2016年09月13日

トルコによるアルメニア人虐殺の嘘


 知人に借りてDVDの『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年ドイツ映画)を鑑賞。監督のファティ・アキンはトルコ系ドイツ人である。ヴェネチア国際映画祭ヤング審査員特別賞を受賞した。
 本来のタイトルは『The CUT』である。この作品の重要なシーンである、喉をかき切る、を意味しているのだろう。
 しかし『消えた声が、その名を呼ぶ』とする日本語のタイトルは、頂けない。センチメンタルで、主人公個人に目を向けただけの映画になってしまう。本稿で述べるような、アルメリア人への虐殺事件はあったのかどうかとか、誰が捏造しているか、被害者は誰なのかなどのテーマを、どうしてこうも嫌がり、ただの親子の愛情物語にしたがるのか。

 映画のあらましはこうである。
 1915年、オスマン・トルコ。第一次世界大戦が始まり、トルコはドイツと組んでロシアに攻め込んで、大規模な戦争になる。
 オスマン帝国の田舎町に住む鍛冶職人ナザレットは、愛する妻とかわいい双子の娘と幸せな日々を送っていたが、それは突然終わった。

 トルコ軍はロシアとの戦いに惨敗し、兵力の9割を失うに至っていた。兵力不足を補うために、青年の男子は根こそぎ動員となり、アルメリア人も道路工事など強制労働に従事させられる。
 映画では重要なことが語られないが、トルコではロシアに大敗したことをチャンスと見て、国内のアルメリア人が蜂起してトルコ軍の背後に撹乱を企てた。

 そこでトルコはやむなく、国内のトルコ系アルメニア人を強制的にシリアへ移住させる方針をとった。トルコにしてみれば、正当な国策だった。
 主人公ナザレットは、妻と双子の娘から引き離され、砂漠での強制労働の末に、トルコ軍によって集団虐殺されそうになる。喉をナイフで斬られ、仲間が次々と命を落とす中、奇跡的に生き延びたが、声を失った。たった一人で砂漠の中を歩いてアレッポという都市に辿り着き、アラブ人に匿われて生きる。

 戦争が終わって、ナザレットは家族を捜しまくる。家族に再会したい、それが唯一の生きる希望となり、彼はシリア、レバノン、キューバ、アメリカのミネアポリス、そしてノースダコタの雪積もる荒れ地へと尋ね歩くという物語である。

 しかし、この映画の背景にある「トルコによるアルメニア人虐殺」の事件は、白人どものデッチあげであって、トルコの全否定が正しい。
 監督のファティ・アキンの意図がなんなのかと疑いが芽生える。
 ただフィクションとすれば、この映画は見所があると思う。さまざまな土地の街や自然の様子も興味深かった。
 でも事実をもとにした、といわれると、それは違うだろうと。

 アメリカ先住民も登場するが、制作者たちの理解が乏しい。先住民の歴史が、白人による虐殺の歴史であったことを伏せている。単にダム建設のために移住させられた、と。
 私は監督が、アメリカでの興業を成功させるために先住民の登場を少なくし、とくにアメリカ人を悪く描くことをしなかったのではないかと疑う。

 中東の砂漠からキューバ、アメリカと撮影して回った巨編を創るには莫大なカネがかかる。
 資金を回収するためには、真実は描けないと判断したと思われる。ヴェネチア映画祭でも賞をとって箔をつけたいし、アメリカでも上映されて、興行的に成功しなければ困る。

 そしてアルメニア人虐殺も、あれは欧米の白人がデッチあげた話だから、ファティ監督は虐殺は嘘だとする映画を創れば、欧米で興業できなくなる。

 トルコ軍によるアルメニア人大虐殺は、ナチによるユダヤ人虐殺に匹敵すると言われるが、本当はどうであったかは、YouTubeで「高山正之の変見のつくり方」のシリーズのなかの「ダイヤの輝き」で動画をご覧になってください。
 前半とCMを挟んで後半に高山さんの解説がある。
https://www.youtube.com/watch?v=JR3S_CTcwqc

 アルメニア人虐殺は50万人ほどあったことは事実らしいが、犯行はトルコではなく、クルド人だと述べている。クルドは殺戮と略奪をほしいままにした。
 ならば犯行はクルド人だったと宣伝すればいいはずが、欧米の白人は黙っている。おそらくは欧米にしてみればクルドは使い勝手がいい。イラク、シリア、トルコにまたがってクルド族はいるが、国家を持っておらず、それぞれの国にいわば寄生している。

 クルドは、それぞれの国でも差別されつつ、独立を志向しているが、それは欧米は認めないでいる。クルドが登場する映画はいくつも観たが、概ね西洋の映画ではクルドに好意的に描かれている。国がないかわいそうな民族だ…というのか。
 白人どもはそれぞれの国にクルドという不安定要素を残しておきたいからだ。

 アルメニア人大虐殺は、もしかするとイギリスやフランスが裏で操ってやらせた可能性だってある。それが不思議でもなんでもないほど白人は腹黒い。

 トルコによる“アルメニア人虐殺”は、捏造という意味では、日本軍による“南京大虐殺”と似ている。ありもしなかった“事件”で、戦後、その濡れ衣を着せられた国をずっといたぶり続け、一方で白人の大犯罪を隠すためである。

 映画では、キリスト教は正しくて、イスラムはいけないという主張が入っている。それはおかしいんじゃないか。そのあたりも、興業成功を狙えば、イスラムに評価される映画では全世界では売れない。アルメニア人難民を受け入れた孤児院や修道院のシーンは、いかにもキリスト教は慈愛にみちているという描き方である。ウソつけ。

 制作者たちは、キリスト教国向けの映画にしなければならなかったのではと思うのは、うがちすぎか。
 ファティ監督はドイツで生まれ育ったトルコ系ドイツ人だ。映画監督になれたのも、快適な生活ができているのも、欧米社会にいたればこそなのだから、欧米におべんちゃらを言う映画をつくらざるをえない状況があるのだろう。このDVDを貸してくれた人は、ファティ監督は欧米のポチに成り下がったのかも、と語っていた。

 近年、このアルメニア人虐殺事件が、またぞろ話題になり、なんとローマ法王までが言及してトルコを非難した。西ヨーロッパの白人キリスト教国どもが仕組んで、ローマ法王に言わせたのだ。どうしてかと言うと、トルコがEUに加盟させてもらえず、中東の戦争では常にトルコのNATO空軍基地を使わせろというばかりで、なんのメリットもないことなどにトルコも腹にすえかね、シリアなどで発生した難民を、じゃんじゃんドイツやフランスに送り込んで大問題を起こしておきながら、知らん顔をはじめ、さらにあろうことか西欧が一番嫌がるロシアへの接近までして見せるようになった。

 だからデッチあげだった「アルメニア人虐殺」の過去を持ち出して、トルコ苛めをやらかしている。





posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | エッセイ | 更新情報をチェックする
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