2016年06月24日

今日はブログ記念日(3/3)


《3》
 国語の教科書は、(最近は知りませんが)長い間良い文章の見本が文学作品に偏っていました。作家の文章で、名文を選んで教科書に載せているのでしょうが、それはおかしいのではないか、と誰かは忘れましたがある作家が書いていました。
 子供が全員小説家になるわけではありません。ほとんどの人は日常の、手紙、メール、ビジネス文書などを書くのであって、相手にちゃんと伝わる文章を書ける力をつけるために国語の勉強があるのです。

 例えば科学者が書く文章、社会科学者が書く文章、役人が書く文章など多種多様でしょう。それぞれ仕事に就き、専門分野でそれに合った文章を書く練習はするのでしょうが、学校では文章の基本中の基本を教えるべきであって、小説家の文章ばかりに偏するのはおかしいのです。

 文章の基本を学校で教えていないことはないでしょう。文法も、熟語も、漢字も、句読点の付け方なども基本です。それはそれでいいと思いますが、そもそも教科書で小説の文章を重視する姿勢自体が胡乱ではないかと言っているのです。

 また別の譬えを挙げます。今週始めに出汁の話を書きましたが、料理の基本である出汁(だし)は、私は顆粒化学調味料は絶対使いません。昆布と鰹節が多く、ときには干し椎茸や煮干しを使うこともあります。
 テレビの料理番組や料理の本では、昆布は湯が沸騰したらサッと取り出さないと香りが飛んでしまうから、煮過ぎてはいけないとされます。それは料亭や旅館でプロの調理師がやること。煮込んでも香りがまったくなくなるわけではありませんし、家庭の食事で大事なことは栄養素が摂れるかどうかです。
 
 つまり、文章もそうなのであって、教科書に小説家の文章を儀表として載せて学ばせるのは、プロの調理師の出汁の取り方と同じで、味も香りも過不足ない料理に仕上げてあるかもしれないが、日常生活ではナンセンスでしょう。

 子供が学ぶべきは、日々の健康を守るための食事にふさわしい出汁の取り方なのであって、同様に、国語の実力も人に誤解を与えないとか、読んで不快にならない書き方、きちんと書いた人の認識を理解できる実力を修得すべきなのです。

 南ク継正先生の『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生のための“夢”講義』を読まれた方は、よくご存知でしょうが、柔道の井上康生、卓球の福原愛、マラソンの高橋尚子を取り上げて、なぜ彼らが早々に(若くして)第一線から退かなければならなくなったかを解いておられました。

 詳しくは同書(第1巻〜6巻)を精読していただくとして、一つに大事な要諦は、彼らが“歩く”という運動を技化しなかったからだ、それぞれの競技の体躯の動かし方は鍛えただろうが、基本中の基本の“歩く”を蔑ろにしたからなのだと解いてありました。
 まさか、あれだけ世界に通用するアスリートが、“歩く”ができていないなんて! と誰しも驚くでしょうが、それが真実でした。

 柔道にせよ卓球にせよ、もちろん足は動かしていますが、彼らは必ずその競技に合った動かし方、あるいは得意なこれなら相手に勝てるという動かし方を熟達させます。要するに勝たなければしょうがないので、「使い方」に執着し、「創り方」を重視しません。
 技は使用過程に置けば歪みます。歪んだ体はマッサージや鍼などで修復するでしょうが、それでも次第に歪んできて、アスリートが40歳くらいまでやれるケースはほとんどないでしょう。

 何が言いたいかというと、文章を書くのも、スポーツや武道における“歩く”運動と同様の基本的な書き方(創り方)があり、それを中学・高校でしっかりと習熟させて創っておき、また大人になってもいつまでも創ることをくり返すべきなのではないかと思います。
 国語の教科書に載っている小説家の文章は、いわば「使いかた」が見事な文章の手本なのであって、名人芸のようなもので、素人や初心者には無用なのです。

 井上康生や高橋尚子などは、歩けるから歩く練習をしない。そんなの必要ないと思っていたでしょう。文章もおそらくそうで、誰でも書けないことはない。書けるから作家になるのでもなければ、事改まって文章を磨くことなんかしません。それで、自分では人にわかる文章を書いているつもりになっている…のではないでしょうか。

 文章における“歩く”基本は何なのでしょうか。それを意識して地道にこれからも書いていけたらと思っています。

 今回は本ブログの10周年を意識して書いてきましたが、どうも後半は文章作法に偏った内容になってしまいましたが、そもそも文才という稟質(ひんしつ)のない私でも、十年続ければ続けたなりの手応えが得られることをお話してみたかったのです。






posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おめでとうございます。いつも勉強させてもらってます。
Posted by 中尾瑞穂 at 2016年06月24日 07:07
ブログ10周年おめどとうございます。

私と青雲様とは違う人間なので、青雲様のすべての意見に賛同するわけではございませんが、
今後も示唆に富む貴ブログを応援させていただきます。

文章の書き方について、小説家の文章ばかりに入り浸ってはダメだということ、賛同いたします。

もしかすると、作曲に関しても、大作曲家の作品のみを研究するのではなく、音楽の原点、ただそこに現れた音を「聴く」という基本に徹することを重視すべきなのでしょうか。

今後も良い記事をたくさんお願いいたします。
Posted by Yuuri at 2016年06月24日 12:41
Yuuri様

ありがとうございます。
みなさまのお声を励みにがんばっていきます。
Posted by Yuuri 様へ(ブログ筆者です) at 2016年06月26日 07:26
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