2016年05月09日

生命誕生の謎(1/3)


《1》
 「虎ノ門ニュース」(4月25日)で、科学者の武田邦彦が、「なぜ命が誕生して増えたか?」を解説していた。
 ご覧になりたい方は、ネットでアップされているので、その1:05〜1:14の間で語られている。

 武田邦彦は、知識の人なのでたまに知らなかった知識を披露してくれるけれど、「科学者という名のタレント」となり過ぎて、大衆に降りて學の世界のことはいかがなレベルか…と思わざるを得ない。先日も「時間はある」「時間は誕生した」と解説していて、唖然とした。
 その「虎ノ門ニュース」で彼が語っていたことの概略を以下に記しておく。

 武田は「最初の生物のお母さんは誰?」と問いかけ、それは昔は神様がつくったとか宇宙から来たとかいわれていたが、今では石ころからできたことになっている。海のなかの石ころに、雷かなにかがドーンと落ちて、それで石ころがバーンと分解した。そのときできたカケラが最初の生物だ。偶然に出来た。
 生物となったカケラはそこらへんの食べ物(二酸化炭素)を食べて増えていった。
 ちょっと待て、タイトルは「なぜ命が誕生したか」のはずが、いつのまにか「なぜ生物が誕生したか」になっている。生命が誕生したことと生物の誕生は似ているが違う。学者なら厳密に使うべきだ。

 太陽から出た惑星で、金星、火星と地球を比べると、金星火星には二酸化炭素が95%くらいあるが、地球は二酸化炭素はごく少なく窒素と酸素になっている。こうなっているのは、地球では生物が増えて二酸化炭素を消費したからだ。生物はやがて二酸化炭素を食べ尽くして地球上から消える運命だ。

 最初の生物が2つに増え、6つに増えして「できちゃった」、ということが今ではわかっている。(「できちゃった」などとまるで「できちゃった婚」みたいな言い方には驚く)
 生物は本来は二酸化炭素を吸って酸素を出すものであるが、私たちは酸素を吸って二酸化炭素を出している特殊な生物だ。

 太陽は“原子炉”だから、地球に放射線や紫外線が降り注いでいる。だが生物が誕生して増えていき、酸素を出すうちに、大気ができ、さらに成層圏まであがってオゾン層ができた。このオゾン層のお陰で太陽からの放射線や紫外線を止めることができた。このため、はじめは生物は太陽からの有害な紫外線などを避けて海中10メートルくらいにしか生息できなかったが、オゾン層ができたために紫外線が減り、水面近くに浮上することができるようになって、太陽をしっかり浴びてますます繁殖できるようになった。やがて陸上にもあがり、今の繁栄がある。

 生物の進化は淘汰によっている。生物は目なら二つ目、三つ目、五つ目などが試され、脚も体中(下、上、横、と)あちこちに作ったがやがて身体の下にあればいいとなり、口もはじめは丸かったがそれでは食べにくいので横に平たくしたものが生き残った。
 はじめはどうしたらいいかわからないから、トライアル&エラーで試して、環境に適合できた生物が残っていったのだ。
(おいおい、生物が自分の意志でさまざまに試した、では観念論だろうが)

 ざっと、こういう解説がなされた。みなさんはどう思われるだろうか? 私は「馬鹿言ってんじゃないよ〜♪」であったが。
 このオパーリン説をもとにした武田の説明が、おそらく教科書でも定説となっているのであろう。
 いろいろ突っ込みどころはあるが…、まず生命誕生の謎解きであるが、武田だけでなく現今の科学者が間違っているのは、いきなり「生物」という実体ができたと思っていることである。

 まずは「実体性」が起きてから「実体」になる。これが弁証法の捉え方である。いきなり実体が誕生すると考えるから、「偶然」、「雷のような強烈な刺激が…」と妄想を駆使するしかできなくなる。
 雷が…って、水分子もないのに雷が発生するか。他の惑星を見ればわかるように、地球上にも水はなかった。

 武田は生命の誕生の説明に、月があったことを何も触れていない。原初の地球にあった物質が、太陽と月の影響で(相互浸透で)、あるなんらかの現象が生じ、それが量質転化していって実体性を帯び、実体性がそれを維持するために実体化するのである。
 きわめて一般的な言い方しかしていないから分かりにくいだろうが、こう考えるほかない。

 46億年前に誕生した地球上には、溶岩とガスしかなかった。それだけの物質が、どうやって生命現象が誕生してきて、やがて生命体になったか、なのである。水も、はじめは水のような現象(もやのような湿った気体)ができ、水のような実体性ができていったのである。地球には、超高温のマグマがあって、それが物質の一般性としてやがて冷えていった。これは他の惑星や月も同じ過程を辿っていったのだ。

 地球にほかにあった現象としては、太陽の周りを公転していること、巨大な衛星の月が地球の周りを回っていること、地球自身が自転していること、そして引力で太陽に引かれ、月を引力で引きあい、それと遠心力とがつり合っている。熱は外に出て行く。地球内部のマグマの熱も遠心力もあって外に出て行く。
 こうした現象が、いわば生命誕生の条件であったし、それ以外にないのである。
 これだけが「生物のおかあさん」になり得る存在だった。

 なのに、科学者たちは、はじめから水があったことにする、雷ができることにする、石ころがあったことにする、とんでもないご都合主義で推理するのだ。彼らは生命現象抜きで、いきなり実体たる生物ができたと思っているらしい。生物という実体が誕生する前に、「命」がなぜどうやって誕生したかが解かれなければならないのである。

 火星や金星、月はその物質の一般性の論理しかないのに、どうして地球だけに生命現象が生じ、それがやがて実体化して地球を被い尽くし、常に地球と付かず離れずで相互浸透を維持し続けるようになったのか、と考えねばいけない。その思考過程を省いて、偶然石ころに雷が落ちたなどというのは、こじつけもいいところだ。

 46億年前の地球と太陽と月という実体に関わる機能の変化によって、生命現象が起きたのである。
 端的に言えば、マグマが徐々に冷える過程で化学反応でガスが発生し、地表を覆うようになる。それが遠心力と引力のバランスで散っていかずに大気となっていく。

 地球本体と気体は、他の惑星のようにいわば右肩下がりで冷えていったのではなく、熱く燃える月があり、地球が自転・公転しているために、冷えるかと思えば温められる、温められるかと思えば冷えるのくり返しが何万年とつづき、「あるものがあるものであるとともに、あるものでない」、そういう新しい(矛盾そのものの)機能が誕生したのだ。
 この機能(矛盾)がそのまま、生命体に受け継がれて、「死ぬかと思えば死なない、死なないかと思えば死ぬ」生命全体の機能となっていく。

 気体が地球との一般的同一性を保つべく運動しはじめたこと(これが代謝)、その代謝せざるを得なかった気体が生命現象なのである。それが長い年月で実体化したのが最初の生命体である単細胞だった。それができると直接に水が誕生したのだ。

 いきなり単細胞だけが誕生しても生存できないとわかるだろう。直接に気体も水も誕生されなければ、生命現象も生命の実体も生存し続けられないのであって、水のあとから生物ができたのでも、生物のあとに水ができたのでもない。

 ついでに言えば、人類の誕生にしても、現今ではアフリカ起源説が言われるが、ウソである。アフリカだけでなく(南極や北極はともかく)、地球上全体に、人類が誕生する環境ができ、人類は生存できる直接の環境が整ったのである。アフリカが起源と勘違いされるのは、現在のアフリカ人、それもジャングルにいる人間は(言い方は悪いが)ずっと文明化しなかったから、原始時代のままの古いDNAが残っているからなのである。ヨーロッパやアジアの人類では文明化によってDNAが変化してきたのだ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
水は地球のすぐ外側から降ってきているという説があります。
放電現象は水の全く無い場所や宇宙空間でも起こることが確認されています。
武田氏のお話はあくまで武田氏の想像のお話ですね。
Posted by たていと at 2016年05月10日 16:44
たていと様
水がふってきたわけでもないし、放電があったからでもないと、これだえけ縷々説明しておりますのに…。
Posted by たていと様へ(ブログ筆者です) at 2016年05月10日 18:55
言葉足らずで申し訳ありません。水も放電も武田氏の解説では疑問であると私は思っています。
筆者様への反論ではありません。
Posted by たていと at 2016年05月12日 11:18
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