2016年07月13日

国家の本質は、他共同体との対峙(2/2)


《2》
 9条信者の間違いのもとは、世界中の人が平和を望んでいて、良く晴れた日にみんなでお花畑にピクニックにいくような社会を実現できると思っていることだろう。
 人間社会はトラブルは付きもので、紛争の連続である。ゲバルトで互いに傷つけあおうが、カネを巡って騙し脅しがあろうが、地位を巡って陰謀をめぐらそうが、イジメがあろうが、局面もやり方も様々であるにしろ、それが当たり前、常態である。

 だから以前、社会をポーカーに譬えて説いたが、勝ったり負けたり、騙されるかと思えば騙していたり、駆け引きがある世界である。
 ポーカーゲームこそが人間社会の根本原則であるが、ゲームと違って現実社会は誰も抜けられないのである。自分だけ抜けて「9条が書いてありますから抜けます」、とはいかない。

 戦後日本は民主主義教育とやらで、文科省も日教組も、人間は平和に暮らせることが正常でかつ理想で、戦争が起きるのは異常なんだとする教育をしてしまった。人間はそもそも共同体の存続しだいで生かされ殺されるという認識や社会規範を間違って教えてきた。
 だからその愚かな洗脳を受けたまま、大人になっても変われない、気づかない。
 
 そういうお花畑状態の人があまりに多く、憲法改正ができないまでになっている。これが国家を滅ぼす道だとも思わずに…。人間が争うものであるのは、キリスト教的に言うなら「原罪」なのである。
 それが嵩じて日本では、社会保障が絶対的な善となっている。
 社会保障を充実させればさせるほど、共同体は立ち行かなくなる。

 今は例えば一人の高齢者を5人の若者が支えているとしても、20年後には一人の若者が一人の高齢者を支えなければならなくなる。それは目に見えているのに、とぼけてなんとかなると騙している。自民党から反日政党までみんなウソをついている。
 社会保障が必ず破綻するように、みせかけの平和は必ず破綻する。なのに、与党も野党も官僚も社会保障のさらなる充実ばかり主張する。

 これを本来のありように戻すには、弱者は「適者生存」の原則に従わせる、自活できない高齢者は安楽死させる、勉強しなかった者が落ちこぼれる。そういう社会にしていくしか生き残るすべはない。
 難民は国家に保護されない。人情的には気の毒で胸が傷むが、それが人間の宿命である。
 
 実際、韓国人がどれほど日本社会に浸透し、隠然たる支配をしているか、ある日気が付いたら日本は韓国人に全部乗っ取られる。なぜなら、それが人間の本然たる争いそのものだからだ。とりたてて韓国人が悪いわけではない。油断しているほうが悪い。
 日本が韓国を併合したのは、される韓国が悪いのと同様、現今の日本が韓国ザイニチに蹂躙されているのは、されるほうが悪い。

 今度の参院選。私はアリタヨシフ、パクジンイル、フクシマミズホ、コニシヒロユキ、レンホーなどの反日議員を当選させてしまった事が情けないと思っている。あんなブタどもに投票するほうが悪いのだ。

 人間は死んでゆくものである。なぜ死ぬかといえば、生命体には寿命があるからであり、寿命があるのは、生命体が世代交代するためである。もし世代交代しないで、現在生きている人間だけが何百年も生きたらどうなるか。子供は生まないで、自分たちだけが医学の進歩とやらの恩恵を被ったとしてず〜〜〜っと生きたら、私たちは社会性ある人間としても、また自然界に生きる生命体としても、滅びるのだ。

 早い話が、もし江戸時代の人が現在も生きていたとしたら、この21世紀の社会、文化文明に適応できるのか? できはしない。今風に言えばトレンドに追いつかない。社会は変わる、自然も常に天変地異が起きる。それに適応して人間が生存していくには、自分が死んで子孫に後世を託すしかない。後世の新しい頭脳とカラダで新時代に適応していくのだ。
 
 今ある私たちの生命は、自分のものでありつつ、先祖からいただいたものである、また子供のためである。これは矛盾である。つまりあるものがあるものであるとともに、あるものでないとは、自分であるものが自分であるとともに、先祖のもの、子供のものであることと両立する。これが弁証法である。

 これは言うなれば横の関係(命をつなぐ関係)であり、縦の関係としては、自分は個であるとともに集団(共同体)の一員でもあるという二重の(矛盾の)構造になっている。その矛盾があってこそ生命は生きながらえ、もしくは言い方を換えれば、矛盾を創出したから〈生命の歴史〉が成りたった。
 
 動物はたいてい下等なものは子孫を生んだら死ぬ。高等な動物は子供を育て終わったら死ぬ。この循環によって生命はつながる。
 人間は未完成で生まれてくると言った科学者がいたが、それは見方が間違っている。生命体の維持、発展、地球の変化に対応できるように、未熟というより、可能性を多く持った状態で誕生してくるしかないのである。

 進化の過程で、卵生の動物を胎生の動物を比べればわかるが、むろん卵生のほうが先である。卵生だと卵の間に天変地異が起きれば、生まれる前に死んでしまう。胎生にして、メスの胎内に卵を生んである程度育てると、その間の地球の激変には、親が対応できて、それをDNAとして子供に伝えられるのだ。

 恐竜の卵の化石がよく出て来るが、あれは卵のうちに地球の地殻変動が起きて死んだのである。それを避けるために胎生生物が誕生したわけだ。
 この話をしているとテーマから外れるので、このへんにしておくが、そうした〈生命の歴史〉を私たちは背負っている。

 何がテーマかといえば、現在の老人がひたすらに長生きしたい、老後もぜいたくしたい、手厚く介護してほしいと希うのは間違っているのである。
 年金も介護保険も、現在の制度は間違っている。私たちの生命は自分のものであるだけでなく、子供のものなのである。将来の子供が、老人を甘やかすために、もしくは植物人間になって息しているだけになっても、年金や保険料で自分の人生を奪われても支えるとは言語道断ではないか。

 今生きている人間は、未来の子供のために生きて、そして死んで行くべきなのだ。自分が不老不死でいたいから、子供の未来をうばっていいとは、なんたる傲慢か。そして生命体の構造に反しているのである。
 例えば昭和を生きた人間は、平成を生きる子供のために役割を終えて死んでいくものなのである。

 さて。
 だから。
 憲法9条を守れとわめくサヨクは、口先では「我が子を戦場に行かせない。殺すのも殺されるのも反対だ」とキレイ事を言う。しかし、それを決めるのはお前じゃない。子供が決めるのである。
 どうも、60歳以上の高齢者ほど、9条死守をわめく者がいるようだが、ジジババになった奴にはそんなことに口を出す資格はない。

 これからの、生き馬の目を抜くような厳しい社会を乗り切っていかなければならないのは、若い人たちだ。老人は彼らの邪魔をしてはいけない。若い人たちが正しい道を歩めるよう、決められるよう見守るだけである。
 国民を、そして未来の若者をどうやって守るかが一字も書いてない憲法なんかを維持するのは、無責任である。

 他国に占領されたらどうすると聞くと、それでもいいというのは、テメエは良くても子供たちが莫大な被害を受けることを忘れている。今さえ平和なら子供がどうなってもいいというのだ。…と言っても、いや子供を守るためにこそ9条が必要だと言い張るのだろうね、救いようがない。
 動物は、どんな鳥でも虫でもすべて、どうやったら身を守るかのすべがある。まったく防御ができない生き物は、しょうがないから大量に生んで、外敵に食われてもその一部でも生き残ればいいとするシステムを取る。

 だが、すべての生き物の中で、日本人だけが「陸海空軍その他の戦力」はいっさい持たないというのだから、狂っているのである。イカやタコだって、敵に墨を吐きかけて防御する。墨は「その他の戦力」じゃないか? イカ、タコは9条違反か?
 サヨクどもは、国を護る必要はない、そもそも国はなくていいと言う。まったく歴史哲学を知らない。

 先に矛盾の話をした。人間は争いがなく平和がいいに決まっているが、度外れに平和な世界を実現しようとすることは弁証法の否定である。平和のために軍備を整え、戦争の準備をするとは大いなる矛盾である。だが、その矛盾の創出ゆえに、国家は持続できてきている。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(10) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
国家の安全保障に限り憲法判断をしないという最高裁判決が出ていますので9条は現在でも守られていないと思います。
いますぐ核兵器を装備して戦争を起こしても法律には全く触れないので心配は無いと思います。
Posted by たていと at 2016年07月13日 11:13
毎度ながら正論で、私などが意見する隙はないのですが。

少なくとも21世紀初頭の現在の世界情勢では、
国家同士の競争、対立は避けて通れないと思います。
青雲様がおっしゃるように、それは人間の原罪のようなものであるというのもよく分かります。

しかし、世界のあらゆる地域の宗教、法律などを見てみると、少なくとも、個人間での殺人を認めているようなものは存在しません。
(ハンムラビ法典などでは奴隷は殺してよかったようですが)

戦争は紛れもなく殺人です。
たとえ共同体である国家間の存続を賭けた戦争であっても、殺人は回避されるべきではないでしょうか。

軍隊というものは、人類が農耕を開始して、富という概念が生まれ、
共同体内で他人(兵)を養う余裕ができたことによって組織されるようになったと、
大学院の講義で教わりました。
つまり、狩猟採集をしていた時代には軍隊や人間同士の殺し合いはなかった、ということになります。
性善説的な話になりますが、人間の競争本能は、後天的にできた、という考え方もできると思います。

人間全体の性質というものは、その時代時代によって、変わっていくものです。
中世の人たちからしたら、今の民主主義は考えられないことでしょうし。
近代になってからも、黒人の開放、女性参政権、良心の自由の保証など、
我々の行動を支配する様式も変化しています。

そんな中で、憲法9条をはじめとする平和主義を理想として掲げることは、何ら間違っていないと思います。
もちろん、そのためには全人類が共通の目標を持つ必要がありますが、
現状では中国やイスラム過激派、富裕層など、障害が多すぎるので実現の可能性は低いでしょう。

しかし、たとえば、静岡県と山梨県が富士山を巡って戦争をした、などという話は、
明治以降は耳にしません。

或る共同体の独自性を保ったまま、他の性質の異なる共同体と均衡を保つことは不可能ではない、と私は思います。

10年、20年先の話でなくともよいと思います。
例えば1000年先に全地球が争いのない平和な箱舟となる、そのために、理想だけでもいいので標榜することは果たして悪いことでしょうか。

私も20代の頃は保守、ナショナリスト寄りの考えに傾きかけました。
しかし、たとえそれが表面的なものであったとしても、憲法9条のおかげで、
日本は高度経済成長を遂げられ、こうやってインターネットに自由な意見を書き込むこともできます。
現象の裏にある力学については私の見識ではよくわかりませんが、
物事の表面から感じ取り、判断することも重要だと思います。
例えば、人の顔に性格が出るように。

改憲を推進している方々の意見も正論です。論理的に間違ってはいません。
一方、だからといって平和主義を守ろうとする側の論理も、それなりに筋が通っています。
受験数学などではないので、どちらが完全に正しい、ということもないと思います。
もしかすると、双方の利点を兼ね備えた第三の道もある可能性もあります。(私は探そうとしています。)
世の中、いろいろな意見があっていいと思いますし、私はできるだけ多くの意見に耳を傾けようと思います。

ですが、少なくとも私は、大好きな音楽ができる今の平和な日本に生まれたことに感謝していますし、
改憲もすべきではないと思っています。

しかし、それだけのことで他人から「サヨク」などとレッテル貼りをされるのはいささか不愉快に感じる今日この頃です。
Posted by Yuuri at 2016年07月14日 00:30
たていと様

「心配はない」とはいかないでしょう。
実際、国民の過半数は、9条で守られていると思い込んでいますから、あんなのは憲法じゃないと説いてもダメですから。
Posted by たていと様へ(ブログ筆者です) at 2016年07月14日 07:20
返信ありがとうございます。
憲法をどうしようと国家を守るための武力行使には憲法は適用されないので、過去も未来も変わらないと思います。
何が変わるかといえば、国民がいなくても国家が存在するという幻想が、法改正で現実化するのだと思います。
Posted by たていと at 2016年07月14日 13:38
たていと様

国防のための武力行使は憲法の範囲外とおっしゃるが、法律で許されていないことを自衛隊がやれば、犯罪者になってしまうのです。
だから支那や韓国は、憲法を改正させまいと工作するわけです。
Posted by たていと様へ(ブログ筆者です) at 2016年07月16日 07:43
Yuuri様
コメントありがとうございます。
戦争はまぎれもなく殺人、ではありません。いわば国家行為です。
事実は殺人、しかし、論理は違う、そこがみなさんわかっていないのです。
Posted by Yuuri様へ(ブログ筆者です) at 2016年07月16日 07:48
人が死ぬことが悪いなんでしょうか?人類は70億人もいて逆に多すぎるような気がするのですが・・・。Yuuriさんが戦争を悪いと考える理由を知りたいなぁ。
Posted by びちょびちょスカート久美子 at 2016年07月16日 12:20
びちょびちょスカート久美子様

大木篤夫作の童話で「ろうそくをつぐ話」がありますね。
以下はそのアニメ。
https://www.youtube.com/watch?v=YdLdBozx1Tk
人の、あるいは生命体の生き死にを考えさせられる、名作童話でしょう。ちょっと話がズレるかもしれませんが、久美子様がおっしゃるように、「人が死ぬこと」は決して悪いことではないのですね。
Posted by びちょびちょスカート久美子様 at 2016年07月16日 14:53
再返信ありがとうございます。
私のコメントでは自衛隊が何をやってもOKの様に書いていますが、個人では処罰されても隊として憲法は適用されずに制限は無いということです。
自衛隊は日本国を守る為に誰の血が流れようが努力して頂いてると私は思っています。
ブログ筆者様の言われることは当然で、日本の法改正に外国人に指図されるなんてもってのほかだと私も思っています。
しかし憲法の適用されない自衛隊に外国人の憲法改正阻止の努力は無駄だと私は思うのです。
Posted by たていと at 2016年07月17日 05:49
たていと様
コメント感謝します。

自衛隊にも憲法は適用されます。だから自衛隊が他国軍と交戦すれば憲法違反に問われます。支那やロシアの戦闘機が領空侵犯しても、ほかの国には国に憲法なりなんなり交戦権があって、行使できますから撃墜できますが、自衛隊機はできない。
誰の命令であっても、撃墜したら犯罪にされてしまう。
それを知っているから、支那だの韓国だのは平気で領空領海を侵犯します。
Posted by たていと様へ(ブログ筆者です) at 2016年07月17日 08:03
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。