2016年10月13日

パラリンピックは美しいのか


 パラリンピックの語源は、「paraplegia(下半身不随)」と「Olympic(オリンピック)」からの造語であった。しかし1985年以降、半身不随以外の身体障害者も国際大会に参加できることから、「parallel(平行)」と「Olympic(オリンピック)」で「もう一つのオリンピック」という意味になった。

 そもそもの起源は、第二次世界大戦で負傷したイギリスの兵士のためのリハビリにあるという。すでにして嘘くさい。イギリス兵はヨーロッパではいざ知らず、アジアでは日本軍との戦いでは、インド人やマレーシア人を兵にして前線に配置した。テメエたちは後方の比較的楽な場所で偉そうにしていたのだ。

 戦後、日本軍に負けた腹いせに、戦争が終わっているのに、ソ連同様に兵士を復員させずに、奴隷として使役した。
 ふん。その連中が始めたのがパラリンピックの前身だったのだ。
 
 昔はオリンピックと同じ場所で前後して開催しないで、マスゴミの扱いもパラリンピックは小さいものだった。
 年々派手になり、ニュースも大きく扱うようになっている。
 障碍者でもスポーツを楽しみ、競うのは悪くはないが、マスゴミが唱えるようなすべて手放しで良いことだ、人類の理想だと騒ぎ立てるのは、ちょっと違う感じがする。

 今は障碍者に共感し、褒めたたえ、勝っても負けても褒め称えるのが善とされ、それに共感しないで、無関心なのは罪であるというような、この傾向にはうんざりだ。「感動」を強いられているうっとうしさ。無関心や少ない興味の人間は、あたかも差別主義者だとか身勝手だとか言われかねない空気を、マスゴミは創り出す。
 それが嫌悪感を呼び起こさせる。

 それに、無理矢理に健常者と同じ競技をやって、関心を高めようとしている。どうも、競技者の楽しみや励みよりも、IOCの陰謀で、障碍者を利用してまた金儲けしようとの魂胆ではないか。
 バスケットボールにしてもテニスにしても、似ているが違う運動ではないのか。ルールも当然違う。
 障碍者向けにルールを変えるのは当然ではあろうが、なるべく似せないと、大方の興味を引かないからそうしているかのようだ。

 リオのパラリンピックが終わったあと、毎日新聞では支那が金メダルを一番多く取ったのは、国家ぐるみで育成しているからだ。日本は遅れをとっている。もっと日本選手がパラリンピックでメダルを量産できるよう、政府は補助金を増やせと言い出している。
 なんだ、またカネか? 税金にたかって、障碍者選手に支援をといいつつ、スポーツ関連の団体、コーチ、道具屋がもうけようとする。

 マラソンは盲目の人が走るが、伴走者なしには成り立たない。伴走してあげるのは悪いことじゃないし、目が見えなくても走る喜びを味わえるのは反対ではないけれど、かなり無理があってやっている。好きで伴走しているのだから構わないけれど、それで国際大会をやって、国家の威信を賭け、カネをどんと使って勝とうとなると、どうしたってうさん臭くなる。

 義足をつけて走ったり跳んだりするのも、ニュースでは見させられるが、テレビ中継なんかでは見たくはない。痛々しくて見ていられない。義足でも頑張るのは良い、日常生活も健常者と変わらずにおくれるのも結構だ。義足のおかげで、精神的にも良好になることだろうから、喜ばしいことである。
 しかし、疑似オリンピックにしてまで、あたかも「見せ物」のごとくやることに、私はかねてから疑問を持っている。

 つまり。障碍者がなんらかの補助を受けてスポーツを楽しむことは、もっと振興されて良いが、もし日本で大会をやりたいなら、せいぜい県単位くらいで集まって実施したらいいのではないか。
 盛大にやりたい、もっと大きくしたい、テレビにも映りたいとなると、これは本来の主旨から逸脱して量質転化を起こすのである。

 市町村の運動会なら楽しくやって、できれば勝ちたいといった程度の欲が、国際レベルともなれば、いわば「強欲」レベルに質が変わる。
 昔、第一次世界大戦後に日本が信託統治領にした南方の島では、原住民と仲良くするために、運動会をやったそうだ。原住民は誰もそんなことを知らない。

 でもどんなものかと、原住民は遠くの島から船を漕いでやってきた。それで日本人が教えて運動会をやったら、大盛り上がりだったそうだ。島の古老原住民は「あれは楽しかった」と、思い出しては言うそうである。
 こういう運動大会ならいいのではないか。

 例えば、ドーピングである。健常者と同じ悪質なケースもあるが、障害を抱えているために普段から薬を使用している参加者が多いと聞く。
 大会前に使用して違反となるケースは気の毒であるが、大会参加のため、使用を長期間ストップしたことによる症状悪化の例もあるという。


 私が最も気になるのは、人により、また国により使用機具の格差があることだ。車椅子や義足はカネをかければかけるほど軽量化や機能性の上昇に繋がる。カネさえあれば技術開発も進み、選手になじませる訓練なども存分に、になる。メダルが狙えるようになる。
 こんな機具の性能が成績に直結する競技のありかたはおかしい。裕福な選手や先進国の選手が圧倒的に有利になる。

 詳しいことは知らないのだが、義足を付けたり、車椅子に乗って、あんな激しい運動をするのは大丈夫なのか。義足ならば、器具と生の肉体とがこすれあう箇所が、痛みを伴わないものなのか。車椅子では、激突させたり、長距離を、あるいは高速度で、手で車輪を押して移動したりするが、カラダと椅子の部分の接触箇所はズル剥けることはないのかと心配になるが…。

 さらに障害の度合いが微妙に違うから、統一したルールが設定しにくい。目の障碍がある場合は、完全盲目の人と、うっすら見える人では条件が違うのに、公平を期す(競技者を増やす?)ためにわざわざ目隠しして闘わせるのも、無理に無理を重ねている。

 こうなると、例えば県大会レベルでスポーツを楽しむとか、勝ちより親睦や激励を目的とする「質」から、国際大会という「量」の変化(増加)によって、量質転化が起きているのである。
 器具の機能性が上がるとか、障碍者への理解が進むとかの長所はあるが、問題も増えるのである。
 オリンピックと同様に、カネまみれ、名誉欲まみれになっていく。巨額の札束が乱れ飛ぶ。旨い汁に群がる業者も増加する。

 マスゴミが悪いと思うのは、こうした負の面を大衆に見させないようにして、やれ共生はすばらしいの、世界の連帯が良いのと、うっとうしいからである。




posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(5) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わたしもパラリンピックにいかがわしいものを感じずにはいられません。
ブログ主様がおっしゃるように、障害者でもおおいにスポーツを楽しんでほしいと存じますが、それが利権になりますと、もう本来の主旨を逸脱してきているように感じます。

とりわけ、テレビなどで見ていると、「オリンピック、パラリンピックの開催は……」などと発言していますが、なんだか言いにくそう。「パラリンピックを言わないと、障害者を差別しているかと非難されなけない空気がありますね。
Posted by 白井奈津子 at 2016年10月13日 07:47
そういえば、たしか、以前は、パラリンピックとオリンピックはコンビじゃなかったですよね。

神戸にもパラリンピックの水泳選手がいたそうなんですが、障害のある方は、単に、その部位だけでなく「脳」にも、なにかあって、ものすごく大変だったと聞いたことがあります。

それを支えたコーチも大変だったと。

でも、私も、ついつい、そこまでしてやらなくちゃならないのかなあ?何のために?と、思ってしまいました。

ところが、回を重ねるごとに、パラリンピックがどんどん凄いことになっているみたいですね。

取り組みたい人にチャンスがあるのはいいことだと、私も基本的にそう思います。

誰だって目立ちたいし、活躍したいし、自分の限界を超えたい。

でもね、私は、パラリンピックに感じる同じ戸惑いを、本家のオリンピックにも感じます。

なんか、気持ちが悪い。
普通のスポーツ大会と異なる扱い方が・・・どうも・・・ああまでしなくても・・・いや、すごいとは思うけど。
あの時だけ愛国者になるみたいなのもねえ・・・

しかも、小池さんによって暴かれるのかどうかわからないけど、オリンピック利権の内容が見えてきたら、ますます嫌になりそうな予感がします。
Posted by 神戸だいすき at 2016年10月13日 07:52
白井奈津子様
コメントありがとう存じます。
「オリンピック・パラリンピック」とセットで言わされるのは、そうしないと障害者を差別していると受け取られてバッシングを受けるからでは、というご指摘、その通りだと思います。
Posted by 白井奈津子様へ(ブログ筆者です) at 2016年10月13日 12:10
神戸だいすき様
コメントありがとうございます。
そうです、「そこまでやらなくても…」という感じなんですね。
オリンピックにしても、上を上をと目指したい人がいてもいいけれど、もっと違うやり方があるのではと思います。11月8日のブログで述べる予定です。

日本が主催して、世界規模の運動会を毎年やったらいいと思います。
Posted by 神戸だいすき 様へ(ブログ筆者です) at 2016年10月13日 12:10
管理人様のおっしゃる通りです、私は一障害者ですが、誤魔化しとトリックがあるのです。
障害者と言っても、法律上等級というものがあり、また激しい運動で大丈夫かという管理人様の疑問ですが、激しい運動を元々していて事故や病で障害者になった方々なんです、元々スポーツ選手が、中途障害で特殊な用具を使いパラリンピックの選手、ですから障害者の方々には、なかなか運動も難しい方々もいらっしゃいます。
影を隠して、お涙ちょうだいの感動話、嫌になります。
Posted by 政界ウォッチャー三十年 at 2016年10月15日 15:47
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