2016年07月12日

国家の本質は、他共同体との対峙(1/2)


《1》
 本題に入るまえに一言述べておくと、イギリスがEUから離脱するのは正解だと思う。日本のマスゴミとリベラル派は、EUが理想と思っているから悲嘆に暮れている論調だが、バカ言ってんじゃない。いっときイギリスは経済が落ち込むだろうが、国家は国家で無くせないのだから、EUという野合こそイカサマなのである。
 
 さて。憲法9条と前文の間違いについてはさんざん述べてきた。とりわけ昨夏の「安保法制」の騒動があったころは、すいぶん論じてきたものだった。
 サヨクどもは、今もであるが、安倍晋三首相個人が独裁者で日本を戦争に引きずり込もうとしていると喚き散らしていた。

 サヨクは「あべ政治をゆるさない」などと馬鹿げたことを言っていた。別に安倍がどうのこうのは関係ない。それは矮小化である。国家とはなにか、政治とはなにか、人間が生きるとは何かといった本質から見ることが出来なくて、戦争は嫌!だけ。

 9条も前文も呆れ果てる中身である。サヨクも、庶民で9条を守れと言う人も、底なしにアタマが悪いというしかない。
 先日も9条死守の人にたまたま逢って、噛み付かれた。安倍が9条をやめて戦争ができるようにするのは、それで金儲けをする奴がいるからだ。そんなことは許さん、と。

 いかにも戦争で儲け企業はあるだろうし、軍人は出世するかもしれない。あるいはアメリカに戦争に引き込まれて日本の若者が殺されていくと、勝手に想像して怒りまくるご仁がいる。
 しかし、だから9条を守ればいいとするのは論理破綻も甚だしい。粗雑な思考は、先の沖縄で米軍軍属の青年が日本人女性を強姦殺害した事件で、米軍基地があるからだと騒いだ連中のものと同等であった。

 これらはたぶんに、とにかく戦争は嫌、アメリカは嫌い、9条があれば平和だ、の一点張りでしかない。支那や韓国に侵略されて占領されたら? と尋ねると、それでもいいと答える。日本中が「通州事件」になってもいいとは…。でもサヨクは戦争するよりいいんだ、と。こんな人間が日本にいることは支那や韓国は大喜びだろう。

 再三述べてきたが、こういう人たちは、人類の歴史も歴史哲学もわかっていない。
 サヨクは戦争が起きるのは国家があるからだとか言い出す。国家は人間にとって必然であり、戦争もまた必然であることが、どうして分かりたくないのか。

 国家の本質は、他共同体との対峙であると、くどく述べてきた。
 ヨーロッパでは、国家とは何かがよく捉えられていて、国家が国民を脅かすという考えは根幹からない。彼らは国家の本質を他共同体との対峙とちゃんと分かっていて、敵は国家の外にいる外国か、宗教組織か、あるいはナチスのような第二権力の台頭である。それらから国家を護る前提で成り立っている。

 ところが日本では、悪いのはいつも国家で、いつも国家によって国民が苦しめられるという前提に立っている。国家と政府の区別と連関もついていない間抜けな国民がほとんである。だから愚かにも「国の借金が1044兆円もある」という財務省の嘘がまかり通っている。また、国が戦争をやらかして国民を兵隊にとる、と思っている。
 今回は国家について中学生にも分かるように説いてみたい。

 人間は生まれたときから、競争のまっただ中に放り出される。むろん親の愛情を受け、地域の人から育てられはするが、それは生存の一面でしかない。
 どの子も望まれて生まれてくるとは限らない。今でこそ、日本のゴム製造の高度な技術のおかげで、コントロールできるようになり、工業の近代化で人口が増えるようにはなったが、昔は生まれた子供は、生かしておいたら食って行けないと家族が判断すれば間引かれた。
 
 可哀想だと生かしておいたら、家族も部族も滅亡する。だから必要以外の子は間引くしかなかった。
 バースコントロールができなかった江戸時代には、家康のときから幕末まで人口がほとんど増加していない。いかに厳しく間引きが行なわれたかである。
 それを現代の感情で残酷だと言ってはならない。人間が生きるとは個人の勝手ではなく、共同体の存続、繁栄、それが本質である。

 かくのごとく、人間は生まれた瞬間から共同体の存続のみの価値観で生かされるか殺されるかが決定された。
 また、長男だけが家を継ぐことが許され、次男、三男以降は生きながらえても勝手に生きろと放り出される。初めから平等なんてない。
 大和・飛鳥の時代には、天皇家でも兄弟の殺し合いが当然あった。まして他国、他民族どうしでは「対峙」がないわけがなかった。

 そういう社会で女がどういう扱いを受けたかは、ここでは省略するが、周知のことであろう。女の子は親が決めた嫁ぎ先に出される。
 NHK朝の連続ドラマ『あさが来た』でも、当然主人公の姉妹は親が勝手に決めた先に嫁する。それをいかにもかわいそうなことだと、ドラマでも映画でも言う。その面がないわけではないが、あまりに歴史、日本文化をバカにしすぎだ。

 憲法前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とある。

 こんな世迷い事を麗々しく掲げているのは、日本だけだ。世界中、誰も平和を愛しているなんてことはない。口ではそういうけれど、現実はつねに他国、他人に勝とうとしている。企業どうしも、芸術家も、研究者も、誰もが自分が利益をほしい、名誉を得たいのだ。
 学校でも一番になりたくて勉強し、スポーツをする。

 平和がいいというなら、試験もするな、甲子園もめざすな、オリンピックに反対しろ。それはいかにも殺しあいの戦争ではないけれど、争いとは人間の本質のしからしめるところなのである。
 だからいじめも、社会にあって当然である。いじめを無くすことはできない。学校でいじめに合うだけでなく、生まれたときから兄弟姉妹でいじめにさらされ、会社でも病院でもいじめにあう。
 なかには親からいじめられることもある。

 だから、いじめに耐えるしかなく、いじめをはね除ける力をつけるしかない。それが憲法に反映されていないとは、なんたる能天気な、危ない国なんだろう日本は。
 自分ひとりでは守りきれない、殺されるとわかっているなら、友人と仲良くして助け合う。あるいは一人で仕事をすれば潰されるから会社を大きくして守るようにする。

 国家でいうなら、現在の日米同盟の本質はそれである。日本もアメリカにも同盟が安全保障のために利益があるから結んでいる。それをひたすら、日本がアメリカに戦争に巻き込まれるとしか思わないのは愚かの極みである。
 学校で友達と仲良くする。これは一緒に遊び勉強も助け合うメリットがある一方で、友達がだれかとケンカしたらそれにやむなく巻き込まれることもあるし、いっしょにクルマに乗っていて事故に巻き込まれることも起こり得る。じゃあ、友達をつくらなければいいのか。

 恋人も同様だ。仲良くするメリットは多々あるだけでなく、リスクだってある。それが嫌なら一生恋人を創らず結婚もしないのがいい。それを言っているのが、憲法9条であり、日米安保反対なのである。
 
 どうすればいいかは何もむずかしくない。リスクはあるものと思って準備することであり、リスクが来てもはね除け得る実力、主体性を確立することだけのことだ。
 リスクが嫌だからと結婚しないのではなく、相手も自分も生かせる道を選べるように、人間をすべてにおいて実力をつけるし、勇気を持つこと、歴史に学ぶことである。
 国家もそれである。

 個人なら結婚をしない、就職もしないで過ごせるかもしれないが、国家は(共同体は)投げ出すことはできない。存続し発展を続けなければならない。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(2) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いわゆる九条派は2種類で成り立っていますね。コアは反日国家の手先が平和愛好家の仮面を被っている連中。極めて悪質です。しかし問題は平和であれと思っていれば平和でいられると信じ、結果的に反日勢力の意のままにハンドリングされるお花畑の住民たちではないでしょうか。
Posted by のもんはん at 2016年07月12日 10:59
のもんはん様
はい、そうですね。もの考えない人たちに絶望です。
Posted by のもんはん様へ(ブログ筆者です) at 2016年07月12日 15:15
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