2016年06月18日

信仰の自由は最大限に保障するな


 日本の「歴史」は、東大史学科が決めてきた。大本はユダヤに指示されているとしても。
 明治初期にお雇い外国人のルートヴィッヒ・リースというあまり出来の良くないドイツ人の歴史研究家が、なんにも歴史学のなかった当時のわが国に、勝手に日本を蔑視しながら決めてしまった官許歴史そのままを庶民は教えこまされる。それは同時に天皇家や政権にとって都合のよい歴史なのだ。

 ついでながら、このリースは来日中に日本女性と結婚した。一男四女をもうけたのに、ドイツへ帰国の際には息子の応登(オットー)だけを連れ帰り、妻と娘を捨てた。いけすかないドイツ人だった。

 そのリースの決めた日本史を、サヨクに染まった東大史学科の連中が踏襲し、さらに自虐史観、階級闘争史観の色に染める。
 縄文人は朝鮮半島から渡ってきた弥生人に皆殺しにされ、縄文文化は滅びて、稲作とともに渡来した弥生人によって新生日本が作られたなどと大ウソをついてきたが、近年縄文時代の遺跡が次々に発掘され、縄文時代から稲作があり、人種も交替したわけではないことが知れ渡った。でもまだ東大史学科とその流れの文科省、日教組は認めない。

 媚中・副島隆彦は明治維新がイギリスをバックにした伊藤博文ら長州下級武士によるクーデターだったと言って、ヨーロッパ人が押し付けて、これが世界基準だとされている日本の官許歴史の裏側を、自ら暴いたくせに、在日参政権やら靖国問題になると、一転してヨーロッパ人の言うとおりにしろと言う。

 現在のアメリカは、日本の保守派の靖国参拝の動きを「カルト・オブ・ヤスクニ」という概念にして、押しとどめようとしていると媚中・副島隆彦は見て、だから靖国を「狂信」するなという。靖国をカルトと蔑称する媚中副島の認識の歪み、言語感覚の劣等には嫌悪感以外にない。
 靖国が政治問題になることは好ましい状況ではないにせよ、戦死した人たちやその遺族が、どんな気持ちで靖国に思いを寄せているかを、平然と泥を塗る仕打ちが、「カルト」という罵声であろう。政治批判で靖国に唾を吐きかける前に、どうして日本人の哀しみや感謝のココロにまずは寄り添えないのか。副島は、妻娘を捨てたリースみたいに、いけすかない男である。

 天皇や首相の靖国参拝を実現させようとすれば、中国で市場を獲得しようとしている、たとえばトヨタとかパナソニックとかが儲けられなくなる。
 アメリカは日本を中国に嗾ける(けしかける)という戦略は中止したんだから、日本も欧米人にしたがって、靖国参拝をやめろと言う。「ここが何よりも大事な点」と副島は言っているのだ。
 何もかも経済発展のためには屈服しろってか。

 日本は支那の市場をなくしたら一時的に困ることは確かであるが、だからといって民族のアイデンティティまでかなぐり捨てるだけが正しいはずがない。
 副島隆彦と佐藤優の対談本『小沢革命政権で日本を救え』(日本文芸社)で、副島はこう言っていた。
 「天皇のご意思に従うことを右翼」と言います。本物の右翼であるならば、たとえ、今の天皇が嫌いでも、「昭和天皇のご遺志には従え」ということです。それが私の「A級戦犯合祀反対、靖国神社はもう汚れた論」です。」

 は?なにこれ。天皇の意思にしたがうことが右翼? だれがそんな定義を決めたんだ。リースが、日本は単一民族だと勝手に決めたのとそっくりのムチャぶりである。

 この本は2010年の出版だが、よくこんな恥ずかしい対談を両人はやって、今も売っているもんだ。大外れじゃないか。
 ついでに言うと、日本文芸社は汚い出版社で、「あなたの持っている原稿を応募してくれれば、審査して出版します」との謳い文句で、庶民から原稿を応募させたうえで、出版はできませんが、とても惜しいので、自費出版しませんか、と誘う手口をやる。自費出版の編集料・手数料と書店配布料で稼いでいる。違法ではないものの、そんな出版社から副島と佐藤は自著を出すのだから、それでも有識者かと呆れる。
 
 媚中副島には昭和天皇がまるで無謬で、神聖にして冒すべからずという前提があるようだ。アメリカと裏取引して大東亜戦争の惨禍を引き起こした責任者であるヒロヒトをまったく免罪にして恥じないとは、あきれた男だ。だから天皇崇拝者だと断定できる。

 言わせてもらえば靖国が汚れたのではない、ヒロヒトが日本を汚したのだ。ヒロヒトには靖国をうんぬんする資格はなく、尊重されるべき「意思」なんてものが問題にされること自体がおかしい。

 それにしても、媚中・副島は「戦犯」というそれこそ欧米が事後法で勝手に判断して、敗戦国の指導者や軍人兵士をリンチにしただけの概念を、ごもっともと押し頂く無様さには呆れはてる。少しはパール判事の爪の垢でも煎じて飲め。

 佐藤優は同書で、靖国問題は宗教団体の問題だから、彼らの自治に従えば良く、合祀にも賛成だと述べている。
 「それに対して外部からの意思、特に政治権力からの意思が働くということは、次にはキリスト教にも働くかもしれません。
 その意味では、私は、民主党の石井一参議院議員が主張した、創価学会施設を民主党が監視するという暴論に断固反対します。
 どのような宗教団体が行なうことに関しても、それが他者に危害を加えないかぎり、私はすべては放ったらかしでよい、という考えです。」

 こういうところが、佐藤優の八方美人的な言論の面目躍如で、ソーカにも良い顔をし、靖国神社にも良い顔をし、大衆受けする「権力の介入はいけない、信仰は自由なんだ」みたいなきれいごとを言う。
 古来、宗教が国家と無関係に存在したためしは無い。政教分離は理想であるが、現実はそれを隠れ蓑にして、宗教団体が政治に介入し、権力と一体となり、無辜の民を虐殺し、麻薬と結びついてきた。
 だから政教分離を実現するためには国民の代表たる国会議員が、宗教団体を監視しなければならないのである。

 副島も佐藤に同調して、「私も宗教の自由は徹底的に守れという立場です。宗教は国家体制以前から存在するし、もともと国家体制の枠に入らないものです」ときたもんだ。
 驚くべき無知ではないか。宗教が国家体制の枠に入らないだと?
 社会は国家に覆われて初めて秩序を保たれる。そのうえで国民はしっかり生活できるのだ。宗教も当たり前の話だが、その社会の一部なのである。国家の枠組みに入らない宗教を挙げてみろ、ありゃしないから。

 国家は共同体から発展した秩序である。宗教は共同体に共有される認識であって、太古の昔に個人の心的救済を目的に個人が考え出したわけではない。
 時代が下るに連れて、共同体としての宗教が、個の信仰をも許容するようになっていっただけ。

 国家は他共同体(国家)との対峙で生まれる。だから宗教といえども、国家という「缶詰の缶」に守られている。軍隊や警察と関係なく存在できる宗教団体なんてないのだ。
 それをなんと媚中・副島は「宗教は国家体制以前から存在する」などと言う。それは近代国家だけを見て古代国家を想像するから誤解するのであろう。

 佐藤優も、自らクリスチャンだと偉そうに述べているが、私はなんと破廉恥なことを臆面もなく言えるものよと呆れる。何度も言ってきているが、古今東西、世界中に不幸をまき散らしてきたのはキリスト教ではないか。キリスト教だけが原因とは言わないが、歴史上の戦争は、もしキリスト教がなかったら100分の1くらいに減っていたであろう。
 まあそれが10分の1でも1000分の1でもいいのだが、人類の争いのもとを背後から、あるいは表立って仕切ってきたのがキリスト教である。

 日本では戦国時代に、キリスト教のイエズス会は大名たちに、キリスト教を信仰させる名目で近づきながら実際は鉄砲の火薬を売りつけ、代わりに婦女子を奴隷として大量にヨーロッパに連れていったのだ。それはキリスト教がやったのである。信長を暗殺したのもキリスト教徒イエズス会であった。

 こういう宗教を、なんで「宗教の自由は最大限に保障されるべき」などと言えるのか。佐藤は「『自分の信仰が侵されないようにするにはどうしたらよいか』という観点から全部見て、それにマイナスになることにはすべて反対です」とのたまう。バカじゃなかろうか。戦前戦中の日本は国家神道にやや行き過ぎがあったかもしれないが、紀元前から自分ら以外の宗教の自由を絶対に認めてこなかったのはキリスト教ではないか。
 なのにキリスト教は一度たりとも責任をとったことがない!

 端的に言えば、宗教の信仰の前に国家の存立があるのだ。
 ところが国家の枠内にあるべき宗教が、獅子身中の虫のごとくに、政治に介入し、戦争を引き起こし、麻薬の裏ルートになりして暴れるからこそ、政教分離が必要なのである。
 信仰の自由は最大限に保障してはならないのである。国家の存在に支障がない範囲で勝手な妄想を許可されている。
 だから靖国神社も、国家の枠のなかで踊らされる宿命(?)があるのだ。国家と無縁に存在することが許されるわけがない。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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