2016年05月14日

五山文学の偉大性とは(2/2)


《2》
 一例としてあげたが、いうなれば、平安時代の仏教は名詞的意味の「生死一如」の考えしかなく、鎌倉時代(中世)になって動詞的な「生死一如を極める」に変化発展したのだと譬えれば、外れてはおるまい。断るまでもないが、平安時代の人生観である「生死一如」は、飛鳥・奈良の時代に比べれば大きな認識の発展があったのである。より人の胸奥にはいっていったのだ。

 先に述べたように、明極楚俊は現代風に言えば帰化した支那人ではあるが、往時の日本の知識層の認識と、元の知識人とが共鳴したのだろうし、彼も日本の社会のありようと相互浸透して、“時代の人”となったのだろう。
 こうして人生観とか認識のありようをも、運動として捉えること、過程で捉えることが弁証法の適用である。弁証法の用語を用いなくとも、この「生死一如」の像の変化発展を捉えるのが、弁証法の駆使の例である。

 藝術作品は創作も鑑賞も、個人の個別性ではあるが、その玄(奥)にある一般性を看取すれば良いと思われる。だから、2つの漢詩作品を取り上げたが、個別には雀が…とか、一杯のお茶が…に筆を行(や)っているが、そこに共通する一般性、すなわち人間の覚醒とか、新しい浩然たる認識、情熱、誇り、能動的精神とかを理解することが大事だろう。

 そしてそれにただ感動、感心するだけでなく、かかる一般性を己れの心象風景に見事にするために活用すればよいのだ。それができたときに、昔の身辺雑記に見える漢詩が藝術として成立し得るのである。

 個別性を一般性の論理はむずかしいかもしれないが、例えば私たちが風邪を引いたなら、喉が痛いとか頭痛がするとか症状は個人個人で違うからそれを個別性というが、医師はその症状に共通する性質を見てとって(反映したうえで)「風邪一般」の像を描き、その像をもとに個別患者に治療を試みていくものである。医師は患者の個別症状の反映からある病気一般の像を描く実力を持つべきものである。

 禅僧たちは、個人が抱える問題を個別性に終わらせずに、そこになにがしかの一般性をまさぐって捉えることで、禅境・禅機の認識に達しようとした。龍安寺の石庭も、彼らなりの禅境・禅機という一般性を捉え、それを己れの精神の自由や心象風景を見事にする修行と考えたはずである。

 五山の僧たちを現在の仏教僧の生活や為事から類推してはなるまい。「明鏡止水」もそれは一つの認識のありようでしかない。
 五山文学が隆盛する同時期に、『玉葉和歌集』『風雅和歌集』が伏見院、花園院、光厳院、光明院の北朝系天皇により編集されたことも記憶すべきである。『風雅和歌集』については本ブログで詳細に論考を示した。(13回に分けて掲載)
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/258833332.html

 日本の漢詩文の歴史は、古代の大陸文化の流入にさかのぼり、支配者たちの公文書をはじめ、私的なものまで漢字が用いられた、漢詩文が男の表芸(おもてげい)の一つであったことは江戸末期まで続く。

 これを踏まえて五山文学を別角度からみると、禅僧たちが「個人」になっていることが見てとれる。それ以前の平安時代の宗教は鎮護国家としての宗教である。天台宗、真言宗などはその典型である。
 平安期の『源氏物語』は紫式部の個人的小説ではない。あくまで藤原氏の権力維持のため、国家管理のために、政敵を残酷に葬ってきたために、向後に悪霊として祟ることのないように、絵空事のなかで栄達させて怨霊を気分良くさせるためのものである。そうでなければ当時、超貴重な和紙を女に与えて物語等書かせるわけがない。

 いわば国家行事としての『源氏物語』の成立なのだ。しかし、そういう縛りというか、哲学的に言えば自己疎外されていながらも、人間の心、個人の思いに焦点を当てて描けた、作者たちには感嘆してよいのである。

 ところが鎌倉時代になってくると、仏教も個人としての信仰とか生きざまとかがテーマになってくるのである。平安時代のいわば藤原氏の一党独裁的な安定した戦乱のない時代から、源平の争い以降、応仁の乱などへと続く戦が常態の時代に入って行き、個人にとって明日の生き死にが重大な関心になってくるのである。

 だから武士を中心にして禅が流行する。死を恐れない自分、死を越えた自分が意識されるようになるからである。それゆえに、五山の禅僧らは自分の気持ち、感情、考えを述べる。そのいわば個人の解放に、「中世の華やぎ」があるのである。別言すれば「華やぎ」とは思想性であり、誇りであるとも言えようか。五山文学には、書いたら褒めてもらいたいという野心や見栄はないのだろう(出世のためにつくった人は論外)。龍安寺石庭にもそれはない。

 禅の思想と言えば、本来の釈迦の教えに回帰させようとの意図があった。菩薩だの観音だの、加持祈祷に縋るのではなく、釈迦は自分以外を頼るなと言っている。自ら努力するだけ。それが本来的には釈迦直伝の教えであった。
 人間はこうして宗教を媒介にして、個別の悩みや苦しみを人間の認識の一般性として捉える道を発見したのである。

 平安時代にはまだ心の自由自在は少なかったのではないか。仏教とて、平安時代は個人的修行に没入できる環境ではなかった。来世を祈念するとともに、鎮護国家のための仏教だったからだ。平安期の仏教はやがて潮が引いて干潟のようになった。干潟に取り残されたクラグみたいにブワブワと潰れながら恨み節を呟いたのが「古今集」や「新古今集」の和歌だった、とこうなるのだ。

 鞍馬寺は義経の幼少期に預けられた寺ではあるが、平安時代のことなのだから本質は鎮護国家の寺なのである。京の西北の鬼門に対する備えとして開山されたのであった。個人の修行のためや安寧を得るためではない。

 再三言うように、平安時代末、源平の対立が起こって以後、日本は戦乱に巻き込まれていった。武士の、あるいは野盗の跋扈する社会。禅はそのシビアな、戦闘での個別の死、あるいは個人の恐怖を想定しながら、如何に生きるか、如何に死ぬかの一般性を彼らは直視するために頼りにされた。

 頼りにするとは変な言い方になるが、自分自身の戦闘力や集団の武力以外に頼れるものを求めるのが、自然であろう。貴珠賤蚌(きしゅせんぼう)とは、美しい真珠も元は汚い貝から生まれるところからきた言葉で、禅の思想も同様に殺しあいの、汚なく混乱した社会から生まれた真珠であった。
 同様に、『風雅和歌集』も、南北朝戦乱のなかから誕生した、奇跡的な貴珠賤蚌であった。

 当時の武士たちは、戦闘そのものや死を、ただの野垂れ死ににしたくなかったのだ。そこに武人の精神性の高みが生まれた。貴族は宇治平等院に見るように、死というものを空想(妄想)でしかない極楽浄土を望んで、菩薩だの観音だのに縋った。加持祈祷の延長にある。平安時代の『源氏物語』もそんな人間ばかり登場する。

 今からいえば醜態である。今日でもひたすら仏にすがる宗派がないではないが、武人たちはそうはいかない。自分が人を殺していくのだから、極楽には行けそうもない。
 どうしたら心の安寧が得られるかは真剣、切実な課題なのだ。自分の行為を精神性の高みに置こうと考えたのである。

 その武人たちのレベルこそが、禅を高みに引き上げ、五山文学や、『風雅和歌集』や、枯山水や、能を生み、北朝天皇の光厳院に見られるように南北朝戦乱の責任を取るまでに高まった。
 光厳院が創建した常照皇寺は京都右京区の山間にある。常照皇寺の“正気(せいき)”は、こうした社会を反映しているから、今日も人の心肝を叩く。「中世の華やぎ」がある。

 五山文学の担い手は、日本の精神界の開拓者だった。五山文学は日本人がこの時期に人間に目覚めたことを示しているのである。仏教は堕落し、死んだら神様・仏様が救ってくださると、平安時代まっさかりの平等院当時の思想そのまま受け継いでいる信徒たちが今も多い。
 その意味では自分以外頼るなとの思想性を把持する五山文学に共鳴する人間は今もすくないことになる。

 禅僧たちは、不立文字(ふりゅうもんじ)などと言いつつ、せっせと漢詩を詠んだ。漢詩が詠めると出世も早かったとか。いまだに鎌倉など五山の寺には整理しきれない漢詩が山のようにあると言われる。
 不立文字とは、禅宗の教義を表す言葉で、悟りや教義の伝承は、文字や言葉によらずに、師から弟子へ体験によって伝えるものこそ真髄であるとする。

 だから当然に龍安寺石庭も言葉で意味・意義を伝承するものではなかったのだ。毎日毎日、白砂を掃除して庭を造り直すことの繰り返し自体に、その不立文字を捉えさせようとしたのであろう。
 したがって、龍安寺の石庭をそのものとして眺めることは庶民にとってはそれなりに満足がいくにしても、精神性の高みを志す人間にとってはたいして意味もないことなのである。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
五山文学なんて、歴史の教科書で1行だけ記述があったような、なかったような…。
坊主の書いたものだというし、漢詩だというし、まったく興味無し。それを実に「思想性高く」解説していただき、感謝します。
主様の教養の広さに舌を巻きました。
Posted by KKKB at 2016年05月14日 21:01
KKKB 様
コメントありがとうございます。
五山文学を思想性高く読む、という姿勢を見てくださっただけでも、感謝でいっぱいです。
Posted by KKKB様へ(ブログ筆者です) at 2016年05月15日 10:44
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