2016年06月17日

白鵬に引退を勧告したい


 大相撲5月場所は白鵬の優勝で幕を閉じたが、白鵬の土俵態度の悪さにはほとほと嫌気がさした。
 彼が大関から横綱になったころは強くて、勝ち方もきれいでファンだったが、今はひどいことになっている。

 場所中、大関・横綱の取り組みはよく見たが、白鵬の勝ち方の汚さは際立っていた。立ち合いはほとんど張り手を相手にかます。あるいは肘打ち。相撲用語では「かち上げ」というらしいし、反則ではないとNHK解説北の富士は言っていたが、とんでもないことだ。
 たしか勢との勝負だったかと思うが、右の肘打ちで、勢がノックアウトされて腰から崩れ落ちた。

 あんなのはプロレスだ。
 下位力士に張り手や肘打ちをするのは、横綱としてふさわしくない。
 解説の舞の海が「白鵬が下位力士にああいうことをするようになったのは、そうしないと勝てなくなったからだろう」と指摘していたが、その通りである。
 まだ十分に第一人者なのに、優勝したいがために“らしくない相撲”を取る。

 モンゴルで鍛えた体躯の蓄えがなくなっている。5月場所で白鵬が張り手や肘打ちをやっていなかったら、全勝はできなかったろうし、稀勢の里が優勝していたかもしれない。相手力士にしてみれば、白鵬とやれば、立ち合いに張られたり肘打ちされたりすると分かっているから、鋭い突っ込みができにくくなる。白鵬はそれを狙っている。

 まっすぐ頭から突っ込んで来る相手の顔を張れば、相手は一瞬クビを横に向けた状態で横綱の胸か頭に激突する。これは頸椎の損傷を招く危険な行為ではないのか。相手力士はクビをへし折られてはたまらないから、突進を控え目にしなければならなくなる。

 朝青龍も白鵬も、モンゴルの草原で乗馬やモンゴル相撲で鍛え、その基本の体力で日本に来て相撲の技を磨いたから、横綱になったことは評価していい。しかし彼らは、日本の風土の体力になると蒙古での遺産は消えてゆく。白鵬も日本の風土で創られて弱くなったのだ。例えばクルマに乗る、エレベータに乗るなど。それで焦って、闘志剥き出しの顔をし、張り手や肘打ちをしなければまずいとなったのである。

 白鵬は千秋楽で鶴竜をうっちゃりで倒したが、勝つには勝ったがいっしょに倒れている。ほかにも上手投げを打ったら自分もコケている相撲があった。稀勢の里を破った一番でも、相手のクビを押さえつけなければ投げが打てない。土台の強靭さがなくなっているから、技が崩れてしまう。

 それに多くの批判を浴びている「ダメ押し」は醜い。なか日だったか、横綱審議委員が見ているときでさえ、相手力士が土俵を割っているのに、土俵下に突き飛ばし、横審の委員が渋い表情をしているのがテレビに映っていた。

 しかし千秋楽後、守屋秀繁委員長は、全勝優勝した横綱・白鵬について「圧倒的な強さだと思う」と評価したうえで、「一部の委員からはダメ押しやかち上げについて『第一人者の自覚を持ってほしい』という意見もあったが、私としては闘争心の表れだと思う」と理解を示した、と報じられた。甘やかすのもいい加減にしろ。
 こいつは相撲の格式や所作、伝統を何もわかっていない。
 それにあの相撲では「圧倒的強さ」とは言えなくなった。他が弱過ぎるだけだ。

 NHKの実況アナウンサーも、白鵬の闘志あふれる相撲、などと褒めそやしていた。アホか。相撲では闘志は内に秘めるものであり、技の見事さを見せるものであって、何をやっても勝てばいいとは言えない。白鵬は双葉山を尊敬しているそうだが、双葉山は汚い相撲は取らず、闘志剥き出しで相手を威圧することはしなかった。

 双葉山は伝説の横綱で、立ち合いは常に受けてたち、相手に頭をつけるなんて平幕相撲は取らなかった。しかも彼は隻眼だったが引退まで誰にも悟らせなかった。みんなが大横綱だと尊敬した。

 大鵬や初代若乃花の時代の相撲は格式があってきれいだった。子供ながらにみんな、力士から勝負の立派なありようを学んだものだ。それが今や白鵬の相撲は子供に見せられない。
 強い横綱ということで、マスゴミがチヤホヤし、部屋の親方も大きな収入源だから厳しく言えず、NHKも「強い強い」とだけ言う。

 白鵬は仕切りの仕方も見苦しい。塩をまくときに、肩の高さから横なぐりに撒いている。日馬富士と鶴竜のモンゴル横綱も同様である。相撲では腕をさげ下から塩を撒くものである。種まきじゃないんだから、派手に塩を撒くべきではない。今の3横綱は伝統無視だ。

 それから最後の仕切りのあと、青房下、赤房下へ塩を取りに行くときの、みっともないへっぴり腰はいったいなんだ。白鵬と日馬富士の二人がやっている。膝を卑屈に曲げて足早にタオルを取りに行く。横綱としての威厳がない。横綱は最高位なんだから、いつでもかかってこいと、堂々かまえて、土俵を睥睨するようでなければならない。あれでは銭湯の三助だ。

 琴奨菊の仕切りの最後の塩を撒く前に「イナバウワー」のごとき体をそらせるパフォーマンスも、見苦しい。観客はやんやの拍手を送っているから、いい気になっているのだろうが、相撲とは関係ないことだから止めるべきである。相撲も今やスポーツだから眉を顰めるほどのことはないのかもしれないが、土俵にあがったらこれから勝負!という前に、隙だらけの格好をして観客の受けを狙うべきではない。

 これは白鵬ではないが、稀勢の里と琴奨菊の二人は、仕切るときの「下がり」がだらしない。ビシッと脚の両側のつけねに束ね、あたかも刀を刺しているかのような佇まいを見せなければならないのに、下がりがあちこちに向いて、下の砂にまで垂れている。
 さがりは儀礼的なものだが、一応は下半身を隠す意味がある。
 さがりは場所ごとに、まっすぐピンと張るように布海苔の溶液に浸けて絞り、乾燥させる。だが琴奨菊はピンと張っていない。さがりがあると動きにくいと思っているのかもしれないが、見苦しい。

 いったい相撲協会は何を指導しているのだ。
 白鵬の懸賞金を行事から受け取るときも、「これみよがし」である。以前は朝青龍の受け取り方が批判されたことがあったが、白鵬は受けとったあと、「やったぞ」「どうだ」と懸賞をわしづかみにして振っている。観客やテレビに映ることを狙っている。日本人は勝っても謙虚でなければいけない。

 モンゴル人の白鵬たちは、相撲はただの格闘技でしかなく、勝ってカネをもらえればいいと考えているのだろう。だから日本人の批判が理不尽にしか思えないはずだ。日本人は、大相撲が興業であることは承知しているが、格式を重んじてきたのだ。相撲はケンカじゃない。先に言ったように、技を見せるものである。

 最近の力士はないようだが、ハワイ出身の曙らは、土俵上で相手としばし睨みあっていた。それを観客が大拍手するようになって、相撲はまたワンランク落ちたのだ。

 日本の大相撲は彼らとマスゴミが勝手に「国技」などと称しているが、もはや誰も「国技」とは思わなくなった。ハワイ出身の力士に日本人力士が勝てなくなり、それからやれブルガリアだのエジプトだの、ただの力自慢ばかりが土俵にあがるようになり、それを寄せ付けない日本人力士はもういない。
 大相撲はとっくに命脈が尽きているのであろう。

posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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