2016年06月10日

拒食症・過食症の原因を探る(2/3)


《2》
ご隠居:女の子の場合、子供時代にあれほど好きだったお父さんが、ふとしたことで大嫌いになり、同じテーブルで食事をするのも嫌!という暴走をはじめることもある。思春期の脳細胞の激変のせいだよ。

与太郎:ああ、あっしの娘もそうです。親に反抗するし、嫌うし。あっしが入ったあとの風呂は入りたくないなんて抜かしやがって。
ご隠居:こういう場合に親が、科学的に娘に思春期特有の脳と認識の暴走を説明してあげられればまだ良いが、むずかしいことだね。

 親が思春期の子供の教育に失敗すると、非行に走ったり摂食障害になったりする。
 女の子が突然、尼さんになるとか修道院に入るとか言い出すとしたら、それは好きな人に拒絶されたとか、友達はみんな持てて彼氏がいるのに自分だけいないとか、それで心が傷ついた場合だろうね。

与太郎:へえ、じゃあ修道院に行く女は、みんなブスで持てなかったからってことで?
ご隠居:ブスとは限らないさ。とくに性格が人に嫌われるタイプだとか、親がひど過ぎて家庭そのものに絶望したとかもあり得る。
 普通に成長している子なら、異性との恋を夢見たり、結婚して幸せな家庭を築きたいとか、好きな仕事をやりたいと思うのが健全な社会的認識なのに、あえて恋を断ち、仕事もしない、他人のお恵みだけで半ば死んだような反社会的暮らしを選ぶのは、拒食症と似たココロの構造が生まれたからなんだよ。

与太郎:ご隠居のおっしゃる認識の暴走っていうのが、わかってきました。
ご隠居:さらに付け加えておくと、女の子は男の子に比べると、どうしても親が甘やかしがちだ。かわいければいい、とチヤホヤしてしまう。それで社会性が身に付かない。わがままになる。自分勝手がいい、になりがちだ。自分の認識を社会性ある感情で創るようにしないと、個に執着した暴走が起きてしまうのだ。

与太郎:ご隠居の話は分かったつもりなんですがね。ウチの近所に3歳の女の子がいるんですが、この子がメチャクチャに太っているんですわ。親が心配して、食べるのを控えさせようとするんですが、親の隙を盗んでまで冷蔵庫をかき回して、なんでも食べちゃうんですよ。
 親が叱ると、同居しているおばあちゃんが孫が可哀想だ、食べたいなら食べさせろ、食べさせないのは鬼嫁だと怒るわけです。
 思春期でもないし、恋をしているわけでもないのに、どうして超デブになるんで? 過食症とかって病気ですか?

ご隠居:それは、実体面で言うと、子供が好きなものを勝手に食うから偏食になっている可能性があるし、栄養状態が悪くて交感神経が歪み衰えているせいで、体全体の統括が狂っているのかもしれない。食べ過ぎれば、消化器系は酷使され、消化器も交感神経も疲れ果てるんだ。
 疲れ果てた交感神経は、それが長期に続けば「習い性になる」みたいに、その鈍くなった交感神経の働きが常態になって、そのレベルで消化の統括をやるように量質転化して、大食から戻れなくなる。

 こうなると、いくら気持ちでは大食いはやめたいと思っても、脳細胞も交感神経もそれを正常と思い込んでいるから、もう体がいうことをきかない。認識(機能)の歪みが、神経(実体)の歪みに転化したら大変だ。吃りもはじめはふざけてやってみるとか、人前であがってしまって…と機能レベルでの歪みだったものが、続くうちに実体(口、舌、喉など)が歪んでしまう。

 あるいは、アタマの回転と発音のスピードが合わなくなって、瞬時に描いた像を表現(外化)できないことが技化する。
 こうなると直しようがなくなる。

 認識面で解くならば、幼児の場合は「即自」だからだよ。即自とは、哲学の用語で、自分が自分であることがわかっていない状態、自分と他人との区別がつかないレベルをいう。「対自」とは相手と自分の区別がつくようになったレベルをいう。幼児レベルが即自、三歳くらいから対自的に目覚めていく。さらに、「即自対自」とは、両者、対立物を統一して、「それを踏まえて自分はこうしなければいけない」という場合だ。

与太郎:それとデブとどう関係があるんで?
ご隠居:誰でもそうだが、人間は自分がどうしてもかわいい。幼児なら玩具を独占したい、母親にだけ甘えたいなんてのがそうだ。自己中心。小学生くらいからだんだん「対自」に目覚めていく。人にも自分と同じ欲望があるんだとか、いじめられるとい嫌なんだとかがわかっていく。
 幼児がデブになるとしたら、根本はやはり自分勝手が強すぎることにある。

 ひとえに親に問題があって、子供を「対自」に導いてやれていない。別の言い方をすると、これは観念的自己疎外を育てるにあたって正常ではないということだ。 
 観念的自己疎外とは難しい概念だが、自分のココロ(観念)に自分の分身をつくることだ。

 人間は労働(遊びも子供には労働)を対象化するが、その対象化したものが結果として自分を規制してくる。ものを製造するとか藝術活動も観念の対象化だ。
 やさしく言えば、立派な健康な自分になろうとアタマを働かせればまともな観念的自己疎外になるが、わがままを押し通すとか、親の歪んだ認識で子供が感情や思考を規制してしまえば、超デブになっても止められないとか、キレやすいとかになる。

 アタマのなかにもう一人の自分を創り出して、それで自分の言動を規制するのは、人間の特徴であって、そうでないことはない。その意味では観念的二重化とも自己の他人化とも言い替えることができる。

与太郎:ご隠居、難し過ぎますよ。
ご隠居:学問から解かなければ拒食症や過食症、精神病の謎は解けないからしょうがないんだ。
 その女の子のばあいは、あるいは夫婦間に問題があって、親が子供の教育をいつもイライラしながらやるとか、子供を産むんじゃなかったなどと思いながら子育てしていると、愛されていないことが子供に伝わる。
 言うなれば子供も周囲との協調ができなくなる。

与太郎:へええ、親に問題、なんですか。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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