2016年07月06日

認識の論理レベルをあげるには(2/2)


《2》
 もう一度くり返すが、仕事でも勉学でもスポーツでも、私たちが何事か成し遂げていきたいときには、認識が決定するのである。その認識は感情で創られるのであるから、どんな感情でその成し遂げたい物事に挑むかがすこぶる大事なのである。

 「今に見ていろ、俺が一番になってやる」という感情があってこそ。「あの偉いさんのように俺もなって、威張りたい」という感情が原動力になるのだ。
 むろん気の置けない友人も必要だが、それはそれで別の話。

 恋人も、強烈な憧れの存在でなければいけない。出逢ってすぐホテルに直行するようでは、憧れが育たない。現今の若人が、中学や高校から男女交際はするわ、肉体関係を結ぶわでは、日本の未来は真っ暗だ。
 人間関係における「品格」を学び、体現するチャンスを失う。
 テレビドラマが、視聴率を稼げるからと、若者に追従して中学や高校の恋愛や肉体関係を煽る話にするのは、もはや犯罪行為だ。
 
 しつこいと言われようが、人様のブログに押し掛けて、くさす、揶揄する、誹謗する、文末に「W」を付けてバカにする、こういう手合いは、愚劣の極みなのである。
 他人をいつも見下すか同列と思い込む傲慢な姿勢。
 相手の見解をまずは尊重する、丁寧語、謙譲語で申し述べることなく、気安く声をかけるレベルでイチャモンをつける。

 よしんばそれが正論であったとしても、そういう輩は心底軽蔑されなければならない。こういう輩と仲良くできて「論争」しちゃうのは、天皇が乞食と戯れる愚に等しい。
 南ク継正先生はマスゴミに登場せず、ご著書も三一書房や現代社やら、世間的には影の薄い出版社からお出しになる。マスゴミに出て、有象無象の電通の下僕となった評論家などと論争する愚は犯していない。

 誰も南ク継正先生の論理の高みについて来られないからでもあるが、たかだか日本の現代社会程度で頂点を目指しておられるのではなく、人類史に屹立し、下々を睥睨しておられるからである。
 南ク継正先生もマスゴミに出て、いろんな学者と討論すれば、収穫もあるだろうに、と思う向きもあるだろうが、そういうことをなさらなかった。ご自分で学者を集めて指導者となり、あらゆる学術分野で誰にも負けないように努力なさったからこそ、現在の『全集』の誇りと学の高みがあるのである。

 毎度述べていることだが、我々は個として生きられない。共同体の存続が大事なことだ。先にライオン社会の例を説いたが、ライオンはライオンの共同体だけが大事で、弱い雄は不要なのである。共同体あっての個なのだ。その一例でわかっていただければと思う。
 だから人類にも、共同体の長が必要であり、日本の場合は天皇がそれを担ってきた。その天皇が現在、これほど国家の長である自覚を喪失して、芸能人並みになったことこそが、日本の危機の深さをあらわしている。

 昨日も述べたが、昔はどの家庭でも家長が一番偉く、子供は半人前扱いであった。その日々のありようを実感として理解することが、共同体の存続を理解できる基本なのである。「平等」ではないことを知るのである。
 その歴史認識が、ひいては論理の高みに到るのだ。現今の民主社会でなんでも平等と勘違いしていれば、学の高み、論理の高みには到達できない。

 父親が家庭で家族より1ランク上の食事をするのは、ナンセンスだ、不平等だと思う人が、人様のブログに礼儀知らずに、自分の実力も弁えずに土足であがってくる狼藉と同根の振る舞いだ。
 これは組織に属していないで、自由業をやっている人に多い傾向であろう。組織で生きていれば、例えば社長に運転手付きの高級車で通勤する権利も必要もあることが、自ずとわかるものなのだ。

 ヒラ社員が社長に「おい、おまえ」と話しかけられる奴はクビだ。人はみな平等だと勘違いするとそれでクビとは理不尽だとなるだろうが、そこが心からわからないと、論理の高みすら理解できないままなのだ。
 
 最後におまけで一つのエピソードを紹介しておこう。
 ブルネイを今日の世界で有数の裕福で国民が幸せな国になっている。税金はほぼ無く、医療費もただ。そういう国の礎を築いた日本人の話である。
 詳しくは以下のYoutube動画をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=-MDYpTIJkuE

 ブルネイは大東亜戦争で日本軍が占領するまではイギリスの植民地だった、イギリス人はジャングルに覆われたブルネイにはさほど関心を寄せず、近海の海底油田から油を奪うことしか考えていなかった。
 そのイギリスを追い出した日本軍は、「県知事」として木村強を任命した。

 木村は現地日本軍の反対を押し切って、ブルネイ発展のために尽力し、何も産業がない国に、ゴム林をつくり工場を建てて雇用を生み出し、道路、電気、水道、通信などインフラを整備し、部族間の争いを鎮めて発展の基礎を築いていった。

 その木村の秘書としてブルネイ王国から付け人になったのが、若き国王の弟だった。彼は極めて優秀で、木村を信頼し、木村の志を理解していった。木村はわずか一年でブルネイを去らねばならなかったが、王家は木村と約束を交わした。必ずブルネイを幸せな国にする、と。
 戦争が終わって、日本で仕事をしていた木村にブルネイから来訪を要請してきた。

 ブルネイは軍用機を派遣してまで木村を出迎えた。そして木村が国王に面会してみると、国王になっていたのは当時木村の秘書をやっていた青年だったのである。

 共産主義者は国王の存在を否定するのだろうが、このブルネイの話は、日本人の寄与も素晴らしかったが、国王が上に立つものとしてのいわば歴史哲学を理解し、上に立つ人間としての責務を果たしたからこその偉大な発展が可能になったのである。
 民主国家だったら、おそらく成功していなかったはずだ。また、国土が三重県ほどの小国だったことも改革をやりやすくしたのだろう。
 
 木村は戦前の見事な教育のおかげで、ブルネイ国王に共同体とはいかなるものかを、実務を通して教えることに成功したのであった。
 木村強の手記は以下で読める。
http://kansai.me/tdym/ww2nd/brn-hudoki05.htm

 誤解なきよう申し上げておくが、私は天皇親政や王国支配がいいと言うのでもなく、民主政治を否定しているのでもない。
 再三再四いうように、人間にとっては個の利益は二の次であって、肝心なのは共同体の存続なのである。その例としてもろもろ申し上げた。
 
 共同体存続にかなう規律、法、秩序、政体、組織、家庭などのありようから逸脱することは許されないのである。その規律や秩序は、ややもすると個の自由を阻害するように見えるだろうが、これが自然の法則であり、社会の法則なのだ。だから共同体の論理を実感として持てない人は、その自然や社会、人間の精神などを究明する学問、つまり論理の世界で自在な発展を得ることはできないのである。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は青雲様のような人間になりたいです。

直接お会いしたことはありませんが、文章から徳の高さがひしひしと伝わってまいります。

貴ブログから刺激を受けることが最近の日課になっております。
Posted by Yuuri at 2016年07月07日 00:29
yuuri様

過分のお言葉を頂戴して恐縮です。返事が遅れて申し訳ありません。
思いがけないコメントでしたので、しばしどうご返事したものか迷いました。
Posted by Yuuri 様へ(ブログ筆者です) at 2016年07月08日 12:41
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