2016年08月24日

今上天皇の譲位について


 8月8日に今上天皇の「お気持ち」なる談話が発表になった。動画で見たけれど、情けない内容としゃべり方で見ちゃいられなかった。明仁自身も宮内庁も、天皇とは何かがわかっていないように思える。
 そもそも天皇が国民に向けて、自分の気持ちなるものを言うこと自体が、間違いである。憲法上でもあってはならないし、くどくど弁解するべきものではない。

 よく読むと、論理的整合性もない。表に意図が出て来ないが「君側の奸」に思えてしかたがない。宮内庁はクリスチャンの多い部署だし、この件で沈黙しているのも不審である。天皇皇后と小和田家、サヨクなどはマスゴミを私物化している。

 天皇とは、折口信夫が解いたように「ザイン・ニヒト・ザイン」つまり「非存在の存在」である。天皇という人間の実体はむろんあるし、生き死にもするが、国家のなかの存在としては「非存在の存在」である。その存在がシャシャリ出て、個人的気持ちを述べてなんとかしろというのは、おこがましい。

 天皇がそうして政治に口を出すというか、「存在」として出ばっていいことはなかった。後鳥羽、後白河、後醍醐、それに加えて孝明、明治、昭和が「俺が、俺が」で口をだしたときに国家は乱れてきた歴史がある。
 「非存在の存在」だからこそ、御所は無防備で良く、よく言われるように御所の塀は低くて要塞とか城には当たらない。

 天皇を戦後にGHQが「象徴」と呼ぶよう強いたわけだが、それは野蛮なアメリカ人らしい呼び方であって、もともと天皇は憲法で明記するまでもなく、「象徴」に近い存在であったのだから。何をいまさら、だ。

 それが、俺は疲れたからとか高齢になったからとか、急に死ぬと天皇の家族が大変だから…などと言うのは、まったく天皇というものがわかっていない。あの談話でいちばん驚いたことが、明仁が家族の心配を語ったことだった。特権階級に胡座をかいて、日々うまいものを食い、御殿に暮らしていながら、葬儀などの行事が長過ぎるし疲れる、などとよく言うワ。

 そもそも天皇は「非存在の存在」なのだから、一人の明仁が退位しようが譲位しようがどうでもいい話である。いなくなっては困るだけである。「お気持ち」のなかで、摂政には反対だ、と匂わせるのもけしからん話で、お前が言うなよ、である。

 私は明仁自身がそろそろ痴呆になってきたことを自覚したのではないかと思う。昨年だったか、フィリピンに行ったときの動画を見ていると、そうとう怪しいことが感じ取れた。もう表に出せない…と侍従や宮内庁は思っているだろう。皇后が必死に体を支え、指示をだしているから今はなんとかなっているが、公の場で取り返しのつかない醜態を見せてしまう恐れが目捷に迫っているのだと見える。

 今回の「お気持ち」表明をビデオメッセージにしたのは、もう記者会見でぶっつけ本番ではしゃべらせられないのだ。だからおそらく何度もやり直しできるビデオにしたのだろう。

 まだなんとかしゃべれるうちに生前退位(譲位というべきだ)を法制化してほしいと関係者が思ったにちがいない。退位と言ったら、その後がないことになるのだから、「譲位」すなわち皇太子に譲る、のである。退位などと平気で口にするマスゴミの連中のアホさ加減には呆れる。初めにスクープと言ってNHKが発表したが、NHKごときがスクープできるはずがなく、侍従あたりが意図的に漏らしたのである。NHKが不遜にも「生前退位」というバカ丸出しの言葉をつかったら、ほかのマスゴミも右へならえとは…。

 それに早いうちに、現皇太子夫妻を天皇皇后にしておきたい勢力がいるのだろう。雅子の親、小和田家がとりわけご執心だとか。
 徳仁、雅子を天皇皇后にしてしまえば、廃太子・廃皇太子妃にしろという国民の声を封じることができる。

 徳仁・雅子には天皇皇后が務まらないことは明白である。「畏れ多い」などと卑屈になる輩は、その懸念を口にしないけれど、無責任である。二人とも病気持ちだ。皇太子はカツラだし、尿もれパッドを着用している。雅子は精神病であり、怠け者、自分勝手、公式行事に全部欠席、いいことは何ひとつとしてない。

 ブログ「BBの覚醒日記」には端的にこうある。
「11分にわたって、読み上げられた天皇の「お気持ち」ですが、一言に約(つづ)めれば、こうなります。「バカ長男を確実に天皇にしたいさかい、ワテの目の黒いうちに即位よろしゅうにな、憲法たら破ってもうたら、ええやん。ほな頼んだで」ふだんは、GHQ作成の平和憲法護持を主張なさる方が(それ自体が憲法違反なのですが)、不出来長男のためには憲法違反せよと、政府と国民に申し付けたのが今回の「お気持ち」談話の全てです。」

 うまい表現だと思う。平成もあと2年で30年目だから、その辺りで長男を天皇に…という意向が見え見えだと思う。
 私は以前から「BBの覚醒日記」の皇室批判ならびに秋篠宮の即位を推す見解に賛成している。氏が最初にブログに出した、『陛下「お気持ち」談話に反駁させていただきます』に全く同感だ。
 http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/9938202e6ee4c06a41f7fbb74fd2d4c2
 私は何度ブログに書いてきたが、日本に天皇が存在することには反対ではない。世界に誇るべき、と言ってよい。ただ天皇教信者みたいに手放しで礼賛するものではないし、臭いものには全部蓋という態度は取りたくない。

 これは読売新聞の記事で見たのだが、天皇の談話が発表された翌日の記事に、歴代の天皇で生前に譲位された天皇を一覧表にしてあった。その中で「南北朝時代」として後醍醐や長慶を書いてあって、なんと北朝の光厳院を無視して記載していないのである。こんな卑劣がまかり通っていて、誰も言わないことに私は憤っている。光厳院も生前に皇籍すら脱して、一修行僧として南北朝戦乱の責任をとって譲位された。子の後光厳天皇に譲った。これを現在の宮内庁も天皇家も無視している。

 光厳院は歴代天皇にカウントされているが、北朝の天皇は宮内庁が介入してカウントさせないでいる。建前上は、現在の天皇は北朝のはずなのに。天皇教信者は、この大事な話をしらばっくれる。

 こういうことをやっておきながら、明仁は「天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」といけしゃあしゃあと言うのだ。あんたが考える問題じゃない。
 ぐだぐだ言う前に、南朝正閏説を撤回しろ。それになにより、雅子のわがまま勝手な行状を叱責したらどうだ。

 バカな長男と、不埒な嫁を育ててしまって国民に申し訳ないと一言でも言ったらどうよ。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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