2016年10月20日

朝鮮通信使は鶏泥棒(2/3)


《2》
 なにせ当時、江戸幕府は金銀が無尽蔵に採掘できていて、経済上はなんの懸念材料がなく、ぜいたく三昧の日々を送っていた。幕府は各藩に金銀を配って手なずけていた。
 参勤交代も、のちに各藩を苦しめるが、初期は大名が徳川のご機嫌取りで金銀をおねだりするために、進んで行ない、妻子も江戸に置いて忠誠を誓ったのである。

 幕府が強いたというより、各大名が金銀欲しさにおべんちゃらをやり、それが自縄自縛となって財政破綻に追い込まれていった。
 だから江戸幕府は天下をとった驕りもあって、朝鮮通信使のような意味のない招待客にも大盤振る舞いをした。

 3代将軍家光は放蕩して実に一代で500万両を使いきって死んだ。4代目家綱は金銀はとれなくなったけれど、それでも600万両を相続できたものの、もう金銀の埋蔵量は枯渇してきていた。もう残された600万両を使い切ったら、終わりという状況だった。カネがあるうちに使い放題使っちゃった富豪息子のようで、稼ぐ手だてがまったくなかった。
 幕府自身に領地は天領だけで、徴税権は各藩にあった。収入はわずかな領地の米なのに、国家レベルの歳出は徳川政権が引き受けなければならなかった。

 それでも、金銀が無尽蔵に湧いてでているときは良かったが、ストックもなくなれば財政事情が逼迫するのが当たり前。
 5代将軍綱吉のころには金銀が枯渇して財政ピンチに陥っていた。なのに、綱吉は派手好きで国庫はまたたく間にカラになっていく。
 それに家綱時代に生じた明暦の大火で、江戸の町が灰燼に期し、江戸城も天守閣が焼失した。

 このとき江戸の復興費が莫大で、ついに江戸城天守閣の再建が果たせなくなった。
 江戸時代最初の経済危機を救ったのは綱吉時代の勘定吟味役だった荻原重秀である。彼は今で言うシニョレッジ(通貨発行益)をやった。端的には貨幣改鋳である。見事にデフレ解消を果たし、国庫は黒字になって、あの元禄文化はために華開いたのである。荻原重秀の後ろ盾だったのが柳沢吉保だった。

 今でもサヨク系経済評論家は、シニョレッジを忌み嫌うというか「財政均衡主義」「緊縮路線」といって、財政を立て直すには支出を減らして歳入に見合った歳出を抑えるべきだという一派がいつもいる。
 今日の財務省官僚である。現代では税金を上げろと言えるが、先に述べたように徳川幕府には徴税権が全国に及ばず、増税できないのだ。

 新井白石は財政健全化を図った男で、柳沢と荻原を追放して実権を握り、歳出を抑える「質素倹約」を旨として緊縮財政路線をとった。重秀によって改鋳された小判を元の品位に戻した。貨幣が減少してたちまちデフレとなり、元禄文化はポシャって、街は火が消えたように不景気になった。
 その流れで見ていけば、経済オンチだった新井白石が朝鮮通信使を廃止しようと言い出したわけがわかるだろう。歳出を抑えたかったのだ。

 もちろん、何の利益もない鶏泥棒の朝鮮通信使をご招待することはないわけだが、ただ経済効果という意味では、百万両も使って支出が起きれば、経済効果はあった。東海道沿線の宿屋や川の渡しは、お陰で潤ったし、盗まれたものは幕府が弁償してくれるのだから、悪い話ではなかろう。
 鶏まで弁償してくれたかどうかは…。

 ところで、なぜ徳川幕府が朝鮮通信使をご招待するバカをやったかは高山氏が説いてみせてはいるが、まだほかに考えられることはある。
 もしかして家康の出自と関係しているかもしれない。家康は本当は2人いて、賤民出の男が家康を乗っ取ったとの根強い噂があった。2人いた(影武者がいた)と考えなければ、説明がつかないことが多々あるとされる。

 本物の家康は大阪冬の陣で戦死したとも言われる。現に小さいが墓が堺市の寺にあるし、のちに秀忠と家光が墓参に来ていることは間違いないのだ。もっと幼少期に乗っ取られたとする説もある。
 つまり、家康(偽物)は、部落出すなわち元は朝鮮人だった可能性があるためか、あるいは…。

 これは八切止夫が書いていたことだが…。
 二代将軍秀忠は、跡継ぎに家光を想定していなかった。それを春日の局と天海僧正が工作して、家光を三代将軍に仕立てた、その功績で彼女は大奥で権勢をふるう。
 家光の乳母になった春日の局はもとは「お福」と言った。お福は明智光秀の姪にあたり、家康に側室として進呈したと言われるが、当時のこととてまったく当てにならない。
 
 八切止夫に言わせると、お福は朝鮮人で大阪あたりで浮浪者をやっていたのが、美人だと見初められて戦国武将の愛人にされ、転々したのち、やがて大出世して明智の姪ということにして、徳川家康に献上されたのだという。
 だから、朝鮮人であった春日の局によって、徳川家は乗っ取られたのだと言う説を書いていた。

 だとすれば、春日の局にしてみれば、同胞を朝鮮から呼んで、自分が天下をとったことを自慢してみせたかったと、考えられないことはない。
 どうも高山氏が説くような、「秀吉のときに悪いことをいたしまして、すみませんでした」などという理由で、朝鮮通信使を豪華招待するなどとは思えない。そんなきれいごとがあろうか?
 なにか裏があるのではないか。



posted by 心に青雲 at 04:00| 東京 ☀| Comment(3) | エッセイ | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
朝鮮通信使は朝貢に来ていたようです、そのため迎恩の扱いで、江戸城も正門からは入れなかったとか、朝貢に来ていたのに、朝鮮は嘘つきで日本に招かれたとは、彼らは自分達の嘘でまた滅びるでしょう、中共とロシヤと米国のコウモリ外交では、すべての国から見棄てられます、朝鮮半島はその内、三ヵ国の共同統治になるでしょう。
Posted by 政界ウォッチャー三十年 at 2016年10月20日 06:09
政界ウォッチャー三十年様
コメントありがとうございます。
私の調べたところでは、日本側が招待していたようです。
なにしろ、家康が天下をとったころは、金銀があふれていて、使い途にこまるほどだったから、朝鮮からご一行を招待しようとなってのではないでしょうか。

しかし、だんだん金銀はなくなるし、奴らを接待する意味はないし、で、歳出削減になっていったのでしょう。
Posted by 政界ウォッチャー三十年 様へ(ブログ筆者です) at 2016年10月20日 11:29
そうでしたか、私の認識不足でした、確かに日本國は金銀銅の産出國、昔は南蛮に輸出していたようですね、佐渡の金山は有名でたくさん人が住み、一大産業でした、幕末から明治に、悪辣な白人が金と銀の値段差を悪用して日本國の富を奪った事を思いだしました。
Posted by 政界ウォッチャー三十年 at 2016年10月20日 23:30
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