2016年07月11日

出汁が消えた日本への絶望


 先週土曜日に続けて出汁の話を続けるが、今日は文化論に踏み込む。
 鰹節の上等なものは1キロ3000円前後だ。極上品は3800円くらい。1キロで3本くらい。キロ3000円以上のものを買っていれば問題はない。ところが安いキロ2500円くらいになると、これは逆に極めて高い食品になる。(これは後述する丸元の本(1982年ごろ)にある価格)

 キロ3000円以上のものは、小さな船で出漁して、鮮度のいいものを昔ながらの製造工程を踏んでつくっている。古来のつくり方を知らない方はネットで調べてください。

 それより安いものは、大きな船で遠洋にでかけて漁獲したカツオで、船内で加工する場合もあり、たいていは漁獲直後に冷凍して陸揚げされるから、すでに近海で小さな船でとったものに比べて鮮度が落ちる。加工も機械化され大量生産できるから安くはなるが、品質は落ちる。

 これは煮干しも同じで、良質な煮干しは近海でとれた鰯から作る。近海は海藻も多く、鰯はプランクトンの豊富なところで育っている。遠洋に出てとってくる鰯は海藻がなく、栄養的には貧弱なのである。しかも陸揚げするまでの時間が、近海なら鮮度が良いうちに加工(釜茹で)できるが遠洋に行けばいくほど船で持ち帰るので鮮度は落ちる。

 スーパーで売っている安い煮干しは遠洋の鰯が多く、鮮度が落ちるからお腹が割れていたりする。黄色っぽくなったら油分が酸化しいている証拠。さらに酸化防止剤なんかが入っていたりする。
 ちゃんとした煮干しを売っている店を探さないと、却って害になる。

 丸元淑生の書き下ろしデビュー作は、『システム料理学 男と女のクッキング8章』(文春文庫)であった。これは1982年の出版で、ずいぶん読みながら食事をつくったものだった。
 そのなかから鰹節の話を紹介したい。
 以下は概略である。

 築地の鰹節屋は削り節を量り売りして売っている。今やどの家庭でも削り節器はなくなっているから、削り節に多くの需要がある。
 極上品はキロ3000円だそうだが、これには削り代600円を乗せているから、もとは2400円の鰹節なのである。
 3000円の上等の鰹節を削れば3600円になってしまうから、そうなると「たかが削り節が?」とする感覚になって、誰も買わなくなる。

 なかにはキロ2000円以下の削り節まで売っている。極上の削り節を買ってきてもこれはもう棄てるべきものなのだ。
 丸元が店の主人に「どうしてそういう悪いものを売っているのか」と尋ねると、店主は悲嘆に耐えかねたふうに「これは鰹節じゃないんですよ。鰹節を売りたいんですよ、われわれも」と答えたそうだ。

 ここからは丸元のじかの声を引用しよう。
      *     * 

 それにしても、かつお節を買いにわざわざ築地まで出かけながら、「かつお節じゃないもの」を買って帰る主婦の心理はどういうものだろう。安ければいいという考えがまずあるに違いない。それはいいとして、問題なのは、かつお節に見えればかつお節とする思想である。それはたこであればたことする思想であり、豆腐に見えれば豆腐と思って買う思想である。

 そういう思想の持ち主は、生きているたこを買い求めて、ゆでて食うことをしない。法外な値段をとる寿司屋でさえ、自分ではゆでだこを食わしてはくれない昨今である。
 こういう思想がいつの頃からはびこってきたものか知らないが、世の中は至極巧妙になっていて、その思想に無縁としても、騙されないわけにいかない仕組みができあがっているらしい。

    *     * 

 「かつお節に見えればかつお節とする」…これが現今の日本人の生活ぶりであり、生きざまである。
 支那や韓国がジリジリ侵略してきていても、平和に見えれば平和なんだとする思想、それが安保法制反対であり、「9条守れ」になっている。逆にアメリカと同盟を結んでいれば平和だとするのも同じ、それは病気である。軍隊にみえるだけで軍隊なっていない自衛隊が、国を護ると皆思いこんでいる。

 スーパーやコンビニで売っているほとんど全ての食品は、その食品に見えて実は違う。
 市販のラーメンのスープは、化学調味料でつくった味で、自然のものは入っていない。でもスープの味がすればスープでよしとしている。豆腐もまともな豆腐はほとんどなくなっている。養殖魚なんかはあれはもう魚じゃないのに、誰もが魚だと思っている。

 ビールだって、日本のビールはドイツ人から言わせれば、本物のビールじゃないと言われる。ドイツでは原料が麦芽とホップ以外のものはビールではない。日本は屑米、とうもろこし、コーンスターチなど様々な「副原料」の添加を許し、日本人好みの商品が並ぶ。日本では本物と言えるのは、エビスやプレミアムモルツなどわずか。
 日本酒も、大手酒造メーカーの作る安い酒は、アルコール添加で、サトウキビの糖密から作る、酔えるから酒だとするインチキである。

 なにも三菱自動車のデータ偽装だけではない。こんなものばっかりの世の中になった。
 恋人でもないタレントを、恋人に見立ててストーカーをやるバカがいる。AKB48なんていう色気で売っている少女たちに、疑似恋愛をして、恋愛じゃないのに恋愛だと思い込んでいる。
 それを大人もとがめないし、マスゴミも咎めるどころか煽り立てる。

 朝日新聞、毎日新聞、沖縄の2紙など反日メディアは、新聞じゃないのに新聞の顔して売り、バカが喜んで新聞紙だとして読む。元民主党なんか、野合集団で政党じゃないのに政党にしている。共産主義革命を目指さないのに「日本共産党」の看板を掲げるイカサマ。
 せんだって白鵬を取りあげたが、大相撲ももう本物じゃないのに、NHKが無理矢理放映している。

 今回のテーマである出汁はまさにそうで、誰もが人工の化学調味料、顆粒だしを「出汁」じゃないのに「出汁」にしているじゃないかという哀しい話なのである。
 これはだから出汁の話でありつつ、日本人の病いを説いているのだ。
 ゆえに、たかが出汁、されど出汁だと述べている。出汁を大切にとろうともしない人は、日本が好きじゃないのだ。

 サヨクは子供を戦場にやらないと喚く、その口で、出汁なんか面倒だから顆粒でいいのよと言って、未来を担う子供の健康を奪っているではないか。脚下照顧のカケラもないのに、戦争は嫌だ、か。
 剣道も柔道も空手も、スポーツになっているのに、格好だけ武道を装っている。武道なのはわが流派だけである。

 天寿堂稲村さんの鍼灸と指圧は本物だからとても痛いけれど、現代では「痛くない鍼」「痛くない指圧」全盛であって、それらは鍼や指圧の偽物である。痛い鍼は嫌だから、偽物でいいとする思想だ。
 学問は論理の体系であるのに、学者と自称する者たちはいなくて、せいぜい研究者でしかない。体系も構築できていないのに自称学者、他称(マシゴミが持ち上げる)学者で、誰もがその気になっている。大学でありながら、学とは何かも教員等は教えられない。

 食費にカネはかけられないとか、忙しくてそこまで時間はかけられないとか。は? なにそれ? 
 その考えが、丸元が言ったように、「かつお節に見えればかつお節とする思想」になり、すべて日本文化を破壊していっているのだと気づかねばならない。
 戦前までは、日本の母親がそれを守っていた。偉大であった。

 みなさんは築地のかつお節屋の店主がいう言葉に胸が詰まりませんか?
 「これは鰹節じゃないんですよ。鰹節を売りたいんですよ、われわれも」
 この絶望の言葉を生んでいるのは、私たち消費者そのものなのだ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
毎日楽しみに拝読しております。
出汁の記事、私も顆粒だしを使っていました。それで当たり前だと。それははずかしいことだと、きついお叱りを受けた気がしています。
がんばって昆布とかつお節で出汁をとるようにします。
それが日本再生へとつながるのだと教えていただきました。
Posted by 白井奈津子 at 2016年07月12日 21:42
白井奈津子様
コメントありがとうございます。
そういうお言葉をいただいて嬉しく存じます。
慣れれば面倒ではなくなります。ぜひ本物の出汁をとってください。
Posted by 白井奈津子様へ(ブログ筆者です) at 2016年07月13日 06:28
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。