2016年08月02日

引き裂かれたエストニア


 バルト三国の1つ、エストニアは日本人にはあまりなじみのない国である。位置関係もよく分からないし、まして首都は?と問われても、現役受験生以外は知らないだろう。(首都はタリン)
 ロシア、ドイツという大国に挟まれて苦労してきた国だ。
 そのエストニアの映画『1944 独ソ・エストニア戦線』は、第二次大戦末期の1944年の戦争を扱っている。
 エストニアでは最大のヒット映画となったそうだ。
https://www.youtube.com/watch?v=T4vpl2NBrDs

 1939年に独ソ不可侵条約が締結され、その直後に第二次世界大戦が始まる。エストニアは、あっという間にソ連軍に蹂躙され、1940年にはソ連に併合される。しかしすぐにナチ・ドイツ軍に侵攻され、ドイツ軍占領下に入れられる。

 それから約3年後、ソ連軍の反攻によってドイツ軍の敗色が濃くなっていた。その時期をテーマにした映画である。
 何が悲劇といって、エストニアはソ連に併合されると、男たちは赤軍の兵士にさせられ、ソ連に連れて行かれ、老人や女子供は捕らえられてシベリアに送られていった。

 ついでドイツ軍に占領されると、今度は残っていた男が根こそぎドイツ軍の兵士に徴用されたのである。ソ連軍の狼藉があまりにひどかったので、エストニア人たちはナチにやや協力的だったようだ。

 そして1944年、ソ連軍が反攻してきてエストニアが戦場になると、赤軍に引っ張られたエストニア人部隊と、ドイツ軍に入れられたエストニア人部隊とが戦わなければならなくなった。同じ国民同士が、恨みもないのに敵味方に分かれて殺し合うことになった。

 映画の中でもエストニア人兵士たちは「俺たちはいったい、なんのために戦っているんだ」と嘆く。
 映画前半はドイツ軍兵士となった青年カールを主人公に描き、後半は赤軍兵士になった青年ヨギを描いている。二人の青年は戦場で遭遇し、赤軍兵士がドイツ側の兵士を殺すところから、後半の赤軍兵士が主人公となっていく。

 赤軍兵士の青年ヨギは、ソ連支配下になったエストニアで命ぜられるままに、反抗的住民を駆り出してシベリア追放を行なっていた。ドイツ軍兵士になった青年カールは、家族がヨギによって家から拉致されていく様子を助けることもできずに眺めているしかなかった。その罪悪感にさいなまれながらドイツ軍の軍服を着て戦場にいる。

 そのカールは、赤軍兵士のヨギに戦闘で撃ち殺される。ヨギはカールとの縁を知らずにカールの懐にあった手紙を、首都タリンに住むカールの姉アイノに届ける。そこで手紙を読んだ姉アイノは、弟カールの苦しみを知る。一方でヨギと姉アイノはほのかに恋心を抱くようになる。

 ヨギもその後に上官の命令(ドイツ軍に入れられたエストニア人少年兵の捕虜射殺)を拒否して、射殺される。
 
 映画ではややソ連側を悪く描いている。それはそうだろう。エストニアはナチよりも、ソ連に戦後も傷めつけられ、独立をまっとうできなかったからだ。
 ナチはユダヤ人やジプシーには過酷だったが、ソ連は根こそぎ殺すかシベリア送りにした。「反ソ」というだけで、あるいは生活が豊かだというだけで、あくどいことをやった。

 エストニア人が、無理矢理ドイツ軍に入れられているのを承知で、「祖国の裏切り者」「ファシスト」と呼んで、容赦なく殺した。ナチも残酷であったが、ソ連はドイツ人より民度で甚だしく劣るから、もう理屈抜きで暴虐のかぎりを尽くす。むろんどっちも御免蒙るが、その被害を一身に浴びたのがエストニアだった。あの辺り、ポーランド、ラトビア、リトアニアも同じ目にあったのだろう。

 赤軍とドイツ軍に分かれて同胞が殺し合う。それを嫌だと言えば、自分が不服従の罪で殺される。まさに「カルネアデスの舟板」である。これは古代ギリシャの寓話から来た言葉である。「緊急避難」に関わる。
 船が難破し乗組員は全員海に溺れたが、一人の男が命からがら、壊れた船の板切れにすがりついた。そこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまう。そこで男は、後から来た者を突き飛ばして水死させた。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかったという。

 この映画では戦争中の話になっているが、戦後もエストニア国民はみんな苦しんだはずだ。兄弟、親類同士で敵味方に分かれ、近所にも友人にも、裏切り、密告などが残されるのだ。例えば、隣りの家には自分の息子を殺したオヤジがのうのうと暮らしているなんてことはいくらもあったろう。
 ましてソ連に併合されて1991年に独立を回復するまでは、KGBに監視され、ものも言えない社会に押し込められていた。想像を絶する過酷さだったろう。

 しかしながら、こういう小国の悲劇は世界的規模ではほとんど語られることがない。私も偶然この映画を観るまでは皆目知らなかった。
 ドイツはユダヤ大量虐殺のみならず、ポーランドやバルト三国などの知識人、軍人、ロシア人の虐殺を行い、ジプシー50万人虐殺、大量に人体実験の加え、「障害者や病人の安楽死政策、外国からの約二十万人の美少年美少女の拉致とドイツ民族化、という巨悪の山を築いた。

 だが、ユダヤ人問題だけは大々的に語られ、映画にも小説にもされてきたが、どうもユダヤ人の仕掛けの匂いが強い。
 肝心のドイツは、戦後すべてヒトラーとナチ党に責任を押し付けて国民は被害者だったと言ってトボケる。
 
 アメリカ、イギリス、フランスその他東欧も、ほとんどドイツの犯罪を問題にしない。自らも同様な戦争犯罪を規模の大小は別におこなっているからである。アメリカもナチに負けないくらい悪逆非道をやっている。だからナチのユダヤ迫害だけを問題にしてお仕舞い。

 そうした互いの積もりつもった悪事をごまかすために、EUを立ち上げたと見ることもできるのではないか。ヨーロッパは一つになって、戦争のない世界を人類史に先駆けて実現したぞと偉そうに言ったものの、第二次世界大戦一つとっても、臭いものに蓋をして逃げているのも事実である。

 ヨーロッパの土は昔から大量の血が染み込んでいる。果てはアフリカ、アメリカ大陸、インドなどまで出かけて強奪、殺戮を恣にやってきた。
 彼らは先祖の犯した残虐非道の行いを、今も見て見ぬふりをする。直視したらやってられまい。だから無理矢理、自分たちは世界をリードする先進国だと今も信じたいのである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 🌁| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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