2016年07月04日

西村元一医師の無知を誹る


 西村元一(金沢十字病院副院長)が「ドクター元ちゃん がんになる」と題した連載コラムを、毎日新聞5月15日付に載せていた。
 自身も癌になった体験を綴っている。癌患者や医療者が集うグループ「がん患者とむきあう会」の代表を務める。

 自分が癌になってみて、医療者と患者の認識の「ズレ」が気になったのだそうだ。医者として、患者と向き合っているときは、自分では患者を理解しているつもりだったが、いざ患者の立場に立って見ると、こちらの気持ちを医療者側がわかってくれていないと感じるようになった。

 抗癌剤の副作用一つとっても、その痛みがどんな感じなのかは、患者は感じていてもうまく表現できない。医者も経験がないからどだい想像できない。患者が癌を告知されてどんなふうに落ち込むかもわかってもらえない。
 そこで西村は「やはり体験してみないと分からない」と気づいた、というわけだ。

 「患者の思いを医療者が理解するにはどうしたら良いのでしょうか。少なくとも医療者は『分かったふり』はやめるべきです。簡単には『あなたの気持ちはよく分かります』と言われると、逆に患者には『本当に分かっているのか?』と不信感のようなものが生じます。

 患者となった私が医療者とやりとりした際、流暢に説明されるおりも、『その気持ちまでは分かりましたが、その先はちょっと分かりません』と正直に言ってもらった方が安心できました。
 患者自身も、元気な医療者が患者の立場を理解するのは難しいということを踏まえ、やりとりすることが大切だと思います。」

 医療者の分かったふりが患者の不信を招く、だから医療者は「分かったふり」をしないこと、そして患者も分かってもらおうと過度に期待するな、といった主旨になっている。
 こんな低度の文章を掲載する毎日新聞のアホさ加減にはあいた口がふさがらない。

 文法的にあっていても、文章の体をなしていない。どこにもダイヤモンドのようにキラリと光った一言隻句がない。自己表現のために何が重要かといえば、それは自己の中身を充実させること、これである。それがないから駄文になっている。

 西村の在籍する金沢十字病院とは、日本赤十字の系列である。公立病院だから私立のように金儲けに走らず、また大学付属みたいに患者をモルモットとして扱うこともなく、いくらかましかとは思うが、私が東京の広尾になる赤十字病院に通院したときは、あまりのいい加減さに呆れて止めた経験がある。患者はなに赤十字だから確かだろうと思って、押すな押すなの大賑わいになる。まさに3時間待って3分の診療時間の状況。

 金沢市の事情はわからないけれど、同じように大賑わいだろう。これで、いったいどうやって医療者が患者の気持ちを理解する時間があるというのか。どだいゆっくり医者と患者がコミュニケーションできないのに、理解もへったくれもない。

 それはさておき、この西村医師の結論がお粗末すぎる。患者の認識を医療者が理解するには、と問い、答えが医療者は「分かったふりはやめるべき」が答えになっている。おいおい…。それだけかよ。
 医者は大学医学部で、看護を学ばないし、認識論も学ばない。ただひたすら、病名と薬の暗記。極端だが、そういうことだ。つまり患者のココロをどう摑むか、その技はほったらかしで医者になる。

 だから癌患者に対しても、どうしてその気持ちを理解したらいいのかが技化しておらず、わからないのである。西村医師は、そもそも医者に患者の気持ちがわからないのは何故か、医学教育のどこに欠陥があるかを研究しなければならないのに、「まあわかったふりはダメ」としか言えない。
 認識論のカケラも知らないみっともなさ。

 医者の多くは、「即自」のままで秀才になって、自信満々である。「対自」になる修行を怠ってきている。つまり自分のことだけ。人の気持ちがわからない。受験で高得点を取ることだけが人生の成功だと思って生きてきているから、観念的二重化(自分の他人化)の実力が著しく欠如する。

 病院から一歩出て、普通の市井人となったときに、世間の人たちからどれほど嫌われているか、まったく分かっていない。医者だから金持ち、医者だから尊敬されている、と勘違いしている。昔、知り合いの結婚式場に勤めていた女性がいたが、医者の披露宴で同業の医者が大勢きたときが一番憂鬱だったと言っていた。品性下劣で態度が横柄だからだといっていた。

 俺は治せる人間だ、特別の人間だとうぬぼれる。わが身をつねって人の痛さを知れ、との諺がすべてを言い表しているのに、自惚れているから、それをやらない。
 医師たちは「自分の他人化」ができす「自分の自分化」しかやれない。

 ここでもくり返しになるが、医師たちの多くは、その医師の認識(知識)を、感情で創りそこなっている。どういう感情とともに、医師にならなければいけないか、誰にも教わることなく「偉いさん」になってふんぞり返る。
 それで、要するに「わかったふりをしなければいい」のお粗末なセリフを吐く。どうしたら患者の思いがわかるようになるかと自問しているのだから、そのまっとうな答えを自分で出さなければならないのに。

 また、医者に「あなたの気持ちはよく分かります」と言われると、患者には「あんた、本当に分かっているのか?」と不信感のようなものが生じると西村は書いている。「不信感のようなもの」とは…、ずるいねえ、「不信感が生まれる」とはっきり書かずに、「のようなもの」って、落語じゃないんだから、ごまかすなよ。同業の医者に遠慮してこういう有耶無耶な言い方をしている。

 ここも本来は、どうして患者が不信感を生じるかの中身を解かなければいけない。考えられる第一は、医者の「分かります」の言葉に、感情がこもらないから、患者が信用しないのである。本質的に感情を豊かにしなければならないだけでなく、どういう表情で、どういう言い方をすればいいか、レトリックも必要なのに、医者はそんなことは本業を関係ないと思っているから、勉強しない。

 患者の気持ちなんかどうでも良くて、診断さえ間違っていなければいいんだ、の傲慢さ、無神経さがこういう患者の不信感を呼ぶ。
 患者のほうは、医者に面と向かって「本当に分かっているの?」とは確かめられない。逆らえば、何を言われるか、何をされるかわかったものではないからだ。いい加減な診断・治療しかしてもらえないとか、最悪は出て行け、もう来るなと怒鳴られる恐さゆえだ。

 医者が患者の気持ちがわかるようになるには、まずは海保静子著『育児の認識学』(現代社)で認識論の基礎を学ぶことである。さらに『医学教育概論』(瀬江千史ほか著 現代社)を熟読して、己れの受けてきた教育の重大な欠陥を知ることである。
 それを知らないで、こんなコラムを書くのは非常識もはなはだしい。

 加えて、小説や映画を見て人間関係を学習することだ。医者が簡単に観念的二重化の力をつける妙案はない。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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