。

 佐藤はこう言う。
 「僕は本当に勉強しました、ふつうの勉強じゃ駄目なんです。中国人を訪ね歩き、中国人から活きた知識を引き出さなければ役に立たないんです。僕は本当の勉強をしました。」
 そして佐藤だけが誰も知り得ない情報を終生に渡って知り得た。
 その手法を鬼塚氏が紹介している。

     *    *    *

 一つは彼の探究心によってである。佐藤慎一郎は、国家から一銭ももらわずに、赤貧洗うがごとき生活を続けた。そして香港に渡り、深夜、香港の港で釣り糸を垂れていた。そして共産中国から逃げてくる難民を救い、親身に彼らの世話をした。その難民の一部が日本へ来て、彼のもとに情報を流した。その彼から金(かね)にまつわる極秘情報を得たのだ。

 また、かつての満州時代に知り合った連中が中国共産党の幹部になっていた。その連中からも、中共の情報が入ってきた。こうして膨大な情報網が自然と誕生していったのである。
 また、日本に関する極秘情報も中共政府の関係者から彼のもとへ伝えられた。国家の未来を憂える人々が、中国と日本という国境を越えて交流しあっていたのである。

 では、平成の今日、佐藤慎一郎のような学者はいないのか。残念というべきか、日本の学者たちは浅学者である。否、学者ですらない、と断じてよい。一定の知識を蓄えて、それを売り込んで行き長らえているだけである。
 (引用終わり)

     *    *    *

 皆さんはこれを読んで、媚中・副島隆彦の顔を思い浮かべなかっただろうか? 私は「学者ですらない」とは媚中・副島のことだなとまず思った。人民元が世界レベルでは紙屑になろうとしている今、媚中・副島はかつて「人民元を買えば儲かる!」と叫んでいたことの責任はとったのだろうか?

 佐藤慎一郎の紹介をざっと終えたところで、明日は本題に入ろう。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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