2016年03月22日

動物実験の闇(2/2)


《2》
 『医療の犯罪 1000人の医師の証言』では他にも…。
 「私は扁桃腺、リンパ腺、胸腺の放射線照射を信じてきたが、私が何年、何十年も前に照射した部位が腫瘍を起こしていた、無害であるはずだったのに。
 私はもう近代医学を信じない。皆さんの健康にとって一番危険なのは近代医学を実践する医者たちだ。皆さんは医者を信じてはダメだ。薬を処方してくれたときは、危険だと思うことだ。安全な薬などないのだから。
 胸部レントゲンは、乳がんの発見よりも多くの乳がんを引き起こす元である。私は近代医学の9割が地球上から姿を消せば(医者、病院、器具のこと)われわれはまたたく間に健康に恵まれると思う。」

 医者自身からこういうことを言われると、何を信じたらいいのか、呆然となる。
 以前、本ブログで取り上げたが、エイズなんかない!との証言も思い出す。ユダヤ資本の製薬会社がエイズを創り出しているというのだった。

 動物実験に使われる動物は、ネズミ、モルモット、犬、ウサギ、そしてサルが多いようだが、なかでも一見人間に一番近いと思われているサルは、実験のみならずポリオワクチンのように医薬品製造にも多用されてきた。
 ところが近代医療を進める欧米にはサルはあまりいないため、アジアやアフリカから調達される。これまで、何万、何十万というサルが「医療実験」の名目で殺されてきた。

 インドのベンガル猿はどういうわけか人気で、大量に欧米に輸出された。それを憂いて1979年、当時のインド首相デサイは、ベンガル猿の輸出を初めて禁止した。
 欧米から轟々たる非難がおきたが、デサイ首相はこう言った。

 「われわれが真の人間性をもつならば、生き物のいかなるものにも残虐行為を押し付けるべきではない。これはインドが常に持ちつづけた哲学だ。だからわれわれは動物を残虐な目にあわすことを欲せず、そのために輸出を禁じる。
 調査研究だけが人間の至福の解答ではない。人間の至福と健康は、自然法に従うことでよりよく成就できる。これにはいかなる薬も必要ない。私は薬というものを長いこと使っていないし、これからも使うことはない。」


 偉いものだ。日本の首相が靖国参拝するからといって、大衆を動員して反日デモを差し向けるようなどこぞのブタ国家とは気品がちがう。あのインチキ極東裁判で、日本無罪を主張したパール博士もインドの方であるが、インドにはこういう崇高な人間性を把持した人がでる。なぜだろうか。

 しかしそれでも医学の進歩があったじゃないか、昔は平均寿命も50代だったものが、こんなに伸びたじゃないか、それは動物実験のおかげで効果ある薬が開発され、病気と戦うことができるようになったからだ、という反論がなされるだろうと思う。
 しかし、ペニシリンのようなごく幸運な例を除けば、ほとんどの新薬はかえって病気をつくりだしたり、副作用がきつかったりする例のほうが圧倒的に多いのである。

 そもそも人間の病は人間の研究でしかわからないのであって、動物では代替できないというのは、相当程度真実ではあるまいか。それなりに人体実験、人間観察で効果ある医療は開発されてきた。
 また、医学生の解剖実習も犬やサルでできるからいいじゃないか、という意見もあるが、実際、犬やサルをメスで切ってもまったく意味はなく、人間の体でないと修練にならないのだ。

 動物ではわからない、その理由は何と言っても、動物には認識がないからであり、逆に人間は認識によって生理が影響されるからだと言えるのではないか。
 昔に比べて平均寿命が伸びたというけれど、例えば江戸時代の平均寿命をどうやって調べたのか? 寺の「過去帳」なんてあてにはなるのだろうか。現代の人と条件だって違うのだ。一律に、昔より寿命が伸びたなんて言えない。

 そんなもの、昔はテレビがなかったから、人々に楽しみがなく不幸だったと決めつけるようなものではないのか。
 近代医学なんてものは、少なくとも、儲け主義で腐敗しており、簡単に信用できないものだということだけは心にとめて置いた方が賢明ではなかろうか。

 以下の「恐怖の動物実験」サイトで、動物実験の実際が見られる。
http://www.coara.or.jp/~wadasho/doubutu.html

 残酷きわまりない。犬やウサギたちの苦悶する様子をみて、なお、動物実験は必要と考える人がいるだろうか? わたしが美しくなるための化粧品を安全に使うためには犠牲になってくれ、でいいのか? 単純な動物愛護精神で言っているんじゃない。とても正視できるものではない。

その他、
動物実験廃止ネットワーク
http://www.ava-net.net/

動物実験廃止を求める会(JAVA)
http://www.java-animal.org/

などで問題提起している。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(4) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
病は気からですね。
もしもの時に医者にかかれないと気合を入れることで強い体になり、医者が減ることで製薬会社も残酷な実験を減らすことが出来るかもしれません。
一人一人の選択が大きな問題の原因なのでしょう。
「唐揚げを200円で買う事は鶏を殺してるのと何も変わらない」と何処かで見ましたが薬も同じですね。
Posted by たていと at 2016年03月23日 09:38
たていと様
鶏肉を食べるには、殺さなければなりません。できるだけ肉食は避けたいですが、人類は生物を殺さなければ食べていけません。それが自然の摂理ですね。
だけど、無駄にいじめたり殺したりすることに私は反対しています。今月末には「フォアグラ」の話をブログにアップしますが、家畜を残酷な扱いをしてはならないと思います。
Posted by たていと様へ(ブログ筆者です) at 2016年03月23日 12:55
西洋医学は対処療法でしかなく、未然に防ぐという発想がありません。欧州では長く奴隷制度や植民地経営によって自分たちの暮らしを維持して来たことで、自分の頭で物を考える習慣が失われて行きました。そうして行き着いた先が対処療法。日頃から悪化を防ぐ、という発想は貴族化した者からは出てきません。
Posted by よこいと at 2016年03月25日 19:37
よこいと様
コメントありがとうございます。
西洋医療が予防に力を入れたら、もうからないからですよね。
Posted by よこいと様へ(ブログ筆者です) at 2016年03月26日 09:00
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