2016年07月07日

遠い国チリの盤根錯節(1/2)


《1》
 『NO(ノー)』は、チリの映画で(2012年製作)、カンヌ映画祭ほか、幾つもの賞をとっている。
 チリの軍事独裁アウグスト・ピノチェト政権を国民が“非暴力”で倒した実話をもとにした物語である。
 主人公は若い広告プロヂューサーで、CM作成チームで恐怖政治に挑む命がけのキャンペーンを展開する。

 ピノチェト賛成派と反対派によるCM合戦の模様を描いていて、最後にどう決着するかで観客を引き込むが、作品の出来はイマイチで雑である。登場人物のココロがきめこまかく描けておらず、選挙キャンペーンを追うだけの描き方になっている。

 アマゾンのDVD紹介の記事を引用する。
 「1988年、南米チリ。長きにわたる軍事独裁に国際批判が強まる中、政権の信任を問う“国民投票”が行われる事になる。投票日までの27日間、反対派「NO」陣営に許されたのは、深夜15分枠の“TVコマーシャル”だけだった。若き広告マンは、巨大な権力と圧力に身の危険を感じながらも、ユーモア溢れる斬新かつ大胆なCMで恐怖政治と対峙し、熾烈なメディア合戦を繰り広げていく!」

 打倒ピノチェト(NO派)の中心人物だったエイルウィンは、当時の次期大統領自身が出演している。本人が、当時の本人役を演じた。撮影時少なくとも90歳以上のはずだったが。

 チリの政変を語る前にちょっと言っておくと、アメリカには「戦争広告代理店」があって、政治運動の広告キャンペーンを仕切るのである。コソボ紛争が起きた際には、ボスニア・ヘルツエゴビナの外務大臣がニューヨークに行って、広告代理店に依頼して、セルビアの指導者、ミロシェビッチやカラジッチを独裁者で民族浄化をやったと西側諸国にキャンペーンを張った。民族浄化はお互いにやったのに、セルビアだけが広告手法で負けた為に悪者にされたのである。広告の威力を侮ってはいけない。日本も支那の「南京大虐殺」広告や韓国の「従軍慰安婦」広告の戦略で負けている。

 チリは日本からは地球の裏側で、関心も低く、情報もなく、マスゴミも取材しないから、こんな騒動があったことを多くは知らないだろう。
 ピノチェト政権の前のチリは社会主義をとったサルバドール・アジェンデであった。それを軍人のピノチェトがクーデターで転覆したのだ。アジェンデ大統領の時代は1970から73年の間である。

 世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権として世界で注目されたが、時代が東西冷戦のまっただ中であったから、アメリカはCIAが介入して転覆工作を行なった。
 当時のCIA長官リチャード・ヘルムズは、「チリを救わなければならない。リスクはどうでもいい。1000万ドル使え、必要ならばもっと使ってチリ経済を苦しめさせろ」と指示し、アジェンデ政権を打倒する姿勢を見せた。

 西側諸国はアメリカの主導で経済封鎖を強行し、反共的チリ富裕層をしてストライキを開始させた。さらにCIAは物流の要であるトラック協会に多額の資金を援助しストライキをさせた。政府関係者を買収してスパイに仕立て上げた。暗殺事件も多発した。
 一方でソ連KGBはアジェンデを支持し、援助を行なった。典型的な米ソ両国間の代理戦争の様相を呈した。

 アジェンデ自身の失敗もあって、社会主義の実験はわずか三年で潰えた。アジェンデ大統領は、クーデターに対して徹底抗戦を呼号していたが、立て篭る宮殿で爆死させられた、自殺とする説もある。

 ピノチェトによる軍事政権の独裁政治によって、労働組合員や学生、芸術家など左翼と見られた人物の多くが監禁、拷問、殺害された。映画「NO」のなかでも、弾圧の様子が実写映像で挿入されている。
 軍事政権は恐怖政治を敷きながら、「悪夢の社会主義政権から脱した唯一の国」と自賛したが、この映画に描かれたように、国民投票で失脚に追いこまれた。
 
 当時、チリ国民は恐怖政治に嫌気がさしていて、映画に描かれるように「NO派」が国民投票で勝つ下地はあった。そのうえ、1980年ベルリンの壁崩壊で冷戦の終結間近の世界情勢によりアメリカにとっても利用価値がなくなっていたのである。

 アジェンデの社会主義政策から、ピノチェトは新自由主義経済への転換を行なった。
 ミルトン・フリードマンが主張する新自由主義を実行し、「シカゴ学派」と呼ばれるフリードマンの弟子のマネタリストを大勢招いた。
 ピノチェトは政権は短期的には良好な経済成長を実現し、フリードマンはピノチェトの政策を「チリの奇跡」と呼んだ。「アジェンデの失政によって混乱した経済を立て直した」と持ち上げた。

 しかし、ピノチェト政権で国内生産が減り、失業率はうなぎのぼり、貧富の格差も拡大して、新自由主義の政策が大ウソで、誤りだったことが露呈し、結局、アメリカの傀儡だったピノチェトは失脚する。

 チリは、こうして社会主義と新自由主義の両極端の実験場として、世界に注目されたのである。日本でも一時エコノミストが新自由主義のフリードマンを絶賛する傾向があった。チリの実態を何も知らずに、評論を書き散らし、マスゴミもそれを載せて恥じなかった。

 このチリの実相解明に果敢に挑んだのが、作家・開高健であった。彼は南北アメリカ大陸を釣りしながら縦断し、途中チリに寄ったのである。『もっと広く! 南北アメリカ大陸縦断記』(朝日新聞出版)に記載されている。刊行は1981年9月だが取材は1980年だったのだろう。アジェンデが倒されてから7年後くらいのピノチェト政権まっただ中である。

 開高は、社会主義アジェンデ政権の誕生から崩壊までの特質を、本稿で記したような経過以外に、2つあると書いている。
 社会主義政権がカトリック教会と自由主義体制(疑問だらけだが)によって占められている南米大陸で、国民投票で誕生したこと。それに既存の社会主義国家は軍隊と警察を国民監視・弾圧の手足として使うのに、アジェンデはそうしなかったこと。

 とりわけ軍隊と秘密警察が政権の手足でなかったために、国民が社会主義体制から離脱できたのだが、皮肉なことに次のピノチェトは秘密警察を強化して反対派を弾圧した。
 アジェンデがやったことは他の社会主義国ではあり得ない。そのため開高は「チリ国民がアジェンデ政権下の三年間に“社会主義生活を経験した”といいきっていいかどうかについては疑いがいっぱいある」としたためている。

 これは鋭い指摘であった。日本のサヨクもメディアも、ここを見ぬふりをしてきた。社会主義(共産主義)国家は、軍隊や秘密警察というゲバルトなしには、成立しないという真理である。革命は正しいとする勢力にとっては都合の悪いことであるからだ。
 北朝鮮も中共もソ連も、みな独裁体制を敷き、ゲバルトで反対勢力の台頭を阻止した。サヨクは、しらばっくれて社会主義体制はちゃんと機能しているとウソをついた。

 

posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 🌁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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